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民映研『奄美の泥染め』『奄美のノロまつり1 -加計呂麻島-』

2015-12-05 20:38:24 | 映画
神田で「奄美のノロのまつりと奄美の泥染」上映会・Share会だった。
とても素晴らしい時間を過ごしました。

「シシリムカのほとりで アイヌ文化伝承の記録」(2015-10-23)
と同じで、民映研(民族文化映像研究所)の映像です。
もう故人となった映像民俗学者である姫田忠義監督の愛と情熱が静かなタッチで込められています。
こちらには100本以上の日本の貴重な民俗学の映像が保管されているのです。
少しずつお借りしながら、仲間と上映会をしてすべて見たい!という壮大な計画なのです。


■作品紹介

◇『奄美の泥染め』
1989年31分/鹿児島県大島郡龍郷町・笠利町・名瀬市

 伝統的な衣食住には、地域の風土や歴史が色濃く反映し、
さらには地域性を超えた人間の資質の奥深さがにじみ出ている。
この映画は、奄美の泥染(大島紬の別称)の製作工程を記録すると
ともに、その奥深いものを少しでも明らかにしようとしたものである。 

 大島紬は、基本的には絹の平織りの織物だが、それが泥染と
よばれる技法で染められ、緻密なカスリ模様に仕上げられるところに
特色がある。タンニンを含んだテーチギ(シャリンバイ)の煮汁と
鉄分を含んだ、田の泥による染めの技法。奄美の泥染の名が、
大島紬の別称でもある所以である

◇『奄美のノロまつり1 -加計呂麻島-』
 1987年/カラー/34分/製作
:民族文化映像研究所/鹿児島県教育委員会委嘱

 数あるノロの神事のうち、加計呂麻島の旧暦2月、4月、6月、11月の映像である。
2月の神事(ウムケ)は女性だけで執り行われる。
毎回、手作りのお神酒をはじめ、食欲をそそるごちそうが登場する。
神事で酒食をともにするということは、栄養の摂取を超えた深い意味があるようだ。
躍動的な八月踊りとは対照的な静謐さがただよう。

<参考>(Wikipediaより)
・ノロ(祝女)は、沖縄県と鹿児島県奄美群島の琉球の信仰における女司祭。神官。巫(かんなぎ)。地域の祭祀を取りしきり、御嶽を管理する。ヌール・ヌルとも発音される。
・民間の巫女である「ユタ」とは異なる。
・琉球王国の第二尚氏王朝の第三代国王、尚真王時代に制定された神職。
・琉球の信仰はアニミズムと祖霊信仰を基本。海の彼方のニライカナイと天空のオボツカグラの他界概念を想定。
・他界に太陽神(ティダと呼ばれる)をはじめとする多数の神がおり、また生者の魂も死後にニライカナイに渡って肉親の守護神になるとされる。
・ノロはこれら琉球の神々と交信する。祭祀の間は神を憑依し、神そのものになる。ノロは神人(かみんちゅ)とも呼ばれる。
・ノロは原則として世襲制で、ノロ殿地(どぅんち)と呼ばれる家系から出る。これらの多くは、琉球王国時代に王府より任命されたもので、元々は各地域の有力按司(あじ)の肉親(姉、妹、妻など)と考えられている。



■第1部『奄美の泥染め』
<奄美の泥染>とは、大島紬のこと。
自分は母方の祖父母が奄美出身なので、奄美はいつも気になっている。

大島紬の制作過程をすべて見た。すべてに驚嘆した。衝撃的な映像だった。
なぜここまで繊細に精密に時間をかけてやるのだろうか、と言うほどに、徹底して作りこんでいる。

糸作りだけで半年くらいかけていた。
泥に染めて洗い、泥に染めて洗い、、、。
誰がこんなすさまじい行程を考え出したのだろう。
このプロセスを人が頭で考えだした、というより、歴史や時間の結果として、こうなったのだ、ということになるのだと思う。

ピタゴラスも
『時間は、この世界の魂である。』
と言っている。



これだけ時間をかけて作りこむことで、何か祈りのようなものも同時に織り込まれているようだ。

大きい部屋に、長い長い一本の糸を無数に掛け、ひとが空間を動きながら一本の糸をつくっていく。
一本一本の糸に愛をこめて織りなしていく様は、まるで空間を織り込んでいるかのようだった。


大島紬の最終完成形の布をノロと呼び、奄美や加計呂麻島の祭祀の神さまであるノロと同じ名前で呼ぶ、というのはまったく知らなかっただけにほんとうに驚いた。


■第2部『奄美のノロまつり1 -加計呂麻島-』

司祭の役割を持つノロの方や周りとの作法を見ていると、生きるということは、こんなにも日々が神聖なことだったのかと、改めて思う。

一息一息が祈りであり、一歩一歩が祈りの行為のよう。

すべての行為に愛を織り込んで生きさえすれば、すべては祈りの行為になる。
最初は誰にも分かってもらえなくても、いづれ分かってもらえる。

大島紬での糸、染め、布つくりの神聖な行程。
ノロの祭りでの音、踊り、食、すべての神聖な行程。
そこには深い場所で通底するものがあった。



Lifeはいのちであり、生活であり、暮らしである。

過去の民俗学の映像を見ると、1日1日の暮らしの中に、深い精神性、瞑想的な営み、愛や祈り、衣食住、、、あらゆるものが分かちがたく相互連関しながら存在していたことを思い出させてくれる。
ここに、日本の未来の精神性を考えていく上で、重要で剥き出しな原石があると、自分は思う。

民俗学は、本で学ぶこともできるし、旅をして足で学ぶこともできるし、地元のお年寄りとおしゃべりをして学ぶこともできるし、こうした映像で学ぶこともできる。
自分が、先人たちの祈りや思いを受けとうと思いさえすれば、手段は本質的ではなくて。


もっと昔のこと、先人たちのことを知りたいと思う。
いのちは、そうして渡され続けてきているから。
受け取らないと、次には渡せない。
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