先日、3ヶ月ほどの助走期間を経て準備していた、極めて難易度の高いことをした。
ひとつひとつのすべての行動に精密で正確な集中が必要とされた。
心の事前準備として、古典的だがろうそくの光を見つめてみると、自分の頭の中が投影されるような気がして、落ち着いた。
自分の意識の部分が、一つの集合体として全体化され自己組織化されていくのを感じる。
自分の中の小さく些細な感情は支流となり、一つの大河にとっての欠くことのできない要素となるまで、待つ。
小さい火が無数に集まり、炎が一つとして感じられるようになるまで。
自分の内側と外側とは、不思議な対応関係があるようだ。
外側の光は、内側の生命の光と対応していると、身体感覚で感じる。
心理学者のユングは、晩年にボーリンゲンの畔で石組の塔を建てていたが、それは自分の人生に生と死を付置づける内的作業と対応関係にあったようだ。村上春樹さんの1Q84にもその一節が少し出てきた覚えがあるが、そのことは時々ふと思い出す。
自然界を観察していると、学ぶべきことばかりだ。
外の世界を精密に観察することは、結果として内の世界を精密に観察することと等価だと思う。
大学構内の昼下がり。自転車で走っていると空間がいつもと違うのを感じた。
大気中の光と水の質感が変化したのを感じる瞬間がある。
きれいな光が空間を浸透していたためかと思い、光と水の感覚を頼りに思わずシャッターを切った。
雨上がりは、空気に水が満ち満ちている。
目に見えないが、間違いなく今目の前にも水はある。水は固体、液体、気体の間をさまようように移動している。
美しい日と感じる時は、光が空間を乱反射して動き回っているような気がする。
そのときに虹を2回見た。
全体の虹ではなく部分的な虹。
そうした何気ない瞬間に幸運な日だと思う。
ひとつひとつのすべての行動に精密で正確な集中が必要とされた。
心の事前準備として、古典的だがろうそくの光を見つめてみると、自分の頭の中が投影されるような気がして、落ち着いた。
自分の意識の部分が、一つの集合体として全体化され自己組織化されていくのを感じる。
自分の中の小さく些細な感情は支流となり、一つの大河にとっての欠くことのできない要素となるまで、待つ。
小さい火が無数に集まり、炎が一つとして感じられるようになるまで。
自分の内側と外側とは、不思議な対応関係があるようだ。
外側の光は、内側の生命の光と対応していると、身体感覚で感じる。
心理学者のユングは、晩年にボーリンゲンの畔で石組の塔を建てていたが、それは自分の人生に生と死を付置づける内的作業と対応関係にあったようだ。村上春樹さんの1Q84にもその一節が少し出てきた覚えがあるが、そのことは時々ふと思い出す。
自然界を観察していると、学ぶべきことばかりだ。
外の世界を精密に観察することは、結果として内の世界を精密に観察することと等価だと思う。
大学構内の昼下がり。自転車で走っていると空間がいつもと違うのを感じた。
大気中の光と水の質感が変化したのを感じる瞬間がある。
きれいな光が空間を浸透していたためかと思い、光と水の感覚を頼りに思わずシャッターを切った。
雨上がりは、空気に水が満ち満ちている。
目に見えないが、間違いなく今目の前にも水はある。水は固体、液体、気体の間をさまようように移動している。
美しい日と感じる時は、光が空間を乱反射して動き回っているような気がする。
そのときに虹を2回見た。
全体の虹ではなく部分的な虹。
そうした何気ない瞬間に幸運な日だと思う。
なかなか撮れないです。
きれいな、青い光に七色の光が
回っているような。
そういうのが見たいなあと思っていたら、
青い光は見えてきたけど、
虹色にはなかなかならない。(笑)
自分も毎日毎日、飽きもせず光の変化を観察し続けていますが、いつもカメラを持ち歩いているわけではないので、あー撮りのがしたー、と地団太踏む日がよくあります。