うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

白状

2007年09月11日 | ことばを巡る色色
少し前のことになるけれど、懐かしくも本物の人が二人この世を去ってしまった。訃報を聞いて、あの時代を思い出し、幾つかのニュースに乗る、二人の古いフイルムを見て、あの人たちの価値を再認識した。
その一人、山口小夜子さん。
私は、2年前にオリベアワードのレセプションで彼女とお話をした。遠い昔に女神のように思っていた人は、時代を超えてそこにいた。フォークロアでシノワな洋服を着、ぽっくりのような靴を履いていた。今はもう、そういうものを身につける人は少ないのに、彼女はそうでしかありえないという風にそれらを身に纏っていた。閉じているわけではなく、高慢でなく、見下すわけでなく、だのに無駄な言葉を寄せ付けない、「孤高」ということなのだろう。私よりはずいぶん年上であるはずなのに、どこか、幼女のようである。彼女は変わらず、「山口小夜子」であり続ける不思議。
あなたは何を忘れてしまってそこにいるの、さあ白状しなさい、といわれているような横顔。その人がいなくなってしまったのは、辛いことだ。
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2 コメント

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本物の人 (けんちゃん)
2007-09-12 01:14:05
「孤高」一番。絶対にブレない自分の軸で生涯のスケジュールを確立した人の横顔に表れる余裕の空気。
人が最も純粋に成れることだと思う。本人に意識がなくともその純粋さゆえに子どもにみえる表情。
可愛げある人間性を目指したいものです。
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こどもどこ? (家主うさと)
2007-09-12 17:48:09
「自分の軸で生涯のスケジュール」
そうしているつもりで、全然できてないじゃんと、最近思っている私です。
私は、かわいげのない私が、きらいではありません。いぢわるで、かわいげなくって、でもこども。
そんなものを目指すのは、やっぱ、矛盾だらけですよね。
けんちゃんに、白状することはないのか?ないかもしれないなあ。わたしはいっぱいある。
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