昨日は津波防災の日。
私は全く知らなかった。
その日被災地を訪れたのは、全くの偶然。
ただ私は、当初からの計画を実行に移し、
時間の許す限り海岸線を通り、現状を見て回った。
あの日から4年半以上を経過し、
もう爪痕など残っていないのでは?
と心のどこかで思っていた。
でもそれは、実際に現地を訪れ
大きな間違いであると痛感した。
ひっきりなく行き交う、おびただし数のダンプの車列。
復興の槌音は力強く鳴り響くが、
目を覆うばかりの被災規模の広さ・甚大さに、
全く追いついていないというのが素直な感想である。
果てしなく続く原野のように荒れ果てた平地。
よく見るとかつては宅地だったことを示す
基礎だけが残る痕跡や、田や畑の跡地だとわかる。
そんな荒地の中、
そこそこの規模の建物がポツリとあり、目を引いた。
近づいてみると小学校の廃屋。
中は明らかに津波による破壊の跡が残り、
痛々しく取り残されていた。
小学校だけが孤立して建っていた訳ではないはず。
おそらく、周囲には多数の生活があり、
人々が住んでいた家は全て津波に洗い流され、
跡形もなく消え去ったのだろう。
被災の慰霊碑も見つけたが、
同じく単体で、悲しく孤立していた。
自然に涙があふれる。
私は車を運転しながら、心の中で手を合わせ続けた。
南下を続け、相馬、南相馬と通過し、
やがて福島第一原発、第二原発を通り過ぎた。
その付近は当然車で通行できるとは思っていなかった。
通行止めで、迂回しなければならないだろうと。
でも違った。
帰宅困難地域としての規制はある。
そしてまだ、二輪を含む軽車両は通行規制が残る。
でも車は自由に通行することができた。
当然人影はない。
全くないわけではないが、後で述べる。
『ゴーストタウン』
かつての賑わいを思わせる商店街は、
まさにそれであった。
そんな現状を目の当たりにすると、
人生観まで変わってしまう。
そんな悲しい現地の中で見つけたたれ幕に書かれた、
「負けるもんか!富岡」
のスローガンが痛々しい。
未だに帰還できない悲しさ・悔しさ・焦り。
そこで暮らし、生活の糧を得ていた人々の心中を思うと
またまた不意に涙が込み上げる。
そんな現地を訪れ、気づき感心したことがある。
おびただしく行き交うダンプの車列。
一般のドライバーが皆、彼らに感謝していることを示す、
道を譲るマナーを頻繁に見かけた。
現地の人たちは復興を力強く推し進める彼らに
敬意を払っているのだ。
それに放射能汚染が残る立ち入り規制区域の中、
そこで働く人もいた。
除染作業をする人、
通行を監視する人、
何やら測量らしき事をする人。
健康被害の心配があるのを百も承知で
それでも誰かがやらなければならない
責任ある職務を全うしている。
そういう尊い志の人たちがいるから
現在の被災地の復興活動が支えられているのだろう。
現地を訪れ、改めて思った。
私にもできる事。
ただ祈るだけではなく、人のためになりたい。
これを契機に深く考えてみよう。
退職し、フリーな状態のオヤジが一句。
と思ったけど、今日の日記の内容が内容だけに
オチャラけた愚作は自粛します。
悪しからず。
私は全く知らなかった。
その日被災地を訪れたのは、全くの偶然。
ただ私は、当初からの計画を実行に移し、
時間の許す限り海岸線を通り、現状を見て回った。
あの日から4年半以上を経過し、
もう爪痕など残っていないのでは?
と心のどこかで思っていた。
でもそれは、実際に現地を訪れ
大きな間違いであると痛感した。
ひっきりなく行き交う、おびただし数のダンプの車列。
復興の槌音は力強く鳴り響くが、
目を覆うばかりの被災規模の広さ・甚大さに、
全く追いついていないというのが素直な感想である。
果てしなく続く原野のように荒れ果てた平地。
よく見るとかつては宅地だったことを示す
基礎だけが残る痕跡や、田や畑の跡地だとわかる。
そんな荒地の中、
そこそこの規模の建物がポツリとあり、目を引いた。
近づいてみると小学校の廃屋。
中は明らかに津波による破壊の跡が残り、
痛々しく取り残されていた。
小学校だけが孤立して建っていた訳ではないはず。
おそらく、周囲には多数の生活があり、
人々が住んでいた家は全て津波に洗い流され、
跡形もなく消え去ったのだろう。
被災の慰霊碑も見つけたが、
同じく単体で、悲しく孤立していた。
自然に涙があふれる。
私は車を運転しながら、心の中で手を合わせ続けた。
南下を続け、相馬、南相馬と通過し、
やがて福島第一原発、第二原発を通り過ぎた。
その付近は当然車で通行できるとは思っていなかった。
通行止めで、迂回しなければならないだろうと。
でも違った。
帰宅困難地域としての規制はある。
そしてまだ、二輪を含む軽車両は通行規制が残る。
でも車は自由に通行することができた。
当然人影はない。
全くないわけではないが、後で述べる。
『ゴーストタウン』
かつての賑わいを思わせる商店街は、
まさにそれであった。
そんな現状を目の当たりにすると、
人生観まで変わってしまう。
そんな悲しい現地の中で見つけたたれ幕に書かれた、
「負けるもんか!富岡」
のスローガンが痛々しい。
未だに帰還できない悲しさ・悔しさ・焦り。
そこで暮らし、生活の糧を得ていた人々の心中を思うと
またまた不意に涙が込み上げる。
そんな現地を訪れ、気づき感心したことがある。
おびただしく行き交うダンプの車列。
一般のドライバーが皆、彼らに感謝していることを示す、
道を譲るマナーを頻繁に見かけた。
現地の人たちは復興を力強く推し進める彼らに
敬意を払っているのだ。
それに放射能汚染が残る立ち入り規制区域の中、
そこで働く人もいた。
除染作業をする人、
通行を監視する人、
何やら測量らしき事をする人。
健康被害の心配があるのを百も承知で
それでも誰かがやらなければならない
責任ある職務を全うしている。
そういう尊い志の人たちがいるから
現在の被災地の復興活動が支えられているのだろう。
現地を訪れ、改めて思った。
私にもできる事。
ただ祈るだけではなく、人のためになりたい。
これを契機に深く考えてみよう。
退職し、フリーな状態のオヤジが一句。
と思ったけど、今日の日記の内容が内容だけに
オチャラけた愚作は自粛します。
悪しからず。