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奈良・古瀬にある宮山古墳

2010年10月24日 | 陵 古墳 墓 遺跡
 今回奈良県の古瀬をめぐって最後に訪れた古墳が宮山古墳といって室大墓とも呼ばれている巨大な前方後円墳です。 全長238m、後円部径105m、後円部高25m、前方部幅110m、前方部高22m 前方部が南西に向いており、築造は古墳時代・中期(5世紀前半)で、古瀬地方に数多くある古墳の中ではかなり年代は古くなりますので、豪族・巨勢氏のものではありません。 当時の天皇陵墓にも匹敵する全国で第18位の大きさを誇り、葛城襲津彦の墓とも武内宿禰の墓とも云われています。 というもの、武内宿禰は蘇我氏、巨勢氏、平群氏、葛城氏、紀氏、波多氏、江沼氏の祖先で、古墳の築造時期と一致し、また葛城襲津彦が活躍し た時期と重なるためにそう云われているのである。 

 葛城襲津彦は第16代 仁徳天皇の皇后となった磐之媛の父にあたる人物で、 神功皇后5年の頃、朝鮮半島の戦で数々の武勲をあげています。  「日本書紀」によれば、葛城襲津彦は新羅から来ていた人質を送っていき、途中でその人質に逃ら れ、そこで新羅に入って戦い、捕虜を連れて帰還すると、これらの捕虜を葛城の桑原・佐味・高宮・忍海辺 りに住まわせたという。 その付近は巨勢山古墳群と呼ばれており、 700基以上に及ぶ全国屈指の群集墳地域です。 ところで、この宮山古墳の頭頂部へいくと、「王の柩」とされる長持形石棺を竪穴式石室に安置されたままの状態で見ることができる貴重な古墳となっているということを後で知り、石室を見ずに帰ってしまったことが残念です。 時間の都合でこの時は古墳をじっくりめぐることができませんでしたので、また改めて巨勢古墳群を探索してみたいと考えています。   「孝安天皇陵」「日本武尊白鳥陵」 は以前に訪れていますので、極めて珍しい石棺、巨大な石室があるという「條ウル神古墳」などは是非、というところです。

  
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