日常

ワタリウム美術館「ルドルフ・シュタイナー展 天使の国」

2014-05-12 15:15:02 | 芸術
ワタリウム美術館でやっている「ルドルフ・シュタイナー展 天使の国」に行ってきました(2回目)。

1回目は坂口恭平君と高橋巌さんとの対談。
高橋巌さんはシュタイナー関連本のほとんどを翻訳されている偉大なお方。
高橋巌さんが坂口君に敬意を持っている様子が伝わってきて素敵な空間だった。
坂口君もそうだけど、高橋巌さんもとても澄んだきれいな目をされていた。「目は口ほどに物を言う」とはまさにその通りだと思う。


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展覧会の感想。
シュタイナーの走り書きから、色々なインスピレーションを受けた。
シュタイナーは奥深い。
まさに思考の軌跡に色彩を当てている感じ。
イメージ言語でしか語れない世界を、なんとか通常言語にあてはめようと苦心しているような。ほとんどアートに近い。


最初にシュタイナーを読んだ時、あまりに意味不明すぎてシュタイナーの言語コードが読めなかったけれど、最近はシュタイナーの波長というかコードが分かってきて、心や魂に自然に染み入る感じで分かる。
何においても、相手の呼吸に合わせること、呼吸と同調しながら相手と共鳴して分かり合おうとすることが大事だ。対話(Dialogue)は、常に相互浸透的なものだ。あきらめてはいけない。そこに何か大切なことがあると直感したら、つねにコミュニケーションの通路は空けておく。
人の好き嫌いも同じ。距離感が大事なのだ。
相手を嫌いになったら、好きになるまで離れる。
相手の影響を受けすぎたら、自分が不自由さを感じない程度まで離れる。
離れすぎたら、また近づく。
こうして、距離(物理的な距離も心理的な距離も二重ある)を図り続けることが大事だ。たいていの人は、関係性を完全に切ってしまうことが多く、もったいないなぁとよく思う。



そういう意味で、シュタイナーというのは、常に距離や間合いを計りながら関係性を更新続けることが大事な存在だと感じている。

シュタイナーは、すべての存在を、「宇宙レベルでの魂の展開図」として、流動的な流れや変化の層ととらえていたのだな、という思考が、自分を貫いた。

マクロコスモスとミクロコスモスを同じものの違う現れと見ること。
それは、人間のこころとからだが同じものの違う現れと知ることと同じ。


そして、彼の言語コードは、そこから喚起される意味世界とイメージ世界いう二重の世界を、最大限までに拡張・拡大させないと、視野の中に捉える事ができないようだ。
常にはみ出し続ける。だから常に追いかけ続ける。影法師のように。



そうして、シュタイナーは時の流れの形を指でなぞるように、未来の人類へと謎を問いかけた。
展覧会に訪れる人々は、そういう巨大な謎かけを、手渡される。料理するのは、あくまでも自分自身に委ねられる。



今回の図録「ルドルフ・シュタイナーの黒板絵」日東書院本社 (2014/3/20)も、家で眺めていると、色んなInspirationを受けた。

黒板絵のイメージ像と重ね合わせて立体視で文字をよむと、さらにシュタイナーが深くわかる気がする。



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シュタイナー『人智学の宇宙論』(1921/10/9)
「宇宙を認識したければ、汝自身を見るがよい。
人間を認識したければ、宇宙を見るがよい。」
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シュタイナー『月と地球』(1921/4/1)
「月を眺めるときには、こう言えなければいけません。
今見ているこの月は、宇宙の進化の中で、みんなが一般的な知識を個人的な課題にすることを忘れたりしたら、人類がそういう人ばかりになったら、地球がどんな存在になってしまうかを示しているのだ。
いわば地球存在のカリカチュアを示しているのだと。」
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シュタイナー『天文学の成立』(1923/2/21)
「家畜を放牧し、野外で眠っていた古代の遊牧民族のことを考えてみてください。
人々はみんな夜の闇に包まれて、内的に安らいでいました。
そのときはしかし、星星も人々に光を投げかけていましたから、人々は星空のすべてを自分のからだで受け止めていました。
そして人々のこころは、星星の光の降り注ぐところでは内的に少しだけ高揚していました。
そしてそのからだは、星の光に対して酸素の光で応じていたのです。
人間は内的に星空全体の酸素の鏡像になるのです。
遊牧民族はこの像から、彼らの星の科学を創り出しました。」
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シュタイナー『星々は愛の表現である』(1924/1/4)
「私たちが夜空の中に、輝くガス球だけしか見てないとすれば、宇宙を死んだものとしか感じることができません。
星々がアストラル宇宙によるエーテル宇宙への愛なのだ、と悟ることができたとき、宇宙のすべては生きたものとして現れてきます。」
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シュタイナー『社会的混沌の原因』(1920/8/29)
「こんにち多くの地域で見られる社会的混沌の原因は何でしょうか?
その原因は人間が宇宙との関係を忘れ、宇宙について何一つ知ろうとしないからです。
しかし自分を宇宙の一部であると感じる人は、宇宙の進化が人間以外のものだけに由来するのではなく、人間自身の中に、私たちの地球にその始まりを与え、私たちの地球を終わらせ、そして宇宙の他の形態へ変容するように導く諸力があることを理解するでしょう。」
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シュタイナー『重さと光の間』(1920/3/26)
「植物の成長は、重さやその他の大地と結びついた力を克服しようとする働きによってなされます。
そこには重さとの対立があるのです。
光は絶えず重さを克服し続けています。
この重さと光の闘いの中に、植物は撮りこまれてているのです。」
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シュタイナー『天使の国』(1924/8/3)
「統一されていた天使の国の領域が、二つに分かれました。
一方の天使の領域は高次の諸世界を志向し、もう一方は下方の深い諸世界を志向しています。」
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シュタイナー『宇宙思考と人間意志』(1919/8/30)
「本当のことを知ろうと思ったら、次のように考えてみてください。
外から内の宇宙的な経過が生じると、内部の意識の深層の魂的経過がそれを受け止めるのです。そしてこの両経過がここで8の字に交差します。外からは宇宙思考が私たちの中へ働きかけ、内からは人間意志が外へ作用し、このように交わるのです。」
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シュタイナー『思考内容』(1920/12/5)
「宇宙には感覚で見ることのできる光があります。
私たちが宇宙から離れて、宇宙を外から眺めるなら、光の代わりに何が現れるでしょうか。
思考内容の集まりが現れるのです。
宇宙は内から見ると光であり、外から見ると思考内容の集まりなのです。
一方、人間の頭は、内から見ると思考内容の集まりであり、外から見ると光なのです。」
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シュタイナー『人間はなぜ考えることができるのか』(1920/3/23)
「植物や動物の中に働いている形成力は人間の中にも生きています。
でも人間はその力を生体から取り出して、同じ力で考え、感じ、欲しているのです。」
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シュタイナー『愛と自由』(1920/12/11)
「宇宙的に見て、自由な存在とは何を意味するのでしょうか。
自由な存在とは、物質的、身体的なものから霊的、魂的なものへ戻って行ける、ということなのです。
つまり基本的に、いつでも死ぬことができる、ということです。
一方、愛とは、霊的、魂的なものから物質的、身体的なものへ移って行けるということです。
宇宙的に見て、愛することができるということは、生きることができるということなのです。」
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シュタイナー『美・叡智・力』(1920/11/28)
「美と叡智と力は、万象に光を投げかける秘儀の教えを通して、太古の人間に、自分が全宇宙と結びついている、と感じさせてくれました。
今、人びとは宇宙の秘儀を霊視と霊聴と霊的合一によって受け取る時代を迎えているのです。」
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シュタイナー『心臓 宇宙の模造』(1922/5/26)
「思春期からすべての人体活動は、アストラル体を迂回して、エーテル体の心臓にまで働きを及ぼします。
このエーテル体の心臓は星々の構造から、あるいは宇宙の模造から生じたものです。」
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シュタイナー『三文節化された人間』(1923/7/7)
「これが人間の上部、神経・感覚系です。これが中間部の律動系です。これが下部の代謝・肢体系です。
上部の人間が優位を占めて、下部の人間とバランスがとれなくなると、見霊者になります。
神経・感覚系が引っこんで、代謝・肢体系が優位を占めると、地上に強く結び付いて、大地の金属、鉱物の働きを受けた生き方になります。
そして、この二つを調和させるのが中間部なのです。」
(生命存在。社会有機体は精神世界、法世界、経済生活に三文節化され、人間は神経・感覚系、呼吸・循環系、代謝・肢体系に三文節化される。)
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シュタイナー『自己認識と世界認識』(1923/11/9)
「自らを知ろうとするなら、世界の隅々に目を向けよ。
世界を知ろうとするなら、自らの内面の深層に目を向けよ。」
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シュタイナー『気付くことが大事なのです』(1922/4/1)
「頭の中で演じられているものは、いつでも全宇宙の模造なのです。
一生の間、いつでもです。
頭脳を持っている人は、自分の中に全宇宙の模造を持っているのです。それに気付くのは、とても大切なことです。」
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シュタイナー『生まれることも死ぬこともないもの』(1923/7/25)
「人間は不死なる存在であり、肉体は死んでも魂は死なない。と語るようになったのは、3・4千年前からのことです。
それ以前の人は、肉体とは異なり魂は生まれるのではない、と語りました。こんにちの私たちが不生不滅というときの不生という言葉の意味を知っていたのです。
不生が一つの側面で、そして不滅がもう一つの側面です。
不生不滅という言葉は今再びとり上げなければいけません。
そうすればこう語ることができるでしょう。
‐「良心こそ、人間における不生不滅なものなのだ。」
そう言えるとき初めて、良心が正しく評価できるようになるのです。」
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シュタイナー『植物の見方』(1922/7/22)
「植物の全体を考察してください。
その形態は恒星界から得ています。そして惑星の運行によって成長し、大地の動きで代謝機能を維持するのです。」
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シュタイナー『人間 逆転した植物』(1920/3/25)
「植物は地中に根を張り、花を、つまり受精器官を上方に伸ばします。
人間の宇宙における立ち位置は、それとはまさに正反対です。
つまり、頭で上方に根を張り、そして生殖器官を下の方に向けるのです。」
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シュタイナー『植物の誕生』(1923/10/31)
「植物の種子を一粒手にとって見ると、このごくつつましい、小さな種子が生じるためには、植物を星々と結び付ける形成層が、植物全体の姿を星々の法則に従って形成している事に気がつきます。
そして形成層のこの形成力が種子の中に移しこまれると、種子は再び新しい植物を、地球の働きに助けられて、上方へ向けて成長させるのです。」
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シュタイナー『色彩の性質』(1921/5/7)
「白、黒、緑、桃色には像の性質があり、何かを表しています。
黄、青、赤の中では、何かが輝いています。本質的なものの外側なのです。
白、黒、緑、桃色は常に何かが投影された像であり、影です。
ですから、こうも言えます。白、黒、緑、桃色は基本的に広義での影の色である、と。
魂に投影された霊の影が白です。霊に投影された死の影が黒です。死に投影された生の影が緑です。そして、生に投影された魂の影が桃色です。影と像は同類なのです。」
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シュタイナー『あらゆるものの中に一片の魂がある』(1907/9/14)
「人間を取り巻くあらゆる事物、どんな扉の取っ手も、どんな鍵も、職人の魂から、職人の感情からつくられていたのです。すべては愛でつくられていたのです。
一人ひとりの職人が、いかに自らの喜びをそれぞれの作品に持っていたか、いかに自らの魂を仕事に込めていたか、みなさん、一度よく考えてみてください。
どんな物のかたちにも彼らの魂の一部が入っているのです。そして、魂が外的な形となって現れているところには、それを眺め、見つめている人の上に、魂の力も流れてくるのです。」
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