一介の油商人から戦国時代の象徴・美濃の国主となった斉藤道三の父は京都妙覚寺の法華宗僧侶で、美濃の侍となったときは西村と称し、美濃の有力者「長井家」に仕官、そこからさらに長井氏に紹介されて、その主人の「土岐頼芸」に仕える事となり、頼芸の側室を与えられます。しかし、彼の主人・土岐頼芸は、美濃の大名・土岐政頼とは不仲で、1527年、頼芸と共に夜襲、大名政頼を追放します。こうした急激な台頭に、長井氏も疎ましく思うと道三は長井家を乗っ取り、長井家の城 「稲葉山城」を居城とします。さらに「稲葉一徹」といった豪族を味方に引き入ます。そして、元々美濃の守護職にあった「斉藤家」を継いで 「斉藤氏」となる。道三は娘・帰蝶を土岐頼純に嫁がせると、その一年後には何故か土岐頼純死亡。次いで帰蝶を弟の土岐八郎に嫁がせると、何故か八郎は自害。道三は、土岐頼芸を孤立させたところで追放します。しかし、かつての美濃の大名「土岐家」は、美濃を取り戻そうと尾張の織田家に協力を要請、攻撃を仕かけて来ると、道三は、娘を織田家に嫁がせる事にします。相手は、尾張の風雲児「織田信長」です。斉藤道三は国内の土岐家の勢力や、土岐家に恩のあった家臣達を牽制するために、元 土岐頼芸の側室(深芳野)の妻の生んだ長男、「斉藤義龍」に家督を譲ります。義龍は土岐頼芸の子だという噂があり、道三はこれを利用して義龍に家督を譲る事で、国内の土岐家寄りの勢力をなだめようとしたのですが、その大人しい性格から、一度は義龍に家督を譲りましたが、後にそれを撤回、他の兄弟に国を継がせようとします。しかしそれが土岐家寄りの家臣達の感情を逆なでする事になり、そして義龍自身も、自分が道三によって廃されようとしているのを悟ります。1556年、斉藤義龍は他の兄弟を襲ってこれを討ち倒すと、斉藤道三を襲い、62 才にて命を失いま。(長良川の戦い) その後、斉藤義龍は、美濃の支配を強化し続けますが、1561年、34 才で病没します。後を継いだ「斉藤龍興」は僅か14 才であり、1567 年、織田家の攻撃によって美濃・稲葉山城は占領され、斉藤家は滅亡することとなります。後に稲葉山城は岐阜城と名を改め天下布武を掲げた。そうした斉藤道三の娘で織田信長の正室となったのが濃姫である。
明智光継1468-1538明智長山城主 清和源氏の土岐氏支流
┣明智光綱1497-1535
┃ ┣明智光秀?-1582
┃ ┃┣明智光春室
┃ ┃┣明智光忠室
┃ ┃┣珠(細川ガラシャ)1563-1600 丹後幽閉@1582
┃ ┃┃ ┣細川忠隆1580-1646
┃ ┃┃ ┣細川興秋1583-1615
┃ ┃┃ ┣細川忠利1586-1641
┃ ┃┃細川忠興1563-1646 縁@1584
┃ ┃┣織田信澄室
┃ ┃妻木煕子?-1576
┃お牧の方
┃藤田伝五(明智重臣)?-1582
┃
┣明智光安1500-1556
┗小見の方(正妻)1513-1551
┣濃姫1535-1612帰蝶 信長との縁組は和睦の証
┃ ┣信忠(養子)
┃ ┏織田信長1534-1582
┃織田信秀1511-1552 ⇔ 格上の今川氏
┣斉藤孫四郎?-1555 義龍に殺害
┣斉藤喜平次?-1555 義龍に殺害
斉藤道三1494-1556 ⇔ 稲葉良通1515-1589(道三の家臣)
┃利政 ┣稲葉貞通 正室:斎藤道三娘
┃岐阜常在寺で出家 ┣稲葉典通 正室:丹羽長秀娘
┃ ┗稲葉一通 正室:細川忠興娘・多羅
┃
┃長井家に仕官 ⇔ 織田信秀1515-1589(道三の家臣)
┃土岐家に仕官 ┣お市1547-1583
┃ ┣信長1534-1582(本能寺の変1582で、重臣・明智光秀に討たれる)
┃ 土田御前?-1594
┣斉藤義龍1527-1561(土岐頼芸の子とも言われている)1554家督相続〇⇔✖道三1556長良川の戦い
┃ ┗斉藤龍興1548-1573
深芳野(側室)?-? ┏土岐頼芸1502-1582の愛妾、稲葉通則の娘、稲葉良通の姉 朝倉孝景急死に伴い美濃追放1548
┃ ↕
┗土岐頼武(政頼)?-?⇔斉藤道三
┣土岐頼純1524-1547
朝倉貞景・娘 ┣
帰蝶(濃姫・北の方)1535-1612
┣
土岐八郎(自害)





























































