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第一次大極殿内部

2010年10月27日 | 奈良・飛鳥時代

 平城京前期(715年の大極殿完成から740年の恭仁京遷都まで)に政治・儀式の場であった第一大極殿の内部に入ると朱塗りの柱や支輪板、身舎天井板と云われる天井部分の朱塗り木組みとと彩色画を見ることができます。 上部壁面には奈良在住の日本画家・上村淳之氏制作の神獣「四神」と 「十二支」の壁画が描かれています。 もちろん東面に青龍、西面に白虎、南面に朱雀、北面には玄武が配置されて描かれ、 京都の町を守る四神、高松塚古墳やキトラ古墳の石室壁にみられる壁画と同じです。  

        北の玄武 (足の長い亀に蛇が巻き付いたような獣)             南の朱雀(翼を広げた鳳凰のような獣鳥)

  

              東の青龍(長く舌を出した竜)                         西の白虎(細長い体をした白い虎) 

  

因みに京都の四神を象徴するものとして北には高山(舟岡山)、南には沢畔(巨椋池)、東には流水(鴨川)、西には街道(山陰道)があります。  中央には天皇が着座した玉座・高御座が据えられています。 王の椅子のことを「王座」といいますが、「玉座」はさらに上位(皇帝や神)の椅子を指す言葉として使い分けられるようです。 古代から玉座は王位継承者が即位した時の戴冠式や君主が他の者に対して地位を誇示するために使用されていたもので、「玉」が高価なものとされていた古代中国で、高い地位の者が玉で作られた椅子を使用したことが語源である。 ところでこの玉座、第45代聖武天皇はもちろんですが、第44代元正天皇と第43代元明天皇も座っています。 平城京といえば、正倉院展などでもお馴染みの聖武天皇の都ですが、 実は平城京の建設を夢見たのは第41代持統天皇なのです。 藤原氏の繁栄をもたらした藤原不比等とともに歩んだ持統女帝は、長安の都を夢見て阿閉皇女(後の元明天皇)とともに平城の地の下見を行い、建設の先駆者として活動しますが、715年の完成を見ずに703年に崩御します。 元明天皇の子・軽皇子も天武天皇として即位したものの若くして707年に崩御し、そのとき文武の子・首皇子(後の聖武天皇)も6歳であったことから、中継ぎ役として元明の子・氷高皇女が即位して元正天皇となります。 従って、第二次大極殿の玉座に座ったのは元明・元正・聖武の3人の天皇ということになります。

                 元明・元正・聖武の3人の天皇が坐った玉座 高御座上部には鳳凰が形どられている

  

そして大極殿の屋根の両端には魔除けの飾りの一種である鴟尾(しび)が配置されていますが、この原寸大模型(高さ約2m)も展示されていました。 名古屋で見られる鯱(シャチホコ)も屋根の両端に飾られた魔除けの飾りですが、これは鴟尾が唐末期の時代に変形したものです。 またこの大極殿の建築に使われた種々の建築材料(柱材、瓦、飾り金具など)なども展示されていました。 

  

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