■
東京駅八重洲口にブリヂストン美術館がある。
そこの「ヘンリー・ムア 生命のかたち」展を見てきた。
ヘンリー・ムアの彫刻で、母子像があった。
丸い丸い造形。曲線の造形。
人と人とのつながりの原型のようなイメージを感じる。
丸みを帯びたフォルムは、包み込む、そして何かを生み出すイメージ。
母と子は最初はへその緒でつながっていて、その名残が僕らの「へそ」として残っている。
誰もがからだの真ん中に「へそ」がある。
そのシンボルは絶対になくなることはない。
ひとは、最初は自分ひとりでは生きることができなくて、誰かのお腹の中で大切に育てられていた。だからこそ生まれることができた。
誰もが、守られた閉鎖的な世界から、開放的な外の世界へと飛び出す。
1が1+1となり、2になる。
そんなことをふと夢想する。
■
ヘンリー・ムアの彫刻もよかったけど、それをさておき、常設展があまりに素晴らしく感動した。
ブリヂストン美術館のスタッフの方々は、芸術を美術を絵画を愛しているんだということが伝わってくる。
ちょっとした展示の仕方なんだけど、展示の順番とか、絵同士の間隔とか、照明とか、背景の色合いとか、とても心地いいものを感じる。
■
印象派。常設展のコレクションは珠玉の名作ばかり。溜息が出るほど素晴らしかった。
個人的には、セザンヌ、マティス、ルオーの絵に、ガツンと衝撃がはしった。
セザンヌの静物画《鉢と牛乳入れ》とか風景画は、よじれて、ねじれている。
その微妙な曲線は見えない螺旋の渦巻きのようなものをつくっていて、絵に吸い込まれるような感覚に陥る。
マティスも色彩がすごい。改めて、そう感じた。
マティスは目を愉しませるための絵画を重視したと聞いたことがある。
その色彩の鮮やかさは、人の感情を微細に動かしていると思う。
ルオーは宗教的な思いを強く感じる。
現実に生きたキリストそのものを描いているような絵が多い。
色彩の重厚さと宗教的なテーマは、人の内面の奥深くを覗いているよう。
そうして、名だたる印象派の絵画が並ぶ。
新国立美術館の「オルセー美術館展」は、絵を見ているのか人の後頭部を見に行っているのか、激込みみたいだけど、ブリヂストン美術館ではゆっくりとした時間の流れで絵を見れる。
絵を都会のリズムで見るのは、辛いと思う。
その絵には、その絵の中に流れる時間がある。その時間で絵を見たい。
印象派は外にある自然を描くから、自然と共に生きてきた日本人にとって、印象派の絵画はとても心地よい絵なんだと思う。実際、印象派自体が浮世絵のジャポニズムからも多大な影響を受けているわけで。
■
そんな外的な自然を描く印象派から、人間の内面や無意識を深く掘り下げる現代絵画に、時代は流れる。
最後の辺りではカンディンスキー、白髪一雄さん、ザオ・ウーキーなどの画家たち。
ザオ・ウーキーは中国人の画家でフランスで活躍する抽象絵画の巨匠らしい。
今まで知らなかったけど、大きくうねる青は、思わず長時間見てしまう。
巨大な津波の中を走る「何か」に見えた。
その現代絵画の後にシュメールとか古代エジプトの紀元前20世紀まで時空を旅する。
近代の抽象絵画から、古代の芸術的なものへ。
■
古代エジプトのとこでは、猫の神様が飾られている。
古代エジプトでは猫は神だった。
オス猫は太陽神ラーの象徴で、メス猫は女神バストの象徴(パシュト神とも言う)。
猫の少し不可思議なところ。自由なところ。独立しているところ。
時に人懐っこく、時に計り知れないところ。
形を変える瞳、静電気を放つ毛、音を立てず歩き、闇の中で目が光る・・・
そんな多義的な猫に、宗教的な神性を感じたのだと思う。
(15世紀ころ、カトリックでの魔女狩りと共に、猫も悪魔の使い手として共に殺される憂き目にあったりもするところが、辛い歴史)
河合隼雄さんの「猫だましい」(新潮文庫)っていうすごく面白い本を読んで、猫に関するいろんなコラムが載ってる。
色々書きたいとこもあるけど、脱線しまくるので省略(河合さんってほんと知識が深い。大尊敬)。
■
そういう、印象派、現代絵画、古代。
その「流れ」が、溜息でるほどよかった。
これは、なかなか言いにくい、伝えにくい感覚。
ものごとには「流れ」っていうものがあって、その「流れ」を感じるとき、すごく深い感覚に自分が包まれる。
まさに、その「流れ」の中に自分が入り込むから。
■
ブリヂストン美術館に併設されているカフェがある。「Georgette」(ジョルジェット)。
ルノワールの「すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢」が由来らしい。
カフェ好きには、是非立ち寄ってほしい場所。
美術館のカフェ自体が、たいていどこでも素敵な空間なんだけど、
ここのカフェはとても丁寧なおもてなしを感じる。
コーヒーもスコーンも紅茶も何もかも美味しい(珈琲はお代わり自由)。
まさにカフェのお手本だと思う。
何度でも行きたいと思わせる店は、いい店だ。
東京は、行きたくなる店は多いけど、何度でも行きたくなるお店は少ない。
ブリヂストン美術館のカフェはすごくいい。すごくお薦め。
いろいろ親切にしていただいた。
そのおもてなしの心は自分にも伝わり、気持ちよく家路についた。
いい日だと、思った。
暑い日だった。そうだ。もう、8月ですね。
東京駅八重洲口にブリヂストン美術館がある。
そこの「ヘンリー・ムア 生命のかたち」展を見てきた。
ヘンリー・ムアの彫刻で、母子像があった。
丸い丸い造形。曲線の造形。
人と人とのつながりの原型のようなイメージを感じる。
丸みを帯びたフォルムは、包み込む、そして何かを生み出すイメージ。
母と子は最初はへその緒でつながっていて、その名残が僕らの「へそ」として残っている。
誰もがからだの真ん中に「へそ」がある。
そのシンボルは絶対になくなることはない。
ひとは、最初は自分ひとりでは生きることができなくて、誰かのお腹の中で大切に育てられていた。だからこそ生まれることができた。
誰もが、守られた閉鎖的な世界から、開放的な外の世界へと飛び出す。
1が1+1となり、2になる。
そんなことをふと夢想する。
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ヘンリー・ムアの彫刻もよかったけど、それをさておき、常設展があまりに素晴らしく感動した。
ブリヂストン美術館のスタッフの方々は、芸術を美術を絵画を愛しているんだということが伝わってくる。
ちょっとした展示の仕方なんだけど、展示の順番とか、絵同士の間隔とか、照明とか、背景の色合いとか、とても心地いいものを感じる。
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印象派。常設展のコレクションは珠玉の名作ばかり。溜息が出るほど素晴らしかった。
個人的には、セザンヌ、マティス、ルオーの絵に、ガツンと衝撃がはしった。
セザンヌの静物画《鉢と牛乳入れ》とか風景画は、よじれて、ねじれている。
その微妙な曲線は見えない螺旋の渦巻きのようなものをつくっていて、絵に吸い込まれるような感覚に陥る。
マティスも色彩がすごい。改めて、そう感じた。
マティスは目を愉しませるための絵画を重視したと聞いたことがある。
その色彩の鮮やかさは、人の感情を微細に動かしていると思う。
ルオーは宗教的な思いを強く感じる。
現実に生きたキリストそのものを描いているような絵が多い。
色彩の重厚さと宗教的なテーマは、人の内面の奥深くを覗いているよう。
そうして、名だたる印象派の絵画が並ぶ。
新国立美術館の「オルセー美術館展」は、絵を見ているのか人の後頭部を見に行っているのか、激込みみたいだけど、ブリヂストン美術館ではゆっくりとした時間の流れで絵を見れる。
絵を都会のリズムで見るのは、辛いと思う。
その絵には、その絵の中に流れる時間がある。その時間で絵を見たい。
印象派は外にある自然を描くから、自然と共に生きてきた日本人にとって、印象派の絵画はとても心地よい絵なんだと思う。実際、印象派自体が浮世絵のジャポニズムからも多大な影響を受けているわけで。
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そんな外的な自然を描く印象派から、人間の内面や無意識を深く掘り下げる現代絵画に、時代は流れる。
最後の辺りではカンディンスキー、白髪一雄さん、ザオ・ウーキーなどの画家たち。
ザオ・ウーキーは中国人の画家でフランスで活躍する抽象絵画の巨匠らしい。
今まで知らなかったけど、大きくうねる青は、思わず長時間見てしまう。
巨大な津波の中を走る「何か」に見えた。
その現代絵画の後にシュメールとか古代エジプトの紀元前20世紀まで時空を旅する。
近代の抽象絵画から、古代の芸術的なものへ。
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古代エジプトのとこでは、猫の神様が飾られている。
古代エジプトでは猫は神だった。
オス猫は太陽神ラーの象徴で、メス猫は女神バストの象徴(パシュト神とも言う)。
猫の少し不可思議なところ。自由なところ。独立しているところ。
時に人懐っこく、時に計り知れないところ。
形を変える瞳、静電気を放つ毛、音を立てず歩き、闇の中で目が光る・・・
そんな多義的な猫に、宗教的な神性を感じたのだと思う。
(15世紀ころ、カトリックでの魔女狩りと共に、猫も悪魔の使い手として共に殺される憂き目にあったりもするところが、辛い歴史)
河合隼雄さんの「猫だましい」(新潮文庫)っていうすごく面白い本を読んで、猫に関するいろんなコラムが載ってる。
色々書きたいとこもあるけど、脱線しまくるので省略(河合さんってほんと知識が深い。大尊敬)。
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そういう、印象派、現代絵画、古代。
その「流れ」が、溜息でるほどよかった。
これは、なかなか言いにくい、伝えにくい感覚。
ものごとには「流れ」っていうものがあって、その「流れ」を感じるとき、すごく深い感覚に自分が包まれる。
まさに、その「流れ」の中に自分が入り込むから。
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ブリヂストン美術館に併設されているカフェがある。「Georgette」(ジョルジェット)。
ルノワールの「すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢」が由来らしい。
カフェ好きには、是非立ち寄ってほしい場所。
美術館のカフェ自体が、たいていどこでも素敵な空間なんだけど、
ここのカフェはとても丁寧なおもてなしを感じる。
コーヒーもスコーンも紅茶も何もかも美味しい(珈琲はお代わり自由)。
まさにカフェのお手本だと思う。
何度でも行きたいと思わせる店は、いい店だ。
東京は、行きたくなる店は多いけど、何度でも行きたくなるお店は少ない。
ブリヂストン美術館のカフェはすごくいい。すごくお薦め。
いろいろ親切にしていただいた。
そのおもてなしの心は自分にも伝わり、気持ちよく家路についた。
いい日だと、思った。
暑い日だった。そうだ。もう、8月ですね。