うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

ことばの海・物心期

2005年06月04日 | ことばを巡る色色
ことばは海のようだ、人を造り、育む。「はじめにことばありき」という神話を持つ人々もいる。何故その(たみびと)がそのように信じたのか諸説はあるが、私はその海の中に溺れ、漂い、泳いでいく。その先にある岸は何の国だろう。

「白鳥の王子」
幼いころ持っていた数少ない本のひとつがこれである。何度も何度も読んだ。その頃は国中がまだ貧しかったので、どんな本も際限なく買ってもらえることなどあり得ないことだった。「さあ、本を買ってやろう」と言われて何日も本屋に通っては迷ったものだ。町の商店街でただ一つの本屋で買ってもらったのだが、何故これを選んだのかは覚えていない。魔法で鳥にかえられてしまった7人の兄を人に戻すために、妹姫が衣を編む。それは、夜中に墓場の茨で編まなければならないというお話だった。当然ハッピーエンドなのだが、墓場・夜中・茨しか私の記憶に残っていない。
どんなにか姫は心細く怖かったことだろう。世の中で守ってくれる人は誰もいない。兄たちは夜中しか妹をはげますことができない。それも「ぐえっぐえっ」という鳥の声でしか。この領地の将来と兄たちの人生のすべてが、茨で荒れ、血だらけになった彼女の細い指にかかっているのだ。兄たちは人はよい(鳥はよい?)のだが、彼女の仕事の役には立たない。
なんという不条理!
最後に兄たちは人に戻り、彼女も姫に戻ってめでたしめでたしなのだが、結末部での彼女の印象は薄い。ひたすらに身を捧げることの似合う子なのだ。この手のお話では、男の子は「お馬鹿りん」が多い。人はいいのだが魔法をかけられてしまい(蛙さんにされてしまった要領の悪い奴もいる)、たいてい女の子が助けるということになってしまっている。女の子は助けるために夜のお仕事を余儀なくされる。なんか、今時の女子にもちょっと似通ってたりして。
しっかりしろ、兄たち、男たち。君たちに克服策はないのか!

この頃から、貴種流離譚っぽいものをよく読んだ。「日常は、貴種が正しく明かされ世に認められるための試練である」という発想が私の中でどんどん育っていってしまった。今考えるとこれは結構な危険思想なのだが、素直な子の私は一直線にその考えに進んでいった。「黄門様の印籠」「金さんの桜吹雪」「王家の紋章」がなければならぬ!と思ったわけだ。残念ながら私の家計も経済状況もそんな「印籠」とは縁のないところにあった。先祖も親の職業もフツーだったので、私は勉強をすることにした。幼い私にとって、それが「貴種」となる一番の早道に思えたからだ。

「幸福の王子」
アンデルセンのお話。これを読んだ時私は、ばっかじゃない!と思った。宝石を身に着けるような王子なら、まずそれを一つ売って、それで多くの困った人やら動物やらに分配すればいいのに。みんなが要るだけ分けてもらえば、オールハッピーだったはずなのに。王子は算数ができなかったんだろうか。いや、ヤンゴトナキ身の人はそんな細かい算数をしないものかもしれない。こう考えるのは貧乏人の発想かもしれない。そうやって王国は衰退していくのかもしれない。
お話自体も王子の親切を諸手をあげて賞賛していない気がする。アンデルセンも貧乏な子だったのかもね。

貴種を巡る別のお話。最近「一寸法師」を古文で読んだ(多分いろいろ写本があるのだろうが)。年老いた夫婦は神様に頼んで子を授かったが、いつまでたっても大きくならない。そこで疎ましく思った二人は夜中に「あの子は私たちへの神様からの災いなのか、あんな大きくならない子はいなくなってしまえばいいのに」と話をする。それを察した一寸法師が、居づらくなり都に出るというものだった。なんてかわいそうな一寸法師、一寸の身で頼れるのは老夫婦だけだったろうに。昔の人はなんとストレートで残酷なことでしょう。
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10 コメント

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半身浴 (うさと)
2005-06-09 07:33:35
半身浴にはぬるま湯ですよね。身体のそこから温められていき、知らぬ間に新陳代謝がよくなるそうですもん。あきちゃんも、代謝の悪い身体のよさそう。
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恐縮です (あきちゃん)
2005-06-07 00:55:28
うさとさん、バルタンさんありがとうございます。優しい温度ですか。自分じゃあ全然わかりませんが、ひょっとしてぬるま湯ってやつだったりして・・・(^_^)
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バルタンさん (うさと)
2005-06-06 22:36:38
そうっすね。

わたしもブログして

よかったです。

ちょっとリハビリみたいです。

社会復帰できそうです。
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善人 (バルタン)
2005-06-06 21:49:36
バルタンもあきちゃん大好きです、うさとさん大好きです、みのるさん大好きです、じゅん吉さん大好きです、ばついちさん、うじょもしさん、そなたさん、スギ昌さん、八六さん、しんかんせんさん、あったことない岐阜ティのみなさん大好きです。

嫌いな人は作りたくないです、ブログしてよかったです。
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善人 (うさと)
2005-06-06 19:45:10
今日、庭の草を抜きながら、あきちゃんって本当にいい人なんだろうな、って考えていました。錯覚なく、正しく自分がわかっていて、そして人にやさしくできるんだろうなって。だから、あきちゃんの回りはやさしい温度になっています。見習わねばと思います。

「修行」は大切なものです。ただ、子どもが「頼むところ」なく生きているのは、許してはいけないことだと思います。世の中すべてに「一寸」と言われようと、たった一人でいいから、「寄る辺」と思えるところがあればいいのに。
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苦言 (うさと)
2005-06-06 19:37:53
バルタンさん。きつくないです。多分、誰かにとって痛い言葉じゃないと胸襟を開くということにはならないのではないかと思います。私は今まで、そうやって生きてきてしまいました。ええ年になってきたので、それが通じない人には言わない、近寄らないようにはなりましたが、態度自体を変えることができません。私にとってはそれが「誠実」だと思えるからです。思えてしまうことは仕方がありません。(世の中、ごめんなさい)

私も本当に不思議だと思います。冬にはぜんぜん知らない人だったのに。こちらこそ、「苦言」言っていただけるとうれしいです。
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視点を変えると (あきちゃん)
2005-06-06 17:05:12
まったく違う物語になっちゃうから面白いですよね。何が善で何が悪か、なんてことは立場が変わればまったく逆になったりもするし、そもそも善悪の基準さえ曖昧にしか持ち合わせていない人が殆どだしね。悪であることを自覚してとことん悪に徹する奴の方が筋が通っていたりする。逆に自分は善人だと錯覚しているところから全ての悲劇が始まったりしてね。ああ何が言いたかったかよく分からなくなって、ちょっと支離滅裂。逆境が人を育てるって言うから、その意味では一寸法師も王子も姫もいい修行だったんだよ。
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言葉きついかな? (バルタン)
2005-06-06 11:29:12
こんにちわーうさとさん、言葉によってむたらしこまれるって、ちと、強い言葉であったかな?書き込みしたから悩みました。

少しきつかったかなって、、、、

人間生きているって面白いです、こうしてうさとさんとPCを通してお話させてもらっている意見の交換させてもらっているのが嬉しいです。

人間十人いれば十人の正義があり十人の悪があります、だから十人十色だと思います。

これからも適切なご意見お待ちしています。
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ことばタラシ (うさと)
2005-06-06 09:40:04
バルタンさん、おはようございます。ことばによってたらしこまれる。蓋し名言です。人はことばで武装し、それなのに、その言霊に翻弄されるのかもしれません。だからこそ、人間で生きることは面白いと思いませんか。
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ことばの海。 (バルタンくん)
2005-06-05 21:35:04
人は言葉によってたらしこまれる、人間関係において、言葉の持つ重みや重要性になにかと無頓着な気がする。

人をひきつけるか?敬遠されるか?その言葉ひとつにかかっていると思います。

言霊って言葉があるくらいです、その言葉自体が力を持っていると思います。

物語の内容についてではありませんが、ヨーロッパでは、足を滑らせても口は滑らせるなって言葉があるくらいだから、、、
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