10月2日でちょっと前の話になりますが、民映研(民族文化映像研究所)の「シシリムカのほとりで アイヌ文化伝承の記録」の上映会を実施。
すごく面白かった。突然アイヌの方々が気になって気になってしょうがなかったのです。
そこで分かったのは、アイヌというのは生き方(Life Style)のことなんだろう、ということ。
映像になると、どうしても<アイヌ風>の演出をしてしまいがち。
記号的なアイヌになる場合がある。
この民映研の映像で映っていたのは、今の普通の洋服を着ている方々。
ただ、儀式のときだけはアイヌ模様の羽織を羽織る。
アイヌが深層で伝承してきた深い精神性が必要なときだけ、アイヌの衣をまとっていた。
それだけにRealityを感じた。
説明的な解説も最小限にされていて、説明が少ないこともとてもよかった。
見る側の判断や想像力にゆだねられている。
アイヌの技術や文化や精神性を受け継いだ方々の、自然への深い理解に由来するすごい高度な技術の数々に驚く。
食事、船造り、家づくり、漁や狩り・・・すべて自然に関わる事。自然に関する深い理解と、その背後にある見えない力に対する畏敬の念のようなものが、長い文化の伝承の中で極めて精緻に正確に伝えられていた。
日々を丁寧に丁寧に。一挙一動を丁寧に丁寧に。
そういう生活の丁寧さが伝わってきた。こういうことを現代は失っていると思う。面倒くさい、忙しい、という言い訳をして。
・条件の悪い砂地から生えている植物を貪欲に活用する。
・ヒエやアワの応用
・山菜採りは、必要以上に取らない。る
・沼に行き、蓮の実と葉を撮る。
・蓮根の実からはでんぷんの粉を取る。実を蓮の葉にくるみ、発酵させて活用。
・シダの木の皮から糸をつむぐ。シダの皮をはぐとき、シダに必要があったと謝り、そして感謝の言葉をかける。
・木の皮は木炭で煮て、糸を作り織り着物へ。植物を皮膚にまとう。
・クマの命をいただいたことに感謝し、クマの霊を送る(イヨマンテの儀式)
・竹からクマをとる槍を作る。
・大木から石器だけで船を作る。
・鮭をとる。メスの卵、オスの白子、心臓、全て塩漬けに。浮き袋にはイクラを入れて乾燥させ、子供達のおやつになる。
・鮭の頭は細かく切って、白子と長ネギとまぜておかずに。
・鮭の皮をよくなめして靴にする。鮭の命はすべて活用する。感謝する。
・植物や周囲のものだけで家を建てる。大勢で。高度な建築技術。家の心臓を祭り、備える。
・・・・・・・・
<合理的>というと、人間の頭に説明可能な物に対して使われることが多いが、ほんとうに<合理的>なものとは、自然と調和的な技術を言うのだと思った。自然の摂理や本質への深い理解に至ることこそが本当の意味での合理的であり、科学的な思考なのだと自分は思う。
ひとそれぞれ、見るときの感情やその時の意識状態で受け取るものは違うだろう。
だからこそ、映画から受け取った様々なものを、その熱を損なわないように、その場を共有している人たちと響き合いながらShareして、何か小さな、かつ新しいものが、それぞれの内的世界で創発して行けばいいな、と自分は思う。
そういうことを考えています。
姫田忠義監督の深い思いを自分たちも受け取りながら、次の世代へと受け渡していきたい。
そのためには、ちゃんと自分の中で受け止め、醸成し、自分の言葉で語れるように、自分の精神性をこそ、深め続けていかないといけないと、改めて思いあました。
ちなみに、次は12/4(金)の夜に、
・奄美のノロのまつり 1987 34分
・奄美の泥染 1989 68分
の上映会&Share会をする予定です。
民俗学は面白い。
そこでは、生活(Life)の中にすべてが詰まっている。
民映研(民族文化映像研究所)の映像には、もう故人となった映像民俗学者である姫田忠義監督の愛と情熱が静かなタッチで込められている。見るものは、そのバトンを静かに受け取り、手渡す番になるのだろう。
すごく面白かった。突然アイヌの方々が気になって気になってしょうがなかったのです。
そこで分かったのは、アイヌというのは生き方(Life Style)のことなんだろう、ということ。
映像になると、どうしても<アイヌ風>の演出をしてしまいがち。
記号的なアイヌになる場合がある。
この民映研の映像で映っていたのは、今の普通の洋服を着ている方々。
ただ、儀式のときだけはアイヌ模様の羽織を羽織る。
アイヌが深層で伝承してきた深い精神性が必要なときだけ、アイヌの衣をまとっていた。
それだけにRealityを感じた。
説明的な解説も最小限にされていて、説明が少ないこともとてもよかった。
見る側の判断や想像力にゆだねられている。
アイヌの技術や文化や精神性を受け継いだ方々の、自然への深い理解に由来するすごい高度な技術の数々に驚く。
食事、船造り、家づくり、漁や狩り・・・すべて自然に関わる事。自然に関する深い理解と、その背後にある見えない力に対する畏敬の念のようなものが、長い文化の伝承の中で極めて精緻に正確に伝えられていた。
日々を丁寧に丁寧に。一挙一動を丁寧に丁寧に。
そういう生活の丁寧さが伝わってきた。こういうことを現代は失っていると思う。面倒くさい、忙しい、という言い訳をして。
・条件の悪い砂地から生えている植物を貪欲に活用する。
・ヒエやアワの応用
・山菜採りは、必要以上に取らない。る
・沼に行き、蓮の実と葉を撮る。
・蓮根の実からはでんぷんの粉を取る。実を蓮の葉にくるみ、発酵させて活用。
・シダの木の皮から糸をつむぐ。シダの皮をはぐとき、シダに必要があったと謝り、そして感謝の言葉をかける。
・木の皮は木炭で煮て、糸を作り織り着物へ。植物を皮膚にまとう。
・クマの命をいただいたことに感謝し、クマの霊を送る(イヨマンテの儀式)
・竹からクマをとる槍を作る。
・大木から石器だけで船を作る。
・鮭をとる。メスの卵、オスの白子、心臓、全て塩漬けに。浮き袋にはイクラを入れて乾燥させ、子供達のおやつになる。
・鮭の頭は細かく切って、白子と長ネギとまぜておかずに。
・鮭の皮をよくなめして靴にする。鮭の命はすべて活用する。感謝する。
・植物や周囲のものだけで家を建てる。大勢で。高度な建築技術。家の心臓を祭り、備える。
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<合理的>というと、人間の頭に説明可能な物に対して使われることが多いが、ほんとうに<合理的>なものとは、自然と調和的な技術を言うのだと思った。自然の摂理や本質への深い理解に至ることこそが本当の意味での合理的であり、科学的な思考なのだと自分は思う。
ひとそれぞれ、見るときの感情やその時の意識状態で受け取るものは違うだろう。
だからこそ、映画から受け取った様々なものを、その熱を損なわないように、その場を共有している人たちと響き合いながらShareして、何か小さな、かつ新しいものが、それぞれの内的世界で創発して行けばいいな、と自分は思う。
そういうことを考えています。
姫田忠義監督の深い思いを自分たちも受け取りながら、次の世代へと受け渡していきたい。
そのためには、ちゃんと自分の中で受け止め、醸成し、自分の言葉で語れるように、自分の精神性をこそ、深め続けていかないといけないと、改めて思いあました。
ちなみに、次は12/4(金)の夜に、
・奄美のノロのまつり 1987 34分
・奄美の泥染 1989 68分
の上映会&Share会をする予定です。
民俗学は面白い。
そこでは、生活(Life)の中にすべてが詰まっている。
民映研(民族文化映像研究所)の映像には、もう故人となった映像民俗学者である姫田忠義監督の愛と情熱が静かなタッチで込められている。見るものは、そのバトンを静かに受け取り、手渡す番になるのだろう。