とうとう8月の更新をせずに9月を迎えてしまいました。
毎度、「再開ご挨拶」をしている不甲斐なさに、我ながら情けなや。さて、さて、9月。体脂肪率がどんどん年齢に近づいてきた重い腰を上げねば。
8月は毎年慌しいのだけれど、今年はそれを言い訳に、何にもしなかった。とりたてて悩むことも辛いこともないのに、でも、何にもしないでいると仮性鬱になってしまうようだ。書いて、語って何になるのさと、やさぐれていた。
さあ、9月がやってきた。さあ、あたしよ、美しいものを見に行こう。
「美」を見るということは、邪心の無さを見極めるということである。邪心の作り手のものは、その厭らしさうるささが自ずと物に現れてしまう。恐ろしいことに、邪心のある人の持ち物は、その邪心が物にも現れてしまう。
「邪心」は「われが」と思う気持ちである。勝ち負けであり、○×であり、数字でかかれた物である。いい物を作りたい、いい物を持ちたい、という心は邪心である。しかし、それは無邪気になったとき、邪心を越える。無邪気にそう思えたとき、美に通じる。かわいげが生まれる。
作るとは、作れないことを知ることであり、持つとは、持てないことを知ることだろう。それを知ったとき、世界と一体となる際に行くことができる。それは、高い技術を持ちながら自らに奢らず、委ねることであろう。目利きはそれとの対峙である。
自然のものの何もかもが美しいのは、邪心がないからである。この形になろう、この形で魅了しようという厭らしさがないゆえに、美しい。
だから、美は、恐ろしいものである。作り手の、受け手の心を透かしてしまう。
知らぬ人は安穏である。知らぬ人は、知らぬことを知らない。知らぬことを見透かしている人がいることを知らない。
本日、日下部邸前を通りました。ブルーシートに覆われ、おいたわしや。遠いところに行ってしまうんだね。
毎度、「再開ご挨拶」をしている不甲斐なさに、我ながら情けなや。さて、さて、9月。体脂肪率がどんどん年齢に近づいてきた重い腰を上げねば。
8月は毎年慌しいのだけれど、今年はそれを言い訳に、何にもしなかった。とりたてて悩むことも辛いこともないのに、でも、何にもしないでいると仮性鬱になってしまうようだ。書いて、語って何になるのさと、やさぐれていた。
さあ、9月がやってきた。さあ、あたしよ、美しいものを見に行こう。
「美」を見るということは、邪心の無さを見極めるということである。邪心の作り手のものは、その厭らしさうるささが自ずと物に現れてしまう。恐ろしいことに、邪心のある人の持ち物は、その邪心が物にも現れてしまう。
「邪心」は「われが」と思う気持ちである。勝ち負けであり、○×であり、数字でかかれた物である。いい物を作りたい、いい物を持ちたい、という心は邪心である。しかし、それは無邪気になったとき、邪心を越える。無邪気にそう思えたとき、美に通じる。かわいげが生まれる。
作るとは、作れないことを知ることであり、持つとは、持てないことを知ることだろう。それを知ったとき、世界と一体となる際に行くことができる。それは、高い技術を持ちながら自らに奢らず、委ねることであろう。目利きはそれとの対峙である。
自然のものの何もかもが美しいのは、邪心がないからである。この形になろう、この形で魅了しようという厭らしさがないゆえに、美しい。
だから、美は、恐ろしいものである。作り手の、受け手の心を透かしてしまう。
知らぬ人は安穏である。知らぬ人は、知らぬことを知らない。知らぬことを見透かしている人がいることを知らない。
本日、日下部邸前を通りました。ブルーシートに覆われ、おいたわしや。遠いところに行ってしまうんだね。
バランス感覚『中庸』の精神が私の重視するところである。
けんちゃんのけんは謙虚のけん
ええ人や。
真っ先に駆けつけてくれて、コメントくれた。
バランス感覚なら任せてください。わたしの毎日はタイトロープゆえ。
だが、たまに揺れるもおもしろし。
しっとりとしたやさしいぬくもりを感じます。
インドはシンメトリー。完全に計算しつくされています。でもそれはそれで美しい。
モルディブは、地球の青さをそのまま表現した、これもまた美しいところ。
美しさはいろいろなところにちゃんとあるんだね。
でもそのよこに厭らしさもあるってことだね。
秋風に乗って声が聴こえたので
すっ飛んできました。
もしかして的外れなコメントになるかもしれませんが、お許しください。
毎朝「おはスタ」という子供番組を見ています。
それで、いつも感じるのは
近頃の子供タレントのスキルが上がったこと。
でも同時に「あざとい」感じがして、見ていてしんどいです。
で、大人出演者のガレッジセールや大沢あかねはというと、安心して見ていられます。肝がすわっている。
たぶん、どこかで、少なくとも1度は地獄を見て、そこから突き抜けてきたんだろうなと、そういう「居直り」みたいなものが「プロの芸」になっている気がします。
うさとさんの言われる「美」というのとは、ずいぶん次元の違う話ですが、僕は何となく、そんなことを思いました。
モルディブは本当に楽園だね。世の中に苦などという言葉があるのかと思わせるところだ。
たくさんのものを観れば、たくさんのものが許せるようになると思う。そうして、偽物がわかるようになる。しあわせで、ちょっとつらいこと、だね。
お元気ですか。私は元気です。
的外れなんて、とんでもない!そういうことが言いたかった。
スキルを持つことは必要だけれど、それのみに頼ることは達人にはつながらない。達した人は、自分の達することのできないところが見えている人なのかもしれないと、私は思うです。
わたしも、「おはスタ」見てみようかな。
物を良く見るようになりました。
美の意識までは出来ませんが、
世の中に、存在するものを意識するようになったと思います。
毎日、書かなければならない病にかかってしまった私にとって、1ヶ月書かないという状況から、復活されたうさとさんは、すごいと思います。
たまには、休んでみようかなぁ。
どっかに、blog は、無駄なんて、記事も読んだことがあるけど。
そんなことは、ないぞー、と、
一番無駄な blog を書いている私が、自信を持って、
断言してます。
毎日というのは、とにかくすごい。
わたしも、今秋こそはと思いながら、なんだか、早くも挫折気味です。
bubeさんは続けてください。お願いです。