行きかふ年もまた旅人なり

日本の歴史や文学(主に近代)について、感想等を紹介しますが、毎日はできません。
ふぅ、徒然なるままに日暮したい・・・。

『ツァラトゥストラはかく語りき』

2009-03-21 23:54:32 | Weblog
 ニーチェ(1844年~1900年)は、ドイツの哲学者であり、当時の社会の頽廃を鋭く見抜き、警鐘を鳴らした。力への意志(権力への意志)を体現する超人を理想として、生を徹底的に肯定する思想を展開した。

 力(権力)への意志とは、一切の抵抗を克服して、絶えず、より強大になろうとする本源的な生命力を指す。生命とは本質的には自己主張の力であり、競争に打ち勝とうとする意志である。ニーチェはキリスト教が人間の凡庸化・平均化を生み出す原因となっていることを批判し、これに替わる価値観として、より強大なものこそが善であり真であるという主張を展開した。
 ニーチェが生きた時代、キリスト教を中心とするヨーロッパの伝統的価値観が生命力を失い、人間に頽廃や自己欺瞞をもたらしているとして、「神は死んだ」と表現した。人間は永劫回帰の中、世界は、目的も意味も無い永遠の繰返しである。

 それを乗り越える人間像が超人である。神なき世界、無意味な人生を直視し、己のたくましい生命力を発揮する事により力への意志を体現しようとする自由人を超人という。無意味な世界における苦悩の人生に耐え抜き、運命を積極的に愛し肯定する事が超人の本来の姿である。
 また、ニーチェは永劫回帰の世界の中で、現在の瞬間を意志し、その充実につとめることにより、永遠なるものにふれる事ができる。目標の無い人生を運命として引き受け「人生とはこういうものか、よし、ならばもう一度」と叫ぶ勇気、たくましさ、肯定的意思を重視しこれを「運命愛」と名付けた。

 『ツァラトゥストラはかく語りき』はこれらのニーチェ哲学が詰まっている。従来のキリスト教思想の価値観の無効を確認し、その状況を超人として乗り越えようとしている。

 仏教で説く所の輪廻転生と一見似ているように感じるが、輪廻転生とは過去・現在・未来と永遠に続く時間の中でそれぞれが関連して現在の状況がある、と考える。言うなれば、未来に希望を持つ事ができる考え方である。未来の結果は、現在の因を見よ、という事である。近い未来も遠い未来も含め、今を変えれば未来が変わる。
 これに対し、永劫回帰では、現実の受け入れと、その状況を克服するには超人となる以外ないという、あくまでも現実重視の思想であろう。ともかくも、人間は既に存在してしまっている。その上で現在をどのように乗り越えるかが課題である。

 永劫回帰か輪廻転生か、どちらの主張も正しいようだ…。いずれも、現在の自分自身がその鍵を握っている。永劫回帰は、キリスト教の世界の中で誕生した。復活か転生か、これもまた興味深い定義である。

 たまにはこうした哲学的思案も良いが、この世界に進路を執らなくて良かったと思っている。毎日このような思索をしていたら、精神が崩壊しそうだ…。
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