久米島守備隊住民虐殺事件のことを知る沖縄県民は多い。久米島守備隊の兵曹長は鹿山正(当時32歳)である。1944年、沖縄県の久米島に配属になった鹿山正は、40人ぐらいいた日本海軍守備隊の指揮官として、配属となる。1945年6月26日、久米島にアメリカ軍が上陸した翌日、投降文書を持ってきた仲里村民を、「敵に寝返ったスパイ」として鹿山正が殺害したのである。もちろん一介の下士官・鹿山正には殺害する権利などはなく、海軍刑法・陸軍刑法・国内法違反である。その後、具志川村北原区長ら四家族9人の殺害などを含めて70人以上の住民殺害に関与したことで、「久米島守備隊住民虐殺事件」として、語りづがれることとなる。鹿山正を含む守備隊は、沖縄県警糸満署によって捜査されたが、事件の重大さより連合軍総司令部に送致された。そして「国外に於ける事犯であるため取り上げられない」との回答により、鹿山正らは、戦犯としてまた殺人罪等の刑事責任を問われることはなかったという。戦後30年が経過した頃、鹿山正は殺害の事実を認めるものの、「いまは戦争を罪悪視する平和な時代だから、あれも犯罪と思われるかもしらんが、良心の呵責もない。ワシは日本軍人としての誇りを持っていますよ」という発言を残している。
戦後戦犯で戦争なのだから仕方ない・・・という言い分なのだろうが、罪なき住民を下士官の判断で殺害することのどこに正義があろうか。また久米島の住民が明らかにスパイであったとしても、軍法会議等の最低限の措置が必要なのである。従って鹿山正を弁護する余地は微塵もない。なのに鹿山正は戦後裁かれることなくのうのうと生きながらえた。鹿山正に関わらず、未だに大本営のトップは何ら謝罪することもなく現在に至っている。恐らくこのような責任は誰にもとられることなく闇に葬られるのだろう。

























































