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uparupapapa 日記

今の日本の政治が嫌いです。
だからblogで訴えます。


中国・韓国と日本を分けた「朱子学」と「陽明学」 ?

2015-11-17 05:45:22 | 日記
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/45205?utm_source=yahoonews&utm_medium=related&utm_campaign=link&utm_content=related



タイトルに惹かれ読んでみた。



朱子学と陽明学。


私は歴史年表を眺めるのが昔から大好きで

時々登場するこの学問を見るたび、

朱子学とは何か?

陽明学とは何か?

その内容を知りたいと思っていた。



でもただ思うだけで、学究とは全く縁のない私は

ずーとその疑問を放置していた。



今日の日記のハナシのネタ探しをしていて

たまたま見つけたタイトル。


とても興味深く読ませて貰った。



タイトルほど中身は

中国・韓国との比較などには触れていない。


朱子学の本質、陽明学の本質を

分かりやすく説明し、

私の持っていた興味と疑問を解消するのに満足なものだった。




「東アジアにおける2つの端的な「官学」の差異。


それを説明するのに必要な歴史的に重要な観点。



それは伝統的な第1次産業、弥生時代以来の「灌漑農法」。

毎年ある時期になったら種もみをふやかし、

苗代を作り、代掻きをし、ある時期になったら

田に水を引き、田植えをし、雑草を取り病害虫を防ぎ、

豊かな実りはこの時期に収穫せよ、という「暦の支配」。

田植えも稲刈りも、伝統的な農耕は決して1人でできるものではない。

村中総出で力を合わせて収穫を得、実りを祝い、

農閑期には農閑期なりの仕事をこれまた分業する。

村祭りのようなものも含めて。

また、共同体のタブーを犯すものがあれば「村八分」の扱いとするなど、

良くも悪しくも封建農村が持つ、様々な特質を生かすうえで、

儒学は有効な役割を果たす。


孔子(BC.552~B.C.479)は

紀元前6世紀の中国は魯の国で「古代の先王」に復古せよ、

と儒学を立ち上げた人。

孔子が理想とした「周初」とは紀元前1046年頃、

つまり今から3000年以上も昔のことで日本に例えれば

「弥生文明」そのもの、原始人国家への回帰を掲げた人。

灌漑に基づく大規模稲作農業によって原始の集落国家が成り立ち、

人口の圧倒的割合を占める農民を統治するのに

適切な「官学」を説いた人である。



そんな孔子の時代から1500余年、

農業もガバナンスもはるかに進んだ中国「南宋」で

朱熹(1130~1200)が生み出した「朱子学」。


飛鳥時代以前の日本には、

成文法と言えるものは実質的に存在していなかった。


掟のようなものは言い伝えとして残っていたかもしれない。

しかし正確に記録されていなければ、

細かな整合性など取れるわけがない。

そもそも文字というものが当時の日本にはなかった。

人類の文化はみな、初めはそういう原始状態からスタートしたはずだ。


この状態を大きく打ち破ったのが「律令制」の導入。

つまり成文法によるシステマティックな統治の導入なのだ。

あえて乱暴に言うなら「朱子学」とは「律令国家」で

文書主義を重視すべく改革された儒学で、

だからこそ官学として適切だった。


そしてその社会を支えるのは第1次産業、

灌漑農法による米生産と、

それに従事する圧倒的多数の農民を統治する、

はっきり書いてしまえば「弥生時代以来」

とも言える循環型社会を保守する

訓古学として成功した「モデル」と言える。



これに対して東アジア社会で「実体が変化するときは、

規範もまた動く」として革命を支持する学となったのが

明代に王陽明がおこした陽明学(「王学」)であったと考えられる。

太平の世であれば、

朱子学に基づく循環的=停滞的な封建農村支配が順調に回転することで

「繁栄」が約束される。しかし乱世にはそうした理法は通用しない。

ここで「乱世」とは、単に戦国時代だけを指すのではない。

イノベーションを念頭に置けば、

私たち生きている現代の毎日、

時々刻々がR&D(リサーチ&デベロップメント;研究開発)

の乱世そのものであって、

そこで生き馬の目を抜くリサーチ・ウオーズに勝ち残っていくには、

文書主義程度まで進化した弥生時代崇拝という

「朱子学モデル」、つまり伝統思考の停滞型意思決定、

権威尊重で前例墨守の思考体制は、

圧倒的に不利だ、ということを言っているのだ。」


-2015.11.9 ~團藤法学から日本の卓越性を探る~ 伊東 乾 -




説明を省略しながら内容をかいつまんでみた。




江戸時代は儒学の開花期。

藤原惺窩(近世朱子学の祖)

中江藤樹(同陽明学)

その後も林羅山(朱子学)新井白石(朱子学)

や大塩平八郎(陽明学)など、

多くの儒学者を輩出した。



儒学自体に興味はあった訳ではないが、

日本人の精神構造と生活習慣を語る上で

なくてはならない法と学問であるのは間違いない。



江戸時代初期、幕府が統治するには

都合の良いのが朱子学。


でもそれは今に通じる弊害も招いた。


村八分。

それが高じて今のいじめの精神構造に繋がっていると感じるのは

飛躍のし過ぎだろうか?


朱子学は伝統を重んじるが故に停滞を招く。

世の移り変わりを巧みに取り入れる陽明学。


最高裁での、少数意見も重視する考え方や、

裁判員制度のスタートなども陽明学に沿った流れだという。


規範は必要である。


しかしその対極にある昨日も触れたイスラム国。


人類の敵ある彼らもまた人類から生まれた

悪魔そのものの病原体である。


その土壌はいったいどうなっているのか?


イスラム教圏から次々に生まれてくる

おぞましい過激派と呼ばれる病原体は、

イスラム教自体に問題は無いのか?



こんな批判をしたら、私まで粛清の対象にされるかもしれないが、

こんな批判にまで目クジラを立てるようなら、

はっきり言ってイスラム教に対する「邪教」の評価は免れない。


イスラム教の中から出てくる邪悪な病原体を

他の宗教や無関係な人たちに押し付けず、

自らの責任で処理してください。



あなたたちの中から生まれた膿でしょう?


イスラム教原理主義とか色々主張しているようだが、

彼らのやっていることは原初の無軌道な暴政だ。

法もへったくれもない犯罪だ。


私はイスラム教圏全体に偏見と敵意を持っています。



とても平和主義者とは言えない、ヘイトなオヤジが一句。



未だにね いじめを止めぬ 子孫たち




お粗末。