うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

足挫きて御前を思ふ

2022年05月01日 | ことばを巡る色色
1月に挫いた足がなかなか治らない。人を呼び止めようと思って走っても追いつかない。階段を上るのはよいが、下りが両足でできない。砂利道が歩けない。正座ができない。ちゃんとお医者に行ったけど、いろいろ試してみたけど、不自由は続く。
そんな日々の中、これは小萩と同じじゃないかと思う。
説教節に出てくる(女奴隷、下女)は「小萩」といくつかのお話の中で名付けられている。説教節とは中世に職能民が寺社などで語った、流浪先の風土に絡めた神仏の縁起とご利益である。知られたところでは山椒大夫、小栗判官、弱法師、浄瑠璃姫物語、道成寺(日高川)などがある。屋外で語られたお話は、やがて浄瑠璃となり、文楽となり、歌舞伎となった。
山椒大夫の兄弟とともに働く下女、小栗判官で照手姫が美濃赤坂で働いた時に呼ばれた名は「小萩」である。折口信夫によると、彼女らが小萩と呼ばれたのには訳がある。人買いに売られてきた下女は逃げられぬように脛の腱を切られたというのである。それ故に脛をはいだことを示す「小萩」と名付けられ、当時の人の了解として、「小萩」と呼ばれる娘は売られ、逃げられぬようにされた下女であるというのだ。そんなことをしたら満足に重労働をさせられなくなり、効率が悪いと考えるのは現代人の考えなのだろう。山椒大夫では盲目になった母が鳥追いをする場面がある。はじめ読んだときはなんと労働力の無駄遣いと思ったが、当時としては、働きの悪いものや心身不自由なものをそのように使ったのかもしれない。
中世には~御前という女、白拍子がよく出てくるが、彼女らも聖俗、清濁入り混じった存在である。白拍子は男の服装で踊りを舞う、ある意味いかがわしい存在であり、家や耕地をもたぬ移動する女は御前である。曽我兄弟の虎御前もそのようなイメージで語られた無名の女であると読んだことがある。寺社の縁起を歌いながら旅する女であろう。
それにしてもである。逃げられぬように脹脛を切られ、めしいになって鳥を追う。なんと哀れなことだろう。逃げる逃げられぬ、走るに走られぬ女たち。また、巫女であり、遊女である旅する女たち。
走るに走られぬ時、小萩はどんなにか悲しかったであろうと身につまされる。足を挫き、最近急速に視力の落ちた私も中世では小萩で御前であるのかな。
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