舒明天皇が崩御すると皇后の宝皇女が皇位を継ぎ、皇極天皇として即位しのは何故か。 後継者としての候補者が多く、後の争いを避けたためと思われる。 舒明天皇の皇子・古人大兄皇子、中大兄皇子、山背大兄王らが後継者候補である。 皇極は暫定的に立てられたもので、生前の譲位が前提であった。 舒明天皇が蘇我馬子の娘・法提郎女との間に設けた古人大兄皇子が最有力候補であった。 中大兄皇子も皇極天皇が生んだ皇子であるだけに強いが、即位時にはまだ16歳と若い。 また、先に好機を逃した山背大兄王は厩戸皇子の子であるから二世王ということになり、出自では劣るが上宮王家が所有する大きな財産がある。 こうした状況から危機を回避するために皇極が即位したのであるが、後継者争うが起こることは目に見えていて、翌年すぐに悲劇は起こったのである。
蘇我氏の血を引く舒明天皇の母・糠手姫皇女(厩戸皇子とは従兄妹)も陵内の押坂墓に眠るところに蘇我氏の権勢が伺える
変動があったのは皇位だけではなく、大臣の座も蝦夷から入鹿に交代して、蝦夷以上の政治を執るようになっている。 蝦夷が病のために朝廷にでなくなっていたから実質的には入鹿に譲られたとみてよい。 皇極2年に入鹿は巨勢徳太臣、倭馬飼首らを率いて斑鳩に住む山背大兄王の一族を襲撃したのである。(皇極元年) 目的は馬子の娘を入れている古人大兄皇子の擁立にある。 襲撃の結果、山背大兄王とその一族は自殺してすべて滅んだ。 蘇我蝦夷は、「やつらの舞」という天子のみが許される特権を、祖廟を建てたときに実施するほどの専横ぶりであったが、入鹿による山背大兄王一族襲撃の知らせを聞いたときには、愚かで大変暴虐なことをした、と激怒したという。 実は入鹿による襲撃の原因となったのは、蝦夷による越権行為であり、「やつらの舞」だけではなく、多くの部曲を集めて双墓を予め建てていたこともひとつである。 双墓のひとつ大墓は蝦夷のもので、小墓のほうは入鹿の墓であり、この双墓を陵と呼ばせていた。 しかもこの造成に上宮の乳部の民を使ったのがいけなかった。 上宮の乳部の民とは亡き厩戸皇子の養育のために設けられた部民であり、これを横取りされたとして厩戸皇子の娘・上宮大娘姫王(舂米女王)は蘇我氏を恨み憤慨したのである。 そしてこの翌年に入鹿は山背大兄王一族を襲撃したのである。
さて、この山背大兄王一族滅亡の原因となった蝦夷・入鹿の双墓であるが、奈良・巨勢にある水泥塚古墳・水泥南古墳がそれである。 この地には巨勢寺跡など蘇我氏ゆかりのものが数多くあり、この秋には絶対に訪れようと思っている。
不明 阿部倉梯麻呂
仏教賛成派 ┣ 吉備姫王 ┗ 小足媛624-
蘇我稲目-579 ┃ ┣ 軽大郎女 ┣ 有間皇子639- ┓
┣ 蘇我堅塩媛?-? ┃ ┣ 36孝徳天皇(軽皇子)594-654 ┓┛
┃ ┃ ┏━━━━━━━━━┛ ┃ 飛鳥宮 ┏漢皇子 ┃
┃ ┣ 桜井皇子560-587 ┣ 35皇極天皇(宝皇女)594-661 ┃
┃ ┣ 炊屋姫(33推古天皇)554-628 ┃ ┃板葺宮 (37斉明) ┃
┃ ┃ ┃ 大俣女王┃ ┣ 間人ハシヒト皇女628-665 ┛ ┓
┃ ┃ ┣ 田眼皇女 ┣ 茅渟王?-?┣ 40天武(大海人皇子)630-686┃
┃ ┃ ┣ 竹田皇子 ┃ ┃ ┣ 十市皇女648-678 ┃┓
┃ ┃ ┣ 尾張皇子 ┃ ┃ 額田王631-689 ┃┃
┃ ┃ ┃ ┃ ┣ 38天智(中大兄皇子)626-671┛┃
┃ ┃ ┃ 真手王 ┃ ┃乳母は蘇我,葛城で育つ ┃┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┗広姫 ┃ ┃ ┣ 大友皇子648- ┃┃ ┛
┃ ┃ ┃ ┣押坂彦人皇子?-?┃ 宅子娘┣葛野王669-705┃┃
┃ ┃ ┃┏━━┛ ┃ ┃ 十市皇女648-678 ┃┃
┃ ┃ ┃┃小熊子女?┣34舒明天皇(田村皇子)593-641 ┃┃
┃ ┃伊比古郎女 ┃┃┃ ┣中津王 ┃ ┣古人大兄皇子-645 ┃┃
┃ ┃ ┣麻呂古 ┃┃┃ ┣多良王 ┃法提郎女(馬子の娘)┗ 倭姫王┃
┃ ┣ 31用明天皇┃┃┣ 糠手姫皇女-664 ┣ 蚊屋皇子 ┃
┃ ┃宣化 ┗┃┃┃ ━━┓ 蚊屋采女 ┃
┃ ┃ ┗┓ ┃┃┃ ┣ 来目皇子 ┃
┃ ┃石姫皇后 ┃┃┃ ┣ 殖栗皇子 ┏━━━━━━━━━━━━━┛
┃ ┃ ┣ 30敏達天皇538-585┣ 茨田皇子 ┣大田皇女644-667 石川郎女
┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣大伯皇女661-701┣-
┃29欽明天皇509-571 ┣ 厩戸皇子 ┃ ┣大津皇子 662-686
┃ ┣穴穂部間人皇女-621 ━┛ ┃ ┃ ┣- 長娥子(不比等娘)
┃ ┣穴穂部皇子-587 ┃ ┃山辺皇女663-686(天智娘) ┃
┃ ┣宅部皇子539-587 ┃ ┃ 御名部皇女(天智娘) ┃
┃ ┃ ┃ ┃ ┣ 長屋王
┃ ┃ ┃ ┃尼子娘(胸形君徳善娘)┣鈴鹿王
┃ ┣泊瀬部皇子(32代崇峻天皇)553-592 ┃ ┃ ┣ 高市皇子654-696 ┓
┣ 小姉君?-? ┃天武天皇631-686 ┃
┣ 石寸名郎女?-? ┃┃┃┃┗ 刑部皇子665-705(忍壁)┃
┣ 境部臣摩理勢-628(蝦夷が滅す) ┃┃┃┣但馬皇女-708 ┛
┃ ┗ 蘇我倉麻呂?-? 孝徳┃┃┃氷上娘-682(鎌足娘)
┃ ┣ 蘇我倉山田石川麻呂-649━┓ ┃ ┃┃┣長皇子-715
┃ ┃ ┃ ┃ ┃┃┃┣智努王693-770(文室氏に降下)
┃ ┃ ┃ ┃ ┃┃┃┗大市王
┃ ┣ 蘇我日向?-? ┣乳姫┃┃┣弓削皇子-699
┃ ┣ 蘇我赤兄623- ┃ ┃┃大江皇女-699(天智皇女 川島妹)
┃ ┃ ┣常陸娘?-? ┃ ┃┃ 長屋王684-729
┃ ┃ ┃ ┣山辺皇女663-686 ┃ ┃┃ ┣膳夫王-729
┃ ┃ ┃天智天皇626-672 ┃ ┃┣ 草壁皇子662-689 ┣葛木王-729
┃ ┃ ┗大蕤娘669-724 ┃ ┃┃ ┣ 吉備皇女683-707
┃ ┃ ┣紀皇女?-? ┃ ┃┃ ┣ 軽皇子683-707(42文武)
┃ ┃ ┣田形皇女674-728 ┃ ┃┃ ┣ 氷高皇女 (44元正)
┃ ┃ ┣穂積親王-715 ┃ ┃┃ 阿閉皇女661-721(43元明)
┃ ┃ ┃ ┃┗但馬皇女 ┃ ┃┃ 聖武天皇
┃ ┃ 天武天皇┣大嬢 二嬢 ┃ ┣41持統天皇645-703 ┗井上内親王
┃ ┗ 蘇我連子 大伴坂上郎女 ┃ ┣健皇子649-658 紀橡姫 ┣他部親王
┗ 蘇我馬子(嶋大臣)551-626 ┣蘇我遠智娘-649 ┣難波内親王┣酒下内親王
┣ 蘇我蝦夷587-645 ┗姪娘 越君伊羅都売 ┣白壁王(光仁)709-781
┃ ┣ 蘇我入鹿605?-645豊浦宮 ┣ 阿閉皇女 ┣ 施基皇子-716
┃ ┗ 蘇我畝傍 ┣ 御名部皇女┃ ┣春日王703-745
┣ 河上娘(崇峻天皇妃) 天智天皇(中大兄皇子) 託基皇女665-751
┣ 法提郎女?-? ┣ ┣不比等659-720 ┓
┗ 刀自古朗女-623 鏡姫王 車持君與志古娘(安見児) ┃
┣ 山背大兄王595-643 ┗━━┓┣定恵641- ┣藤原麻呂
┣ 財王608- ┃ 中臣鎌子614-669 ┃
┣ 日置王 ┣ 弓削王622 ┗藤原五百重娘669-695┛
┣ 片岡女王 ┃ ┣新田部皇子-735
厩戸皇子574-622 ┃ 天武天皇 ┣塩焼王-764(氷上真人)
┃ ┣ 舂米女王 ┃ ┃
┃ ┣ 馬屋古女王(第8子) ┣磯城皇子┗道祖王-757
┃ 菩岐岐美郎女-622 ┣忍壁皇子665-705 ┣陽候女王
┣ 手嶋女王 ┣泊瀬部皇女 ┗長野王
位奈部橘王 ┣託基皇女┣-
宍戸臣大麻呂娘 川島皇子(天智皇子)