行きかふ年もまた旅人なり

日本の歴史や文学(主に近代)について、感想等を紹介しますが、毎日はできません。
ふぅ、徒然なるままに日暮したい・・・。

読書記34『堕落論』

2008-04-24 10:59:25 | Weblog
   『堕落論』(坂口安吾 著)

 戦争が終わって半年のうちに世相は変わった。人間が変わったのではない。人間は元来そういうものであり、変わったのは世相の上皮だけのことだ。
 昔、赤穂浪士四十七士の助命を排して処刑を断行した理由の一つは、彼らが生きながらえて生き恥をさらし、せっかくの名を汚す者が現れてはいけないという老婆心であったそうな。美しいものを美しいままで終わらせたいというのが一般的な心情のようだ。武士は仇討のために草の根分けても足跡を追いまくらねばならないというが、真に復讐の情熱をもって仇敵の足跡を追った忠臣孝子があったであろうか。彼らの知っていたのは仇討の法則と法則に規定された名誉だけで、元来日本人は最も憎悪心の少ない、また永続しない国民である。昨日の敵と肝胆相照らすのは日常茶飯事であり、たちまち二君に仕えたがるし、昨日の敵にも仕えたがる。生きて捕虜の恥を受けるべからず、というが、こういう規定がないと日本人を戦闘に駆り立てるのは不可能なのである。我々は規約に従順であるが、我々の偽らぬ心情は規約と逆なものである。
 この戦争をやった者は誰であるか、東条であり、軍部であるか。そうでもあるが、しかしまた、日本を貫く巨大な生物、歴史の抜差しならぬ意志であったに相違ない。日本人は歴史の前ではただ運命に従順な子供であったに過ぎない。政治家に独創はなくとも、政治は歴史の姿において独創をもち、意欲をもち、やむべからざる歩調をもって大海のごとくに歩いていく。
 私は天皇制についても、極めて日本的な(したがって独創的な)政治的作品を見る。天皇制は天皇によって生み出されたものではない。天皇は概して自ら何もせず、常に政治的理由によってその存立を認められてきた。その存立の政治的理由はいわば政治家たちの嗅覚によるもので、彼らは日本人の性癖を洞察し、その性癖の中に天皇制を発見していた。
 歴史は常に人間を嗅ぎだしている。少なくとも日本の政治家たち(貴族や武士)は自己の永遠の隆盛を約束する手段として、絶対君主の必要を嗅ぎだしていた。平安時代の藤原氏は天皇の擁立を自分勝手にやりながら、自分が天皇の下位であるのを疑りもしなかったし、迷惑にも思っていなかった。天皇を拝むことが、自分自身の威厳を示し、また自ら威厳を感じる手段でもあったのである。要するに、天皇制というものも武士道と同種のものである。天皇制自体は心理ではなく、自然でもないが、そこに至る歴史的な発見や洞察において軽々しく否定しがたい深刻な意味を含んでおり、ただ表面的な真理や自然法則だけでは割り切れない。

 私は疎開の勧めを断って東京に留まった。死ぬかもしれないと思ったが、より多く生きていこうという確信があったに違いない。米国人たちは終戦直後の日本人は虚脱して放心していると言ったが、爆撃直後の罹災者たちの行進は虚脱や放心と種類の違った驚くべき充満と重量をもつ無心であり、素直な運命の子供であった。
 あの偉大な破壊の下では、運命はあったが、堕落はなかった。無心ではあったが、充満していた。それに比べれば、敗戦の表情はただの堕落にすぎない。
 だが、堕落ということの驚くべき平凡さに比べると、あのすさまじい偉大な破壊の愛情や運命に従順な人間たちの美しさも、泡沫のような虚しい幻影に過ぎないという気持ちがする。
 歴史という生き物の巨大さと同様に人間自体も驚くほど巨大だ。生きるということは実に唯一の不思議である。六十、七十の将軍たちが切腹もせず轡を並べて法廷にひかれるなどとは終戦によって発見された壮観な人間図であり、日本は負け、そして武士道は亡びたが、堕落という真実の母胎によって始めて人間が誕生したのだ。生きよ堕ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道がありうるだろうか。
 政治上の改革は一日にして行われるが、人間の変化はそうはいかない。遠くギリシャに発見された人性が、今日、どれほどの変化を示しているだろうか。
 人間。戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向かうにしても、人間自体どうなしうるものでもない。戦争は終わった。しかし、人間は変わりはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。それを防ぐことはできないし防ぐことによって人を救うことはできない。戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。
 だが、人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間は可憐であり、脆弱であり、それゆえ愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。人間は結局、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎ出さずにはいられなくなるであろう。
 だが、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人のごとくに日本もまた堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかないものである。


 終戦直後の作者の随筆に、多くの人々が反響した。戦後半世紀以上経ても尚、我々に反響するものであり、その都度、我々の心に衝撃を与える。「生きよ堕ちよ」、この言葉に強烈な印象を受けた。
 織田作之助、太宰治とともに「無頼派」と呼ばれた作者の作品は、読み続けられるであろう。
コメント
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