今回のロケ地は阪急十三駅近くの淀川河川敷周辺
夏には花火大会が開催されるとこでも知られています
モデルは大阪出身の松原三絢さん
江戸時代の享保17年(1734年)に書かれた大和志という書物には 「葛上郡今木双墓在古瀬水泥邑、与吉野郡今木隣」 とあり、現在の御所市大字古瀬小字ウエ山の水泥北古墳と、隣接する円墳・水泥南穴古墳とが、日本書紀にいう蝦夷、入鹿の双墓に当たると古くから云われていた。 この伝説を頼りに奈良県の古瀬を訪れたのですが、客観的に考えると南北水泥古墳が蘇我蝦夷と入鹿親子の墓という説よりも、巨勢氏という有力豪族の墓ではないか、と思えてきた。 古瀬の地には、当時の巨勢氏の首長の墓とみられる大規模な横穴式石室を持つ古墳がたくさん残されているということと、乙巳の変で殺された入鹿と、その直後に自害した蝦夷が、これほど巨大な墓に葬むられることは考えにくい点にある。 蘇我氏が栄華を誇った蘇我馬子の時代の場合には、石舞台古墳は考えられるが、蝦夷・入鹿がなくなった時は、蘇我氏宗本家が滅亡し、諸豪族のほとんどが中大兄皇子側についたのであるから、 ここまで規模の大きい墓を作ることは考えられない。 従って宮山古墳、水泥北古墳、水泥南古墳などは巨勢氏の墳墓だとする説が真実ではないかと思える。
では、巨勢氏とはどのような豪族であったのか。 巨勢氏は孝元天皇から派生する氏族の中で、武内宿禰の子である巨勢小柄宿禰を祖とし、葛城氏の衰退と入れ替わるように大和盆地南部に勢力を拡充させています。 6世紀のはじめ、武烈天皇は世継ぎに恵まれず、血統断絶の危機を迎え、北陸地方にいたとされる継体天皇が擁立されることになります。 その擁立を強力に押し進めた人物のひとりが巨勢男人であり、継体天皇の即位を契機に巨勢氏の権勢は大きくなり、絶頂期を迎えます。 継体天皇の元年に巨勢男人は大臣となり、娘の紗手媛・香々有媛はいずれも安閑天皇妃となり、継体天皇の即位を支援したことにより巨勢氏の権勢は大きくなります。(500年頃) しかし、 蘇我氏連合軍が物部氏を滅ぼした丁未の乱(587年)では巨勢臣比良夫が蘇我軍に従軍していることから、巨勢氏は蘇我氏の配下となっていることがあわかる。
乙巳の変で中大兄皇子と中臣鎌足らは蘇我入鹿を皇極天皇の御前で討ち取った後、 東漢氏は一族を終結して蘇我蝦夷の邸宅に軍陣を設けますが、そのときに中大兄皇子の命令で降伏の説得に赴き、軍陣を解かせたのが巨勢徳太である。 実は巨勢氏は蘇我氏と密接なつながりを持ち、巨勢徳太は蘇我入鹿の側近として仕えており、入鹿が山背大兄王一族を襲撃したときには軍の指揮を執っています。 こうした繋がりから乙巳の変直後の蝦夷説得に中大兄皇子が徳太を派遣した理由が伺えます。 そしてその功により大化5年には徳陀古(日本書紀では巨勢徳太)は左大臣となります。 天武天皇13年に黒麿は巨勢朝臣姓を賜うなど繁栄を続けています。
春日大娘皇女
但馬清日子孫┓ 宮主宅媛 ┣橘仲皇女
葛城高額媛 ┣雌鳥皇女 荑媛(葛城蟻臣娘) ┣白香皇女
┣神功皇后170-269┣菟道稚郎子皇子 ┣ 飯豊青皇女440-484┣武列天皇
息長宿禰王┃ ┣矢田皇女 ┣ 億計王(24代仁賢天皇)袁祁命449-498
┣ 15代応神天皇-394(誉田別尊) 黒媛 ┣ 弘計王(23代顕宗天皇)意祀命450-487
1414代仲哀天皇┣ 荒田皇女 ┣ 市辺押磐皇子(忍歯王)-456
┣ 麛坂皇子 ┣ 16代仁徳天皇257-399 ┣ 御馬皇子
┃ ┣ 根鳥皇女┃ ┣ 飯豊青皇女(記紀)
┣ 忍熊皇子┏仲姫命 ┣ 17代履中天皇319-405(阿智使主、平群、物部が舎人)
大中姫 ┣高城入媛 ┣ 住吉仲皇子(安曇連、倭直の海人族が舎人)
品陀真若王┛┣大山守 ┣ 18代反正天皇336-410
応神天皇 ┣ 19代允恭天皇 -453
┏━ 磐之媛命 ┣ 木梨軽皇子━━━━━━━━━━┓
開化天皇┃ 仁徳天皇 ┃長田大郎女 ┃
┣和気王┃ ┃ ┏ ┃┻眉輪王┣ ┃
鸇比売 ┃ ┣ 大草香皇子┣ 20代安康天皇(穴穂皇子)401-456 ┃
垂見宿禰┛ ┃ ┣ 若日下部命┣ 軽大娘皇女━━━━━━━━━━┛
┗□□┓ ┃ 日向髪長媛 ┃ ┣ 境黒彦皇子 和珥童女君
甘美内宿禰 ┃ ┗ ┃━┓ ┣ 春日大娘皇女
武内宿禰 ┣ 葛城葦田宿禰 ┣ 21代雄略天皇(大長谷王)418-479
┣葛城襲津彦-347┣葛城玉田宿禰┃ ┣ 磐城皇子 ┃
┃ ┃ ┣葛城円 ┃ ┣ 星川稚宮皇子┃
┣蘇我石川宿禰 ┃ ┗毛媛 ┃ 吉備稚媛 ┣ 22代清寧天皇444-484
┣平群木菟宿禰 ┃吉備臣┃┏━┃━┛ ┣ 稚足姫皇女
┣紀角宿禰 ┃ ┗田狭 ┣ 八釣白彦皇子 ┏葛城韓姫
┣羽田矢代宿禰 ┣黒媛 応神┓┣ 坂合黒彦皇子 葛城円
┗巨勢小柄宿禰 ┗葛城蟻臣 ┣忍坂大中姫
┃ ┗荑媛 ┗衣通姫(そとおりひめ)
┗□-□-巨勢男人-529
┣胡人-巨勢徳太-658-巨勢黒磨
┣紗手媛 (安閑天皇妃)
┗香香有媛(安閑天皇妃)
春日大娘皇女
24代仁賢天皇449-498 ┣-
┣ 第25代武烈天皇(小泊瀬稚鷦鷯尊)489-507 大臣:平群真鳥
┣ 春日山田皇女 堅塩姫(石川渡来系豪族)
┣ 手白香皇女 ┣ 大兄皇子(第31代用明天皇)
春日大娘皇女 ┃ ┣ 磐隈皇女,臘嘴鳥皇子,額田部皇女,椀子皇女
┃ ┣ 大宅皇女,石上部皇子,山背皇子,大伴皇女
┃ ┣ 桜井皇子,肩野皇女,橘本稚皇子,舎人皇女
蘇我石川宿禰 ┃ ┣ 豊御食炊屋姫(推古天皇)
┗木満致 ┣ 第29代欽明天皇 509-571 ┣ 菟道貝鮹皇女
┗韓子 ┃ ┣32代崇峻天皇 ┣八田大兄皇子┣ 竹田皇子
┗高麗 ┗┓ ┣茨城皇子 ┣第30代敏達天皇
┗稲目 ┃ ┣穴穂部間人皇女┣笠縫皇女 ┣ 押坂彦人大兄皇子
┣堅塩姫 ┃ ┃┃ ┃ 広姫(息長真手王・娘)
┣小姉君 ┃ ┃┃刀自古郎女 ┃-623
┣巨勢麻呂┃ ┃┃┣山背大兄王┃595-643
┗馬子 ┃ ┃┃┣財王 ┃
当麻倉首比里古 ┃ ┃┣厩戸皇子 ┃574-622
┗━━━━┃━ ┃┃伊比古郎女 ┃
┃ ┃┃┣麻呂子王 ┃
┃ ┃用明天皇 ┗━┃┓
┃ ┣穴穂部皇子 ┃┣□-□-当麻公広嶋・当麻公広麻呂
┃ ┣宅部皇子 ┃舎人皇女
┃ 小姉君(物部系) ┃
振姫 ┃橘仲皇女(顕宗天皇娘┃
┣ 第26代継体天皇450-531┣石姫皇女
┃ ┃ ┣小石姫皇女(欽明妃)
┃ ┃ ┣倉稚綾姫皇女(欽明妃)━石上皇子
┃ ┃ ┣上殖葉皇子(欽明妃)
┃ ┣ 神前皇女 ┃ ┏日影皇女(欽明妃)━倉皇子
┏ 迂斯王 ┣ 第28代檜隈高田皇子(宣化天皇)467-539
┏ □ ┣ 第27代勾大兄皇子(安閑天皇)466-536
┏ 大郎子 目子媛(尾張連草香の女) ┃┃┃┃
┣ 伊自牟良君 ┃┃┃春日山田皇女(仁賢天皇皇女)
美美濃美濃豪族娘(息長氏系?) ┃┃紗手媛(許勢男人大臣の女)
┃香香有媛(紗手媛の妹)
宅媛(物部木蓮子大連の女)
さて、古瀬の地一帯は、万葉に歌われた巨勢山であり、平安時代に巨勢川が氾濫したときに阿吽法師なるものがきて、避難民を救済した。 人民は法師を崇めて玉椿精舎に請住せしまたという。玉椿精舎とは巨勢寺のことであり、さきの謂われから阿吽寺の名が起こり巨勢寺の子院となったものと考えられる。
巨勢寺の子院 阿吽寺