日常

ホームレス支援 奥田さん(プロフェッショナルより)

2009-03-11 00:35:01 | 映画
■第112回「プロフェッショナル 仕事の流儀」 

3月でこの職場も終わりってことで、送別会みたいなのも多く、なかなか自分の時間がとれない今日この頃。

課題図書も山積みしつつ、見たいテレビもいっぱいありながら見れず、むしろ、当直で病院内で暇している時の方がよっぽどテレビ見る時間あったりするのも不思議なもの。(別に遊んでるわけではないですよ。ふとしたCoffe Break!)

さきほど、毎回楽しみにしてるNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」を見た。



ホームレス支援をしている奥田さんという方の特集だった。

番組の中で、
「ホームレスとハウスレスは違う。
ハウスレスは単に家がないこと。
ホームレスは、それよりもっと広くて、自分の帰る場所がないということではないか」とあった。


奥田さんが言うには、自分の帰る場所とは、友人、家族・・・どういう人でもいいんだけど、人との絆のような場所であると言っていた。
そんな人との絆の関係性で、人は帰る場所というのができて、そういう物理的なものだけではなく精神的なものも含めて、僕らはホームと呼ぶのかもしれない。

ミスチルのひとつ前のアルバムも『HOME』というタイトルだった。HOMEというタイトルは、家の意味だけでなくて、自分の帰る場所とか、元々自分がいた場所とか、そんなのをイメージしてるって、桜井さんがテレビで言ってたのも思い出した。


この回で印象深いところは何個かあった。


■ホームになるという覚悟

一つ目は、奥田さんが自分は彼らホームレスのホームになる覚悟でやっているという台詞。
それは、裏切らない、ずっと傍にいる、と。

人との絆であるようなホーム、そのホームがない人に、自分がホームになりたいという覚悟を言っていた。その中で、「無理するな、楽するな」を信条にしていると言っていて、優しさと厳しさが共存していた。
奥田さんという人自体の温かさを感じた。


■「アナタ」

二つ目は、「あなたへ」と書いてある手紙を渡していて、その手紙は常に2人称で呼びかけてあって、優しい文章が書いてあった。(全文は読めなかったけど)


「アナタ」というもの。
実は、丁度考えていた概念でもある。


最近、田口ランディ「パピヨン」、よしもとばなな「彼女について」を読んだこともあって(→2009-01-12の過去ブログ参照)、自分の中で、「死生観」・「自意識」というものを少し考える機会があったのだけど、自意識という「ワタシ」を考えていくと、必ず出てくるのが「自」と相補的に存在する「他」「他者」という概念。
その「他者」の中で、特に自分と関係性の深いのは、2人称である「アナタ」という概念。



「アナタ」っていうのは、自分にとって顔を突き合わせて、一対一で話せる他者のことですね。
大勢でワイワイってのじゃなくて、お互いが同じ時間と空間を共有して、向き合って話す関係性。それが「アナタ」という存在。



話は少し変わる。
E-mailは、複数の人にCCとかBCCとかでも送れるので、《「ワタシ」から「アナタ」へ》という感覚が薄れる連絡手段でもある。そこは欠点。チェーンメールとか、迷惑メールとかは悪い例なのかもしれない。
(ただ、自分はなるべく、他の誰でもない「アナタ」にメールを送っているということを意識しながら書くようにはしています。)


そういう意味で、手紙っていうのは究極的に「ワタシ」から「アナタ」へという贈り物で、だから不思議に自分の心もこもるし、相手にも心が伝わること多い。もらうと嬉しいし、なんか捨てれなくなるのかもしれませんね。(⇒《年賀状》(2009-01-08)というタイトルで少し書いた


「アナタへ」と2人称で言ってもらえることは、ホームレスの方々のように他者との色んなシガラミやツナガリが切れてしまった人には、実は一番うれしい言葉だったりするのかもしれない。


派遣切りが巷で話題になっている。
派遣社員の人が簡単に首を切られたとか、使い捨ての道具としてしか思っていないと批判されていて、これも、《「ワタシ」が「アナタ」を雇いました。》という、「他の誰でもないアナタ」という概念が欠如している。
「アナタ」として、一人の存在として見られていないという事が、一番本質的な問題なのかもしれないなぁ、なんてテレビを見ていて感じた。



■示唆に富むエピソード

番組の中で、いいエピソードも紹介されていた。
ホームレス生活をしている人に、奥田さんが「寮に入らないか」と声をかけるも、その人は拒否。毎日訪ねてはそのことを聞いていたが、毎日拒否。それを7年間!続けたら、ある日突然、顔色変えずに「寮に入る」と返答したと、奥田さんも自分の耳を疑ったと言っていた。
そして、その後は徐徐にその人の表情も変わり、笑顔でいることも多くなる。でも、ホームレス時代からの首の腫瘍がどんどん悪くなり、入院生活を余儀なくされる。
腫瘍のせいで声も出なくなり、筆談になる。最後に亡くなる前日に、「奥田さん ありがとう」という筆談を残して、亡くなった。

こんなエピソードがあって、それから奥田さんは、本気でこの仕事に取り組むようになったと言っていた。


示唆に富むエピソードだと思った。

まず、7年間も継続したことが大事であったということ。
自分が救われたいと願って、自分が手を伸ばさないと、人がどんなに準備をしてもその人は救われないということ。
救われたいと願えば、周りには救いの手を差し伸べてくれる人が必ずいるということ。
人は変わるし、変われるということ。
最後に「ありがとう」と言って亡くなることができれば、その人の人生はきっと全てありのままに肯定されるということ。
人との何気ない絆のようなものは、予想もせず意図せずとも、お互いにものすごい力を与えて、生きる力や方向性を与えるようなものへと働きうるということ。


そんな、「奇跡」を感じさせてくれるエピソードだと思いました。

そんなエピソードは、結果的に奥田さんの生きる力と方向性を与えた。その結果、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出ることになり、そしてそれを「ワタシ」が見ているのですから。これも、奥田さんが出会った、一人のホームレスの方のおかげなんでしょうし。


人との出会いとか縁とか、その不思議さや、それが秘める強力な力を感じましたね。


そういう風に、「アナタ」によって、「ワタシ」は「ワタシ」一人の自意識ではとても到達できなかった遥か彼方へと連れて行ってくれるんでしょうね。
これは、わしが《【はじめに】 このブログの説明(2009-01-24 )》で書いた、自分がブログに求めている意義とも近いものを感じた。


あと、少し前に書いた『私が私であること(2009-02-19)』っていうところでも、
===============
自分は、『私が私である』ことを思いながら、そう願いながら生きていこうと思っています。
ですので、少なくとも僕と接するときは、『あなたは、あなたのまま』でいてほしい。
===============

と書いているんですが、その辺でも「アナタ」という概念を考えていたし、偶然にそこもリンクした。リンクの冒険。(←ディスクシステムね。思いつきです。)


まさかこの番組見て、そんなことを感じるとは夢にも思わなかったけど、巡り巡って大きいループを描いて、ブーメランのようにココに戻ってきたから、それもまた不思議なものです。
これもまた、縁ですかね。


2 コメント

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見のがしました… (雨音)
2009-03-11 02:29:19
プロフェッショナル、見のがしました。残念。
その日見たいテレビ番組には新聞の番組欄を赤のボールペンでマークしているのですが、いなばさんのブログを見て見のがしたことに気が付いたということです…
ちょっとした旅行を計画していて良いホテルを安く予約する情報をネットで比較しながら組み合わせや乗り物の時間を考えていたら、うっかり忘れてしまいました。。。
いなばさんから見たプロフェッショナルを読むのもまた面白かったです。
番組を見てはいないのだけれど、だれにでもホームは必要ですよね。

あたたかい居場所。

派遣って会社では帳簿上で物品扱いだそうですが、人間は血がかよっている生き物だということを忘れているような、どうしょうも無い世の中になってしまったのでしょうか。

p.s.羽生善治が出ていた回も良かったですよね。
住吉アナは素敵なアナウンサーだと思う。 (いなば)
2009-03-11 09:06:13
>>>>>>>>>>雨音様
プロフェッショナル、その前にやってたプロジェクトX、いづれも好きな番組です。

プロフェッショナルでの、NHK住吉アナのブログでの感想を読んで、住吉アナが大好きになりました。最近の女性アナウンサーってほとんどアイドル化しているような気がしますが、住吉アナのブログを読むと、すごく感動・共感すること多いし、こういう感受性豊かな人に、伝えてほしいなーなんて思います。個人ブログもここのブログから勝手にリンクはってますが、プロフェッショナル専用のブログもあって、ここもよく読んでます。
<すみきちのぶっちゃけ道ブログ>
http://www.nhk.or.jp/professional-blog/100/
<キャスターコラム>
http://www.nhk.or.jp/professional/column/index.html

そう言えば、住吉さんはブログ読んでたら最近本を出されたようで、それも今度読んでみたい。ブログでもいつもいい文章書いてるから。→「自分へのごほうび」(幻冬舎)



『派遣って会社では帳簿上で物品扱い』
→こんなのがまかり通っているっていうこと自体、相当おかしいですよねー。
金融主義・資本主義自体がワルイと言うより、人間とは何なのかとか、働くとはどういうこととか、とか、その辺から組み立てていかないといけない問題な気がしますね。


羽生さんは、僕は以前将棋っ子だったので、全国大会か何か出た時飛車角落ちの多面指しで将棋したことあります。強かったなー。すごく謙虚な人で、ひょうひょうとして仙人みたいな感じでしたね。自由自在という感じ。
羽生善治、坂東玉三郎、イチロー、宮崎駿の回はすごく好きでした。
あと、弁護士・宇都宮健児さんっていう弱者の味方の社会派弁護士の方も5回目に出てるんですけど、母校の熊本高校のOBなのですごくうれしかったですねー。