日常

映画「ノルウェイの森」

2011-02-26 22:26:35 | 映画
そういえば、映画「ノルウェイの森」は、とてもいい映画だった。

途中、息が詰まるシーンもあって、まるで息ができなくなりそうな感じだった。 
いい作品というものは、人間の奥の底の底をゆさぶるのだろう。 


春樹作品へのリスペクトのように暗示的な映像世界に魅せられた。 
トラン・アン・ユン監督は、原作を深く読み込こんだ上で、その世界観を損なわないように映画にしているのが伝わってきた。 
ほんとうにいい映画だったと思う。 


小説のノルウェイの森。
日本での売り上げは1000万部以上。
しかも、海外翻訳33言語260万部とのこと。

翻訳された言語は、
英語、アイスランド語、アラビア語、アルバニア語、イタリア語、エストニア語、オランダ語、カタルーニャ語、ギリシャ語、クロアチア語、スウェーデン語、スペイン語、スロベニア語、セルビア語、チェコ語、デンマーク語、ドイツ語、トルコ語、ノルウェイ語、ハンガリー語、フランス語、ブルガリア語、ヘブライ語、ボスニア語、ポーランド語、ポルトガル語、ラトビア語、リトアニア語、ルーマニア語、ロシア語、中国語(簡体字)、中国語(繁体字)、韓国語、タイ語、インドネシア語、ヴェトナム語
すごいものだ。
こんなひと、日本に村上春樹さんしかいない。
深い敬意を覚える。



映画「ノルウェイの森」で印象に残ったシーン。
主人公ワタナベが、学生運動のデモ隊の中をひとり歩いているところ。 

当時、学生運動をしたおとなたちは、権威や権力を否定して闘っていたはずなのに、今はそのひとたちが権威や権力をかさにきる立場になっている。
そして、その自己矛盾を恥じらいもなく受け入れている。
学生「紛争」というより、単なる「気の紛れ」でしたと言わんばかりに。

きっと、当時学生だった春樹さんは、そんな学生運動の偽善や欺瞞を感じていたはずだ。
だから、春樹さんはそういう暴力的で偽善的な手段ではなく、ほんとうにたったひとりのペンの力で世界を相手にしている。
あらゆる音楽や文学や古典を自分の血肉とし、世界文学となる作品をつくり続けている。

ほんとうの意味で、ひとりたたかい続けた人なのだ思う。不言実行。 
そんな寡黙で巨大な後ろ姿のようなものを、映画のワンシーンから感じてしまった。 



あとひとつ、映画「ノルウェイの森」で印象だったシーン。
「キズキ、お前は死んでしまったかもしれないけど、おれは生きていくことに決めたんだよ。」
とワタナベが言うシーン。
強い覚悟と決意。

死を自分の中に受け入れ、死者の思いを運ぶ。
それが、今生きている人間の大事な役目のひとつなのだろう。


自分も、いませっかく生きているのだから、
生きているからこそできることを、ちゃんとやらないといけないなと思う。



そうして、もう一度原作の小説版「ノルウェイの森」を読むと、さらに深く感じ入るものがあった。

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村上春樹「ノルウェイの森」 
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『あまりにも克明な地図が、克明にすぎて時として役に立たないのと同じことだ。
でも今はわかる。結局のところ
文章という不完全な容器に盛ることができるのは不完全な記憶や不完全な想いでしかないのだ。』
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『まるで魂を癒すための宗教儀式みたいに、我々はわきめもふらず歩いた。』
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『永沢さんはいくつかの相反する特質をきわめて極端なかたちであわせ持った男だった。
・・・・・・
人々を率いて楽天的にどんどん前に進んでいきながら、
その心は孤独に陰鬱な泥沼の底でのたうっていた。
・・・・・・
この男はこの男なりの地獄を抱えて生きているのだ。』
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『蛍が消えてしまったあとでも、
その光の軌跡は僕の中に長く留まっていた。
目を閉じた分厚い闇の中を、そのささやかな淡い光は、
まるで行き場を失った魂のように、
いつまでもいつまでもさまよいつづけていた。
僕はそんな闇の中に何度も手をのばしてみた。
指は何にも触れなかった。
その小さな光はいつも僕の指のほんの少し先にあった。』
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『この連中の真の敵は国家権力ではなく想像力の欠如だろうと僕は思った。』
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『僕にわかるのはキズキの死によって
 僕のアドレセンスとでも呼ぶべき機能の一部が
 完全に永遠に損なわれてしまったらしいということだけだった。』
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『その食堂の雰囲気は特殊な機械工具の見本市会場に似ていた。
限定された分野に強い興味を持った人々が限定された場所に集って、
お互い同士でしかわからない情報を交換しているのだ。』
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『あの思春期の少女特有の、
それ自体がどんどんひとり歩きしてしうような身勝手な美しさ
とでもいうべきものはもう彼女には二度と戻ってこないのだ。』
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『でも彼の場合は自分の中の歪みを全部系統だてて理論化しちゃったんだ。
ひどく頭の良い人だからね。
あの人をここに連れてきてみなよ、二日で出て行っちゃうね。
これも知ってる、あれももう知ってる、うんもう全部分かったなんてさ。
そういう人なんだよ。
そういうひとは世間では尊敬されるのさ。』
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『あなたは私と外の世界を結びつける唯一のリンクなのよ』
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死は生の対極としてではなく、その一部として存在する。

言葉にしてしまうと平凡だが、そのときの僕はそれを言葉としてではなっく、ひとつの空気のかたまりとして身のうちに感じたのだ。
文鎮の中にも、ビリヤード台の上に並んだ赤と白の四個ボールの中にも死は存在していた。
そして我々はそれをまるで細かいちりみたいに肺の中に吸い込みながら生きているのだ。』
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『私もそういう病んだ人たちをたくさん見てきたからよく分かるの。
あの子は体の芯まで腐っているのよ。
あの美しい皮膚を一枚はいだら中身は全部腐肉なのよ。
でもそれは世の中の人にはまずわからないし、
どう転んだって私たちには勝ちめはないのよ。』
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『ねえ知ってる?
世の中にはいろんなものを押しつけたり押し付けられたりするのが好きな人ってけっこう沢山いるのよ。
そして押し付けた、押しつけられたってわいわい騒いでるの。そういうのが好きなのよ。』
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『おいキズキ、と僕は思った。
お前と違って俺は生きると決めたし、それもおれなりにきちんと生きると決めたんだ。
・・・・・・・・・
そして俺は生き続けるための代償をきちっと払わなきゃならないんだよ。』
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『どのような真理をもってしても愛する人を亡くしてしまった哀しみを癒すことはできないのだ。
どのような真理も、どのような誠実さも、どのような強さも、どのような優しさも、その哀しみを癒すことはできないのだ。
われわれはその哀しみを哀しみ抜いて、そこから何かを学び取ることしかできないし、
そしてその学び取った何かも、次にやってくる予期せぬ哀しみに対しては何の役にも立たないのだ。 』
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『そこでは死とは生を構成する多くの要因のうちのひとつでしかなかった。
直子は死を含んだままそこで生きつづけていた。
そして彼女は僕にこう言った、
「大丈夫よ、ワタナベ君、それはただの死よ、気にしないで」と。』
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『あなたがもし直子の死に対して何か痛みのようなものを感じるのなら、
あなたはその痛みを残りの人生をとおしてずっと感じつづけなさい。
そして、もし学べるものなら、そこから何かを学びなさい。
でもそれとは別に緑さんと二人で幸せになりなさい。
あなたの痛みは緑さんとは関係ないものなのよ。
これ以上彼女を傷つけたりしたら、もうとりかえしのつかないことになるわよ。
だから辛いだろうけど強くなりなさい。
もっと成長して大人になりなさい。』
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