日常

襲名

2016-10-11 19:16:37 | 生活
朝、太陽の光がきれいだったので植物園に行った。

草木の中で光を見ていると、植物と光とは相互反応を起こし色でコミュニケーションをしているような気がする。

植物の緑が変化する。
ただ、植物が変化しているのか、認識している自分自身が変化しているのかは、分からない。 




























花は受精器官が露出しているのでエロスや生命感を感じる。





歌舞伎座に行った。
というのも、中村橋之助さんの八代目中村芝翫の襲名だったから。
同時に息子さん3人の襲名でもあった。(中村国生(長男)改め 四代目中村橋之助、中村宗生(二男)改め 三代目中村福之助 、中村宜生(三男)改め 四代目中村歌之助)。


襲名は一生に一回で特別な日だから、関係者はみんなソワソワして浮足立っていて、その様子も含めてワクワクどきどきする。

同じ名前を襲名していくというシステムは、歌舞伎や伝統芸能だけではなく、一般人にも適用すると面白いと思う。
そうすると、もっと祖先や先祖のいのちを受け取っていることを強く自覚できるだろう。
氏名には使命が込められているものだ。
人の顔にも、物理的に様々な祖先の「かたち」が刻印されて重なり続けていると思う。


歌舞伎は江戸時代に生まれた庶民の娯楽だ。
娯楽は数多く生まれ、ほとんどが消えていったと思うが、歌舞伎だけが残ったのはなぜだろう。
おそらく、動き方や声の出し方、謡い、舞、鼓・・・など、身体言語として残っている「型」を、文句を言わずそのまま受け継いできたからだと思う。
先人の様々な体の知恵が含まれているからこそ、時の流れに耐えうる強さとしなやかさを持ったのだと思う。


中村芝翫さんはもちろん、中村橋之助さん、中村福之助さん 、中村歌之助さんの存在感は素晴らしかった。



歌舞伎は、能とまったく違うので、そういう比較としても面白く楽しめる。
エンターテイメント性が大きく、現代の人も楽しめるようになっている。
ただ、歌舞伎を経由して能を見てもらえば、能が描く抽象画の世界にしびれるとも思う。
能楽は、観客がイメージを付与しない限り、永遠に完成しないものだからだ。










帰路。
宇多田さんのアルバム広告が思わず目にとまった。
宇多田さんの存在が、夜の銀座でも圧倒的な光を放っていた。