日常

あれこれと

2009-09-20 00:05:26 | 雑多
連休中。
日勤とか夜勤とか。
ほとんど病院にいます。連休っぽさが全く無いわー。


メモ書き的に。

1:
時間が空くときは突然空くわけで、先週は歌舞伎を見てきた。

歌舞伎座って改装されちゃうみたいなんですよね。
銀座の歌舞伎座、見たことあります?カッコイイんですよー。
ああいうのを資本主義的価値観?で潰しちゃうのはヤだなー。
古き良きものは伝承していきたいー。無常だー。

歌舞伎自体は素晴らしかった。
勧進帳すごい!義経は悲劇の人。彼のすさまじい哀しみを感じた。

お金出してイヤホンで解説聞きながら見たら、すごくよく分かった。
出し惜しみせず、初心者は解説聞いた方が、より楽しめる。


2:
NHKのプロフェッショナルに、漫画家の井上雄彦出てたけどかっこよかったなー。
バガボントとかスラムダンク書いた、現存する最高の漫画家の一人です。

昔、ブログにも《井上雄彦『バガボンド』(2009-05-15)》って書いた。

ああいう人が同時代に生きてるってのがすごい。
今こうしているうちにも彼は呼吸をして、考えて、悩んで、漫画のキャラクターと同化しながら対話しつつ、同じように悩み苦しんで、思いを筆に託して・・。
何気ない一言が重かった。漫画への情熱を感じた。


3:
医療現場で働いていると、色々思うことがたくさんある。

看取り方とか、どこで諦めるかとか、どこから踏み込んではいけないのかとか、いろんな事柄を。


循環器とか救急医療とかって、死ぬことが敗北と考えやすくて、簡単に<勝ち負け>のようなありふれた構図に落とし込みがちで・・・・でもそれは違うと思う。


そうやって意地を張るものではなくて、僕らはプロなんだから、人の生き死にを扱うプロなんだから、助かると思う人には、助けないといけないと思う人には、誠心誠意で、自分を犠牲にして、献身的に、自分を投げ出して、全力の剥き出しの態度で助けに行かないといけない。そこに妥協はいらない。


でも、人間は死ぬものだから、死ぬという事実は受け入れないといけない。死に行く人を生き返らせることはできなくて、そこには敏感であらないといけなくて、自分の感受性を最大限にしないといけない。そこで無感覚・無感情ではいけない。

自意識過剰に、意地をはりすぎて、自分があれだけの努力をしたんだから・・というのに引きずられると、過剰で雑になる。そんな過剰さ・雑さは捨てる。

ありのままを、言葉通りありのまま見つめて、死に行く人を、あの世へと向かっていく人を、僕らは受け入れないといけない。それを見極めるのもプロの仕事なのだから。何もしないのもプロの仕事だから。というか、それがプロなんだと思う。


医療は責任回避とかリスク回避とかに終始すべきではなくて、あの人のせいだとか、あの科のせいだとか、どんどんグルグルと責任を転嫁していくべきではなくて、自分の背丈で、できる範囲で自分で責任を取らないといけない。
責任を誰も非難しないかもしれないし、追及しないかもしれないし、誰も怒らないかもしれないけれど、人の目を気にして責任をとったりとらなかったり流されるものではなくて、患者さんや患者さんの家族、そして他にもきっと周りにいる見えない人たちとも向き合って、それだけじゃなくて自分に嘘をつかずに自分とも向き合わないといけない。そこで責任が生まれてくる。


常に部分と全体を意識しないといけないし、木を見て森を見ながら、森を見ながら木を見ないといけないし、木の根っこもみないといけないし、空も見ないといけない。
部分には全体があって、全体には部分がある。そんな当たり前のことを常に意識しないと、人は分からない。

だからこそ、医療は複雑。複雑なんだけど、複雑なものを簡潔に考えながら、その簡潔さだけに陥ると、取りこぼすものも多くなる。取りこぼさないように複雑な全体のまま、ありのままとらえないといけない。それは全て同時並行的に共存しながらの出来事。



・・・・・・・・・

そんなこんなで、アレコレ悩み多き日々なわけです。