うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

唯、識るのみの者

2022年10月13日 | ことばを巡る色色
三蔵法師玄奘はガンダーラに向かい、その地に滞在し、世親の書いた唯識三十頌を持ち帰り漢訳した。運慶の世親は興福寺の国宝殿に眉をしかめて唯識ることを考えながら、今も立つ。運慶若き日のうら若き円成寺大日如来像、老いてからの老熟の興福寺無著世親像、どちらも運慶の中で特に惹かれる像である。
西遊記の印象か、玄奘法師を昔話ほどの遠い時代の僧かと思っていたが、遣隋使遣唐使の時代の方で、遣唐使道昭は玄奘から教えを受けている。考えてみれば、西遊記の化け物も唯見えたものなのかもしれない。三島の「豊饒の海」は唯識であるのだが、以前読んだにも関わらず、記憶にない。しかし、宇多田はそれを読み、唯識三十頌を写経しているとのことである。

「鎌倉殿の十三人」で、慈円が後鳥羽の請願で一字金輪の真言を唱えていた。他の全てを無力化する真言だ。

そして、今回の100分で名著は折口信夫。まれびとを観、山越の阿弥陀を観る。

さあ、私も歩き出そう。もう、歩き出す時だ。
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