日常

第5回 民俗学上映会『からむしと麻』『竹縄のさと』

2016-10-24 23:28:22 | 映画
一条さんの映画本の紹介の流れでふと思い出しました。
自分も民俗学の映画上映会自体をボチボチと続けています。
一人で見るのもいいものですが、みんなで見て、そこで受け取ったものを共有する機会を作りたいと思っています。

民俗学の暮らしから本質を学び、自然と調和した暮らしを現代に再構築したいと思っています。
暮らしの中に、人びとのすべての営みが包含されていますし、自然と調和した医療も、自然と調和した暮らしそのものから学ぶことが多いのではないかと思うからです。



民族文化映像研究所(創立1976年、通称:民映研)による民俗学の上映会は第5回目になります。

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第5回目 民俗学映像上映会
11月14日(月曜) 19時開始(開場18時 読書スペースでのフリーな読書時間)
@神田(東京都千代田区内神田2-3-14平沢ビル6階しあわせリンク)
『からむしと麻』『竹縄のさと』の2本立て
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映画自体は2本で21時前に終わりますが、その後Share会や軽食も出ますので、全部で22時に終了予定です。

→○○○詳細や申し込みはこちらから○○○
(ShiawaseLinkさんに主催してもらっています。本間さんいつもありがとうございます。)


●『からむしと麻』(1988年/55分)
『魏志倭人伝』に苧麻(ちょま)の名で記されているカラムシ。そして、麻という素材。
戦後、急速に日本中から消えました。
福島県の昭和村は、沖縄県宮古島とともにただ2カ所のカラムシの生産地です。数少ない麻の生産地でもあります。
苧麻(ちょま)(カラムシ)と麻という日本人が長く皮膚にまとっていた衣料(医療)素材。
どういう風に作られていたのか、30年前の映像でそのプロセスを共有しましょう。


●『竹縄(たけなわ)のさと』(1979年/36分)
東秩父村は昭和20年代まで盛んに竹縄が作られていました。
竹縄作りとその多様な利用法の記録です。
竹林は、米のとぎ汁や煮た大豆をまいて大切に育ててきました。
最適な竹は、7月末から8月初めの3日間ほどしか取る時期がありません。その後、竹縄にする作業は秋から翌年春までの農閑期に行います。
竹縄は、屋根材や蚕棚の結束、井戸の釣瓶縄、下駄の鼻緒、自在鉤の結束、牛馬のくつわ、まつりの山車の土台の結束・・様々な利用法があり、秩父では死者の棺をになうとき、必ず竹縄を1本使わなければならないとされていました。
かぐや姫は竹から生まれた月の住人の物語ですが、かぐや姫もそうした竹の霊力を伝えるお話しとしても存在していたのかもしれません。


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30-40年前の映像は、当時ですでに失われゆく日本を映したものでした。どういう思いで映像を撮られていたのか。。。。

古代や過去を敬意を持って受け取りながら、未来へどういうバトンを渡していけるのか、共有できる時間になればと思います。



【民族文化映像研究所フィルム作品紹介】No.12 竹縄のさと(実際のダイジェスト動画はインパクト強い!)

民映研(民族映像研究所作)Fbページ(ダイジェスト動画もこちらで見れますよ)

■2012年に渋谷UpLinkでも「~竹祭~ ドキュメンタリー映画『タケヤネの里』上映記念イベント」というのがあってたんですねー!さすが素晴らしい映画館です。(サイトでは上映中、とありますが、2012年の上映会だと思います。)



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■作品紹介
『 からむしと麻』(1988年/55分)
『魏志倭人伝』に苧麻(ちょま)の名で記されている、衣料材料のカラムシ。
同じように古くから利用されてきた麻。
第二次大戦後、それらは急速に日本中から消えていった。
福島県西部の山間地に位置する昭和村は、沖縄県宮古島と ともにただ2カ所のカラムシの生産地である。
そして数少ない麻の生産地のひとつでもある。

カラムシは、イラクサ科の多年草であり、根の植え替えを5~6年に1度する。
5月、太い直根から出る側根を切り、 移し植える。
2年目以降の畑では、小満(こまん・立夏の半月後・5月20日頃)にカノ(焼畑)をする。芽の成育をそろえ、 害虫の卵を焼くためである。
次に、畑の周りを茅の垣根で囲い、風で茎がふれあって、傷がつくのを防ぐ。
7月下旬、 2mほどに成長したカラムシを刈り取る。その日に苧(お)引きできる量だけを刈る。苧引きとは、剝いだ表皮を苧引板 にのせてヒキゴとよぶ刃物で肉質部をそぎ、繊維をとることをいう。とれた繊 維は家の中で干される。

麻は、クワ科の一年草。
5月に種を播いて、8月下旬に刈り取る。刈り取り後、天日で乾燥する。
彼岸頃にオツケ場で4日間水に漬けて柔らかくし 、表皮を剝ぎ、さらに水に漬けてから苧引きをし干される。
この後、米糠の汁で煮て手でもみ、床に叩きつけていく。ここまでの作業が、カラムシと麻では異なる。
冬、糸を作り、布を織る 。 まず苧うみ。 繊維を爪で細くさき、唾でしめらせながら長くつないでいく。
これに糸車で縒りをかけ、糸にする。次に糸ノベ。1反分の長さの経糸を必要な本数だけ数えとる。経糸をオサに通し、機にかけて織る。 機は地機である。

昭和村の人は、カラムシには「キラがある」と言う。 きらめきの意味で、光沢のことをいう。
透けるほど繊細に織られる新潟県の越後上布の材料はこのカラムシで、昭和村はその供給地であった。




『竹縄(たけなわ)のさと』(1979年/36分)
埼玉県秩父郡東秩父村御堂荻平

 東秩父村は秩父山地の東側にある集落で、昭和20年代まで盛んに竹縄が作られていた。
その経験者、関根ヒロさんと若林チョウさんを中心に、萩平の人々によって行われた竹縄作りと、その多様な利用法の記録である。

 竹縄は丈夫で弾力性にとみ、また水に強い。
東秩父村で作られた竹痛は、東北地方南部一帯から関東地方一円にかけて用いられてきた。
竹縄にはマダケとハチクを用いる。

萩平の人々は、米のとぎ汁や煮た大豆をまいて竹林を大切に育ててきた。
竹伐り旬(最も適した竹が得られる期間)は、7月末から8月初めに3日間ほどしかない。この間に新子(その年に生えた竹)を伐り、火にあぶって油抜きをし、細く小割りにする。そして乾かして、秋まで火棚の上や屋根裏に保存する。

縄にする作業は秋から翌年春までの農閑期に行う。
沢の水をせきとめて作った竹シテ場に、小割りした竹を1週間漬けて柔らかくする。

柔らかくなった竹の表皮を剥ぐ。
次に「竹ヘギ」、肉質部を0.5㎜ぐらいに薄く剥ぐ。
肉の厚い竹で12枚、薄いもので6枚くらいに剥ぐ。
「縄縒り」、縒りをかけながら長くつないでいく。縒った縄はクモデに巻きとる。
「縄ブチ」、クモデを使って縒った縄をさらに3本縒りにする。
そして、縒りかけ機で縒りをしめ、「コスリ」をして縄目をつぶす。

竹縄には、その特徴を生かしてさまざまな利用法があった。
屋根材や蚕棚の結束、井戸の釣瓶縄、下駄の鼻緒、自在鉤の結束、牛馬のくつわ、まつりの山車の土台の結束などである。
また秩父地方では、死者の棺をになうとき、必ず竹縄を1本使わなければならないとされていた。

秩父の山村の人々にとって、竹縄は日常生活になくてはならないものであると同時に、生活の糧を得る重要な手段でもあった。






<参考>
民映研『奄美の泥染め』『奄美のノロまつり1 -加計呂麻島-』(2015-12-05)

「シシリムカのほとりで アイヌ文化伝承の記録」(2015-10-23)