日常

行きたいところ

2010-08-17 20:08:33 | 生活
病院の裏門辺りで、遠くから人が走ってきた。

「すみません、心療内科どこですか?心療内科どこですか?」
と言われた。
話しながらもこちらの目は全く見ずに、周りをきょろきょろ見ている。
最初から最後まで一度も視線はあわなかった。


「心療内科と言っても、心療内科の医者がいる医局や研究室もあれば、心療内科の外来をやっているところもありますし、心療内科の入院棟というものもありますけど・・」
「いえ、そのどれでもありません。わたしは『心療内科』に行きたいんです。『心療内科』どこですか?」
と再度聞かれた。


「うーん。心療内科というのはあまりに漠然としていて、何をするためにそこに行きたいのかが分かれば、お答えもできるかもしれないんですけど・・・」
「わたしは『心療内科』に行きたいんです。そうとしか言いようがありません。『心療内科』どこですか?しんりょうないかどこですか・・・」
と、言うか言わないかで、今度はさらに遠くにいる女性二人組に向かって、「すみませーん」と言いながら、遠くに走っていってしまった。



たしかに、彼が求めているのは『心療内科』という心を癒してくれる場所なのだろう。
その場所は、いまだ彼の現実世界では見つかっていないようだ。
そこは現段階では具体的な場所ではなくて、抽象画のような場所にあるのだろう。


彼はその『心療内科』というまだ見ぬ場所を、果たして探すことができたのだろうか。
その探す行為自体に、心が癒されるプロセスは既に始まっているのだろうか。
その場所に近づいているのか、果たして遠ざかっているのか。
・・・・・


その場所を通るたびに、彼のことが頭に浮かんでしまいます。
「『心療内科』って、どこにあるんだろう」と思いながら。

6 コメント

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Unknown (Chie)
2010-08-17 22:43:02
あ、ふたたびコメントしたくなる出来事がありましたね。(笑)
タクシー運転手を思い出しました。
彼と今回の人、どこかで繋がっているかも知れませんね。

人にものごとを尋ねているようで実は自己完結している。

ぐるぐる、と。

なんだか再び「カッコーの巣の上で」が見たくなってしまった。

では、しばしお風呂で「火の鳥」を。



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場所 (いなば)
2010-08-18 13:39:46
>>>Chie

ほんとこういう小ネタはいっぱいあるんですよね。笑
守秘義務もあるので、仕事上での話は書きにくいのが多いんですが、こういう仕事と離れた話は書きやすい。

なんとなく異次元にいる人と話すと、こちらの世界にその人を連れ込むか、自分が向こうの異次元の世界に入っていくかどっちかなのかもしれませんが、僕は後者の性質に近くて、向こうの世界に入っちゃう。

それって、自我が弱いこどものときは特に危険な旅なのかもしれないけど、この30歳過ぎて自意識を一度作った人間としては、それなりに面白く異次元を追体験してます。

でも、あの人が去った後にも、その抽象的な概念のような世界が、なんか不思議と頭について、妙に覚えてるんですよね。
プラトンが言うイデアの世界のようなものなのかな。 この世界は、理想のイデアの世界の影にすぎないって話。人はイデアの世界を求めるらしい。

ま、そんな感じの日々です。
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小説みたい (Is)
2010-08-18 22:21:05
面白い!
ホントに、小説に出てきそうな話。
心の中の、自分の心の中にだけある「しんりょうないか」を追っているのね。
形を変えて、いろんな例が身の回りにある気がする。
お受験ママにとっての「とうだい」とか、
なんか分からないけど「あめりか」とか、
「けっこん」とか「おかね」とか…どんどん出てくる。

良き経営者って、
「世界一(せかいいち)」!って
心の中の目標がありながらも、
同時に、そこまでの道筋が超・具体的に計画されている。
ソフトバンク・孫正義社長は、
起業前に、どの分野で行くかの企画書が、一分野でファイル1m分くらい…それを40分野くらい立てて、それぞれ指標化して、コンピューターの流通から行こうと決めたらしい。

抽象の世界や影の世界って、無いのもダメだし、ソレだけでもダメだし、難しいですね。人間というものは(笑)。
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Unknown (Chie)
2010-08-18 22:49:04
小ネタいっぱいありますか。(笑)
Isさんが言うように彼にとっての「心療内科」は
形を変えてそこら中にちらばっていて、私の中にも
それに似たものはあるんでしょうね。

私もいつあっち側へ渡って、道ゆく人に「唄う銅貨を持ったカウボーイ見ませんでしたか?」って言い出すかわからない(と思う。)

実際、私が寝てる間に見てる夢なんて完全に「あっち」の人ですからね。それは結構な世界です。

先日は知らない数人と駅で待ち合わせ、黒い蛇の脱皮を見に新天地へ行く、という夢でした。

そして昨日は私が茶色いセーターを着た巨人で、鉄棒に捕まって遊んでいた様な。。。

こうやって夢で抽象や影の世界を体験することでバランスをとっているのかな。



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イメージとファンタジー (sachiolin)
2010-08-20 01:13:48
人の想像力ってすごいね。

いつだったか、チェロの先生が、
「演奏はね、イメージとファンタジーを結婚させるんだよ。」と話しておられたのが、ずっと心の網にひっかかっていたので、それがやっと紐解かれていく感じ。

その時は、イメージとファンタジーの違いも、本質的によく分かっていないままだったのだけれども。。

確かに、この前、いなばさんが話していたように、イメージは欠片のようなもので、それをつなげていくのが、ファンタジーなのかもしれないなぁ。そのつなげ方が、その人の中の物語にもなっていくのかもしれない。音楽は、物語だし。

イメージといっても、色々ある。
音、色、匂い、味、空気、かたち…
目に見えるものも見えないものも。

でも、主に、「見えないもの」がイメージであり、よくも悪くもイメージを膨らませるような気もしますね。見るってことは、人間にとってはやっぱり大きいのだろうな。

「しんりょうないか」を一路目指したこの方も、強いイメージに、引き込まれ、動かされている様子が、ありありと浮かんでくる。何かのきっかけで知った「しんりょうないか」というイメージが、この方のなかで、もうファンタジーになっていたのかもしれない。いやそれとも、イメージだけが膨らんだのかな。何れにせよ、ここら辺は、深いですね。


それにしても、いなばさん、そのうちホントに小説書けるかもねぇ。ネタが豊富だぁ。笑。









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『イメージ』への連想序曲 (いなば)
2010-08-20 16:20:10
>>>>Isくん
小説だよね。わしもそういうの空想してた。
というか、村上春樹がこういう世界なんだよね。

村上春樹を読む前って、どうも小説は<物語>ではなくて<つくり話>が多い印象があって、
誰かと誰かが不倫して恋に落ちて、なんかいろいろあったけどハッピーエンド。
みたいな話ってもう飽き飽きしてたんだよね。
同じものの焼き増しが多くて、そんな安い小説よりも
現実世界のほうがもっとすごいのあるわい!
って思ってたし。笑


そういう感じで、本は好きだったけど小説はあまり読んでなかった。
評論とか伝記とか、そういうのはよっぽど魅力的だった。
村上春樹も、そういう日本文学の変な傾向を根本から変えようとした人だったんだよね。
<ロング・グッドバイ>レイモンド・チャンドラー
の村上春樹翻訳のとこの最後のあとがきで、そういう世界文学との彼なりのはげしい格闘過程
が書かれていて、とても感動したもんです。(ヘミングウェイの文体を超えたいというような格闘とか)


『自分の心の中にだけある「しんりょうないか」を追っているのね。』
まさにイメージの世界。
この辺のIsくんとか他のみなさんのコメントに刺激されて、またブログひとつ書きました。
コメントからいろいろ刺激受けてます。

『抽象の世界や影の世界って、無いのもダメだし、ソレだけでもダメだし、難しいですね。人間というものは(笑)』
面倒くさいからどっちかに振り切れて決めたくなるんだけど、結局はその間でグジグジ悩みながら触れ続けるしかないんだと思うよねー。


>>>>>Chieさん
村上春樹の『回転木馬のデッド・ヒート 』って本。以前ブログにも感想書いた。
⇒「回転木馬のデッド・ヒート (2010-05-21)」

この本も、日常現実にあるほんとうの話で、なんか妙だなぁというものだけを集めた短編集。
僕が書いている内容に近いんです。
別に脚色とかしてないんだけど、もうそれ自体がすでにかなり変だっていう日常。
でも、意外にこういうことってすごく多いと思うんですよね。
特に東京の電車の中で会う人とか、なんかどういう生活しているのか良くわかんない人とか、独り言言ってるひととかすごく多くて。
そういう意味で、少し自分をニュートラルにして偏見をなくして生活していると、妙なことって日常にすごく多い気がするな。
というか、日常にこそそういうのが散らばっている気が。

「唄う銅貨を持ったカウボーイ」「黒い蛇の脱皮を見に新天地へ行く」「茶色いセーターを着た巨人」
いやはや、これだけで既に物語になるよね。ひとりで空想しちゃった!笑

いろんなバランスでしょうね。
意識とか無意識とかって、自分の中のことでありながらよくわからんことが多いものです。
長い付き合いの自分の親とか兄弟が何考えているのかわからんのと同じだよね笑
勝手にこちらが思い込んでるだけで、周りは全然違うこと考えてるなんてよくあると思うなあ。


>>>>sachiolin
「演奏はね、イメージとファンタジーを結婚させるんだよ。」
ってのはすごくいいですよね。
でも、どちらも適切な日本語がないのが気になるー。
もともと日本にはなかったのかなぁ。その辺不思議。

このコメントのおかげで、また新しいブログ書きましたし。笑
⇒『「イメージ」のちから(2010-08-20)』


イメージはまさにかけらだよね。
sachiolinさんがブログにときどき連載している、あの『かけら』はまさにイメージのようなものだよね。
それぞれはまだつながりがないんだけど、その一言自体の中にものすごく強い生命力のようなものを感じてしまうもの。


『何かのきっかけで知った「しんりょうないか」というイメージが、この方のなかで、もうファンタジーになっていたのかもしれない。』
そうだね。
認知症のお年よりも、僕はファンタジーの世界と同じだと思うな。
ぜんぜん違うイメージの世界で生きているんだよね。
記憶とか、僕らはあるのが常識で生きているわけだけど、認知症の人はそういうものもないし。
意識状態が変わることでリアリティーもかわっていく。
それはまさにファンタジーとしてしか言えない世界であって。


イメージの力って、無意識に人を動かすよね。彼もほんとそうだと思うな。
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