うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

茶色

2008年02月05日 | ことばを巡る色色
子どもの頃の私といえば、色鮮やかが大好きだった。と言っても、着る物・持ち物というわけではない。着ている物は、鼠色やら象牙色やらで、母が当人には適わぬ私の虚像に向かって買ってくる、リボンやら蜜柑色やら薔薇色やらは恥ずかしくて着られなかった。ではどんな鮮やかが好きだったかと言えば、例えばお引きずりの着物やらクラシックレースのドレスやらを思い描くことで。そのイメージの中でそれを纏っているのはわたしではない。鮮やかなものはやはり、「見るもの」であり、withのものではなかった。故に、好きな時代も元禄とか、安土桃山とか、きんきらで多色の時代だった。古墳とか、弥生とか、縄文とか、どれもこれも出土品は茶色くって、お城とかお寺とかもモノトーンだし、武士とかって色と言えば「血」の赤だけだし、一体何がそんなに面白いのか、興味をそそるのか、いっこもわからへんし! だった。茶色の時代が好きな人って、一体何が思白くって生きてるんでしょ、ってね。
ところが、最近、それが面白くなってきちゃった。
うーーーん。
寺巡り、古墳廻り 古道歩き これは「年寄り」的趣味 だよね。
ひょっとして、年をとったから私はこういうものが面白いと思ってきちゃっているんだろうか。
いやいや、そんなことはない! ちょいと視野が広がっただけだし。年寄りがみんな古墳や寺が好きなわけではないし。そもそも、なんで、 老人=寺めぐり=ご利益大好き って固定観念があるんだろう。老人の何パーセントが寺好きなんだろう。老人になったことによって寺好きになった人はどれくらいなんだろう。

とムキになって否定しようとするのもいささかみっともないけど。
ただ、知るということは「意味」をつけるものだなあ、と思う。「風景」を名づけていき、パノラマ写真様であった「物」を頭の中の箱に分別していくことだなあと思う。
新しき「茶色」の時代が私の中で始まった様でございます。
コメント (14)
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