必然を偶然と考えたくなる、偶然を必然と思いたくなる、それが人のサガなのだろう。
起こるべくして起こった必然であっても、その因果を認めたくはない。どこか己の預かり知らぬところに問題があったに違いない、自分のせいばかりではない、偶然そうなってしまったのだと思いたいのだろう。偶然というのは自分の外にあるものであるが、自分の中に偶然があると錯覚しているのだ。それは、己の必然から逃げようとしているのだ。己の必然から逃げることは必然であるが故に不可能であるのに、人はやはり己の必然を全て引き受けることは辛くて苦しくて耐えられない。
また、偶然に必然を見つけたくなるのも人のサガであろう。きっとこれは私を選んで起こってきたのだ。この出来事の中には、運命が私に伝えるべきことがあって起こったのだ。これが起こったのは過去のあのことと関連するに違いない、とか、未来のことを暗示するに違いないと思ったりしたくなる。だから嫌な感じがしていたのだとか、渡りに舟といいタイミングが降りかかって来たと思ってしまう。そのように出来事に過剰な意味付けをしていくことで、事実を受け入れ、自分の物語とせずには進んでいけないのだ。
偶然性が高ければそれを否定し、逆に必然性が高くてもやはりそれを否定してしまう。
しかし、たとえ尽くしたからといって報われるわけでも、善人が必ず良い目に合うわけでないことも、善行者が不幸になることがあることも、悪人はよく眠ることも、本当は、わかっているのだけれど、バイヤスをかけて考えずにはいられないのだ。
それが空と色のことなのだろうとおもうよ。空即是色、色即是空とは、そのようなことであり、事実にバイヤスをかけずには、なかなか受け入れられない私達ではあるが、やはり色即是空、空即是色の中にあるのかな。