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葛上郡今木双墓・水泥北古墳

2010年10月22日 | 陵 古墳 墓 遺跡
 狭い県道沿いにある水泥南古墳はすぐに見つかったのですが、隣にあるはずの水泥北古墳が見当たらない。 たまたま県道沿いで畑仕事をしていた地元の人に水泥北古墳のことを尋ねてみると、すぐに教えていただきました。 驚いたことに、その古墳は民家の裏庭にあるという。 丁度そのお宅の玄関が開いていたので聞いてみると、たしかに水泥北古墳は裏庭にありました。 快く古墳を案内して頂き、古墳の説明だけではなく、出土品の説明までしていただき、蘇我入鹿の墓以上の興奮しきりでございました。 水泥北古墳は双墓のひとつであり、詳細については水泥南古墳のところで済みましたので省略するとして、 ここ水泥北古墳は蘇我蝦夷の墓と云われている古墳で、直径20mの円墳には両袖式の横穴式石室を有します。 蘇我馬子の墓といわれる石舞台古墳に匹敵する規模には驚きをかくせません。

                                       石室・羨道の入り口 と 高さ3.3mにも及ぶ玄室を持つ水泥北古墳  

   

 石室の全長は13.4m、玄室の長さ5.6m、幅2.9m、高さ3.3mの大規模なもので、水泥南古墳よりも一回り大きな石室は二上山から運ばれたと思われる巨大な花崗岩を利用して構築されている。 6世紀中葉の構造とされ、現在石棺は存在しないが、凝灰岩の破片が出土しており、元々は石棺が安置されていた。 水泥南古墳と同様に盗掘にあっていて装飾品などの出土はなかったが、円筒状の排水管が出土していて、ここのお宅のリビングに保管されていた。 円筒状の排水管は、飛鳥寺から出土した瓦と同じ焼きで、連結のための結合部もあり石室の排水に使われた非常に珍しいものである。

                                 出土品は高杯・台付壺・土器・耳環・排水管

  
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