ここ数年で見た映画の中で、とても好きなのが「バガー・ヴァンスの伝説」という映画だ。ロバート・’ギャツビー’・レッドフォード監督の、巷では凡作といわれているものであるが。
映画の中の天才ゴルファーは戦から帰り、傷ついた心を抱えて自堕落な生活を送っている。彼の帰りを待っていたゴルフ場主の娘である婚約者は、恐慌の中で立ち行かなくなったゴルフ場建設と、父の自死という現実の中にいる。彼女はくじけなかった。美しい彼女は美しいアールデコのドレスを着て、ゴルフ場建設に奔走するのだ。そこに、不思議なウィルスミスがやって来て、だめになった天才ゴルファーに禅問答のようなアドバイスをするというお話だ。彼がいかに、「この世」に生還し、ゴルフを始めるかというお話だ。
サリンジャーの短編の中に戦場に行く男性に女が手紙を送るというものがある。「あなたの中のものを何一つ損なわずにお帰りになりますように」と。
戦の中で、人は何も損なわずに帰ってこられるものだろうか。
腕、足、指、目、耳、鼻、
信じる心、憧れる心、明日を考える心、守るべきものを守ろうとする心。
毎日を生きていくということは、やはり「戦」のようなものだ。だからといって、隣にいる人、横に立っている人が「敵」だというわけではない。ただ、生きていくというそのことが「戦」のようなものなのだ。
世の中で、私の言葉の届かぬ人の前で、私の私を知らぬ人の前で、私は私でないかのように扱われ、手垢を付けられる。輝くばかりの才能をもつ人の前で、私は嫉妬し、羨み、妬み、私の脆弱な自己愛は疲れ果てる。いろいろなにおいのする風に吹かれ、私はさらされ、私は私に試され、私は世の中の流れの中で、渦巻かれる。
そんな毎日の中から、私は「損なわず」に生還しなければならない。そうでなければ私が私でなくなってしまう。私はそれが怖くて怖くてたまらないから。ただ、「帰っていける」と信じ、そうして、帰っていかなければならない。
人は、損なわずに戦から帰ってくることができる。
きっとできる。
そう、信じているわけではないけれど、私はそう信じていたい。いつだって、信じていたい。損なわずに帰ってきたいと思えば、きっときっと、大切なものを損なわずに生きて帰ってこられると。
あなたはどうだろう。そう信じているだろうか。世の中に生きることで、自分の何かがもぎ取られてしまったと考えてはいないだろうか。
そうかもしれない。
世の中で生きていくことは、もぎ取られてしまうことかもしれない。
でも、信じてみようよ。きっと、君は君の失くしたくないものを、ちゃんと持ったまま生きていけるって。そう信じていれば、きっとできるって。
皆様へ、
年頭に申しましたように、「傲慢と思われることを恐れず」書いていく所存でございます。あなたが、ほんのひと時でもここに来てよかったと思ってくださるようなものを書くことが、私の真の目標です。本年もよろしくお願いいたします。
映画の中の天才ゴルファーは戦から帰り、傷ついた心を抱えて自堕落な生活を送っている。彼の帰りを待っていたゴルフ場主の娘である婚約者は、恐慌の中で立ち行かなくなったゴルフ場建設と、父の自死という現実の中にいる。彼女はくじけなかった。美しい彼女は美しいアールデコのドレスを着て、ゴルフ場建設に奔走するのだ。そこに、不思議なウィルスミスがやって来て、だめになった天才ゴルファーに禅問答のようなアドバイスをするというお話だ。彼がいかに、「この世」に生還し、ゴルフを始めるかというお話だ。
サリンジャーの短編の中に戦場に行く男性に女が手紙を送るというものがある。「あなたの中のものを何一つ損なわずにお帰りになりますように」と。
戦の中で、人は何も損なわずに帰ってこられるものだろうか。
腕、足、指、目、耳、鼻、
信じる心、憧れる心、明日を考える心、守るべきものを守ろうとする心。
毎日を生きていくということは、やはり「戦」のようなものだ。だからといって、隣にいる人、横に立っている人が「敵」だというわけではない。ただ、生きていくというそのことが「戦」のようなものなのだ。
世の中で、私の言葉の届かぬ人の前で、私の私を知らぬ人の前で、私は私でないかのように扱われ、手垢を付けられる。輝くばかりの才能をもつ人の前で、私は嫉妬し、羨み、妬み、私の脆弱な自己愛は疲れ果てる。いろいろなにおいのする風に吹かれ、私はさらされ、私は私に試され、私は世の中の流れの中で、渦巻かれる。
そんな毎日の中から、私は「損なわず」に生還しなければならない。そうでなければ私が私でなくなってしまう。私はそれが怖くて怖くてたまらないから。ただ、「帰っていける」と信じ、そうして、帰っていかなければならない。
人は、損なわずに戦から帰ってくることができる。
きっとできる。
そう、信じているわけではないけれど、私はそう信じていたい。いつだって、信じていたい。損なわずに帰ってきたいと思えば、きっときっと、大切なものを損なわずに生きて帰ってこられると。
あなたはどうだろう。そう信じているだろうか。世の中に生きることで、自分の何かがもぎ取られてしまったと考えてはいないだろうか。
そうかもしれない。
世の中で生きていくことは、もぎ取られてしまうことかもしれない。
でも、信じてみようよ。きっと、君は君の失くしたくないものを、ちゃんと持ったまま生きていけるって。そう信じていれば、きっとできるって。
皆様へ、
年頭に申しましたように、「傲慢と思われることを恐れず」書いていく所存でございます。あなたが、ほんのひと時でもここに来てよかったと思ってくださるようなものを書くことが、私の真の目標です。本年もよろしくお願いいたします。
得たが故に損なったもの。
その質や量にも個体差があって全てひっくるめて許容量。人それぞれのキャパシティが構築されているんだな。
そういう場面も確かにある。
しかし、損なわずにいたい。
権力を手に入れようと、大金持ちになろうと、人生の辛苦をなめようと、損なっていけないものはある。
そう強く思う気持ちが、人それぞれのキャパシティを無限に構築すると、私は思う。
うさとさんにとって、輝かしい年となりますよう・・・・^^
さて、人は「生老病死」と誰もが逃れられない四苦にもあるように、
生きていること、そのものが苦しみでもあります。
しかし、完璧でないからこそ、愛おしいものなのですな。
未だ間違った意味で伝えられる「セレブリティ」も
気色悪い言葉の響きを持った「ロハス」に「ニート」「スローライフ」
不確かな時代を生き抜くには、カジュアル言語を操らなくては、
世界の容赦の無さを突きつけられてしまう。
誰かと比較することでしか、幸せを実感できない世知辛さで、
自己の平安を保つことは容易でない。
誰か、一人でいい。
傍で良き理解者が「うんうん」と頷いてくれるだけで
明日も生きていようと思えるものだなぁ・・・
失ったり、汚れたり、壊れたり
日々起きるほころびを丁寧に繕ってさえいれば、
それが、たとえ、ボロ布のように見えても
最期には己しか知り得ない馴染んだ心地よさを得られるのでしょうかねぇ
さて、うさとさんの年頭の決意表明
2~6、8~10は共通でした。
やや本気モードで小説を書いております。
(お正月休みはこれで潰れますた)
って、冬って、書く作業に最も適した季節のような気がします。
公募小説の締め切りが真夏でないことは、このためか??
うさとさんも、大いに書きまくって下さい。
あけましておめでとうございます。happyさんにとって、よい年となりますように。
踏みとどまる。
土俵際で、瀬戸際で。
そんなことを考えました。
書いていらっしゃるか。
ありがとうございます。私も、この場で、繕い踏みとどまらなければということを、己に戒めました。ありがとうございました。
傍で良き理解者が「うんうん」と頷いてくれるだけで
明日も生きていようと思えるものだなぁ・・・』
何度も忘れるこの気持ち。
今から傍の良き理解者を再開しよう。
ありがとうございました。
おいでを下さり、ありがとうございます。
私は、怠惰で執着者ゆえ、自らを律していないと、
大事なものを見失ってしまいます。ちょっとしんどいことがあると、「ま、いいかぁ」なんて思ってしまいます。だから、「ここは踏みとどまるのだ」と、思い思い、生きてきました。人の評価にも一喜一憂です。なまなまなにんげんだなあ、わたしって。結構、そういう生臭いところを持っていたいとも思ってるのが厄介のとこだなあ。
泰然自若。あきちゃんはきっとそう。
私は、ジタバタ。それが楽しかったりする。こういうのは、だめかなあ。
さいきん「人は慣れてしまうものだからね」と云われました。
慣れてしまわずに、損なわずに、いられるかどうか。
しんじて向かってゆかなくては。ですね。
そうなんです。
低きに流れたがる私ゆえ、
環境になれ、楽をし、楽な方向に考えようとしてしまうことから、大事なものを、自分で守っていかなければと思います。