行きかふ年もまた旅人なり

日本の歴史や文学(主に近代)について、感想等を紹介しますが、毎日はできません。
ふぅ、徒然なるままに日暮したい・・・。

松永弾正(悪人列伝より)

2008-04-26 23:47:00 | Weblog
 読書記としてまとめるには登場人物が多過ぎるため、個人名でまとまてみた。
 古代、中世、近世と続く日本史上「悪人」と称された人物を、作家・海音寺潮五郎が再検討し、最終的な判断を読者に投げかける作品である。蘇我入鹿、平将門、梶原景時、北条政子、北条高時、高師直、宇喜田直家、井上馨・・・総勢24人を取り扱っている。悪人として日本史に名を残しているが、彼らは本当に悪人だったのだろうか、という疑問を呈している。残された資料に検討を加え、できる限り客観的に紹介している。
 紹介されている人物の中には、北条高時のように鎌倉幕府最後の執権であったために、悪人とされてしまった人物もいる。彼でなくとも鎌倉幕府は滅亡していただろうし、闘犬に熱中して執政をしていなかったわけでもない。もうどうしようもなく、幕府の土台が腐っていたのだ。鎌倉幕府が滅亡した時、彼に殉じて800余人の人々がいた。高時が救いようの無い人物なら、これほど殉死者もでなかったろう。
 それから、陶晴賢。彼は大内氏の支族で、主家を支えていた智勇兼備の武将であったが、主君大内義隆が暗愚な上、政治を行わず遊興に耽っていた。しかも側近政治を行い始め、西の京都と呼ばれた山口の斜陽を招いていた。重臣同士の争いが昂じて陶派と相良派となってしまったが、彼が元々大内当主であったなら、大内氏の名はもう少し保てたかもしれない。しかし、彼は最終的に主を自殺へ追い込んだ。その後、彼自身が当主となる事はなったが、主殺しの負い目は消える事は無かった。その内、厳島の戦で、毛利元就に敗れ自刃。元就の方が1枚も2枚も上手、と言ってしまえばそれまでだが、敗れた者に対する評価は著しく悪い。彼は傾きかけた大内家を守り抜こうとして敗れた武将であって、悪人ではないような印象が残った。

 しかし、同じ戦国武将でも、松永久秀は群を抜いた悪人である。将軍殺し、主殺し、大仏焼払いをやり抜いた。大仏焼払いについては、敵が寺に陣取り、敗走の間際に火を掛けたわけで、戦陣を寺に敷く方が悪いのだが、彼の攻撃が無ければ大仏は焼失しなかった、と言われたために彼の責とされた。毒殺、暗殺、謀反、まさに極悪非道の限りを尽くした。
コメント
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