うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

for ten years

2010年12月18日 | ことばを巡る色色
失われた10年というフレーズがあるが、私にとってゼロ年代は空白の10年かもしれない。
本を読まなかった。唄を聴かなかった。映画を見なかった。テレビもほとんど公共放送だった。そして、人にも会わなかった。
この間に読んだ本は、年に3,4冊くらいのものだったろう。
ミレニアムな年の前後に好きだったものを、私は10年の間、直視することができなかった。

ふと動画サイトを見ていたら、GRAYのWINTER AGAINをお勧めされてしまった。
GRAYの中では唯一、この唄と厳寒の中で唄うこの曲のPVが好きだった。
そして、恐る恐るTHE YELLOW MONKEYを聴く。
毎日聴いていたときがあった。不器用な熱情だ。ぎりぎりの、落ちてしまうことが予定されたタイトロープだ。その時、私は人生最後の長い鬱の時間だったので、この人たちを聴いていることだけが薬だった。彼らはその後、結局バンドとして戻ってくることはなかった。それは当然の結末だったろう。あんな時を、誰だって続けることは苦しくって無理だ。
そして、私は、彼らの唄をラックにしまい込んだ。もう、苦しくってとても聴けなくなってしまった。バンドとしての彼らがいなくなってしまったということか、辛い時期に聴いていたということか、時代が変わったということか、理由を決めることに意味はない。予期せず聴いてしまったときの胸の痛感が理由だからだ。
あの頃の、EGO-WRAPPIN'「くちばしにチェリー」 椎名林檎「ギブス」 hide with Spread Beaver「ピンクスパイダー」  窪塚洋介「少年H-オトコ姉ちゃん」「SOS」 小栗旬「SUMMER SNOW」 宮沢りえ豊川悦司「青春牡丹灯籠」

夕方になり、鳥は寒空を飛んでおうちに帰る。あすの朝やってくるときには、もうあすの鳥になっている。あすの朝にはもう戻ってこられない鳥もいる。私の好きなやつもほとんどが行ったきり、だ。あんまり素敵過ぎるやつは素敵過ぎる自分に耐えられないんだろう。自分に誠実であればある程、苦しくて耐えられなくて変わらなければならないことと変わってはいけないことに辛くなってしまう。そんなことは長くは続けられない。そして、残された絵だけはそのままに色褪せずにある。変わることと変わらぬことの両方を求められながらに。

そんな刹那な輝きとは別の意味ではあるが、極めて私的に辛かった私は、あの頃、唄を聴き続け、ドラマを見続け、苦し紛れにイタリアに行ったりシンガポールに行ったりした。
だらだらした失望が絶望になっていて、漂白剤でざぶざぶあらわれているみたいな、崖の先で風に吹かれ続けているみたいな気持になっていた。そして、どうしようもなくなって、カンジナイコトにした。
辛いとか苦しいとか悲しいとか感じないでるといつの間にか自分のまわりは凪いだけれど、私のどこかが死んでいるんだなあ、と思った。
自分のどこかが死んだまま、茶碗を集めoldnoritakeを買い漁り洋館に彷徨い街道を辿り寺を巡り社を拝した。
自分を裏切って緊急避難していた、自分のどこかが死んでいるとわかっているのに。だから、本も歌も映画もドラマも人も全部ダメで、ちょっとの風も怖くて籠っていた。
やっと あの頃のが 見られるようになったことの意味は何だろうと 今の私は考えている。







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