uparupapapa 日記

ようやく年金をいただける歳に。
でも完全年金生活に移行できるのはもう少し先。

シベリアの異邦人~ポーランド孤児と日本~【カクヨム】版連載 第5話  『イルクーツク』

2022-10-19 17:23:09 | 日記

数日後シベリアの中心地バイカル湖のほとりイルクーツクにたどり着いた。
 そこは長く弾圧の続くポーランド人の流刑地だった。
 ようやく同族の多く住む安息の地にたどり着いたと思ったら、そこもたどり着くまでの行程と同様、苦難の連続だった。

 ロシア革命に続く内戦で食料の配給は滞りがち。
 重労働と飢えと寒さは変わらず、死にゆくものたちは後を絶たない。
 実際当時の革命後建国間もないソビエト社会主義共和国連邦は、続く戦乱と無謀で無能な農業政策、天候不順により極端な不作が続き、餓死者2000万人とも云われるピンチを迎えていた。
 更に追い打ちをかけるように、共産勢力への警戒と敵視で、有力な列強各国は次々とシベリアへ出兵、当然のように食料救援は拒否された。
 国際的に孤立し何処からも救援を望めないロシア人たち自体が、極めて危機的状況にあったのだ。

 そこに追い打ちをかけるように、懲りることなく始まったこの新たな戦争。
 ポートランド・ソビエト戦争が破壊の牙をむいたのだ。
 長い支配から独立を果たしたばかりのポーランド。
 一方革命後の混乱でまとまりのないロシア。

 いずれも経済が破滅状態で国民生活が困窮を極める中での両者の争いだったのだ。

 そんな戦争がヨアンナ一家の悲劇を生んだ。

 ロシア人から見て敵国人と罪人であるポーランド人。
 以前から徴用されていたポーランド独立運動の政治犯や、愛国者などの好ましからざる敵の外国人に、施しが行き届くわけがない。
 更にヨアンナのような親と死別した難民孤児たちは悲惨で、空腹で身を寄せる場所もなく、ただちに救済しなければなないほど切迫していた。

 ヨアンナたち一行はようやくたどり着いたイルクーツクの地も、けっして安住の地とではない事が分かった。
 街は難民で溢れかえり、自分たちの居場所はどこにもない。
 やむなくその周辺の地に分散し、それぞれ自らが生き永らえる手立てを見つけるしかなかった。
 しかしそんな厳しい状況の中であるが故、ヨアンナ達孤児には誰も親身に面倒をみてあげられず、その日その日を生きるのがやっとだった。

 路頭に迷うヨアンナ。

 もう彼女に愛情を注ぐものは愚か、今日の、明日の心配をしてくれる者はいない。
 僅かに道連れの同郷者が見かねてギリギリのところで助けてくれるだけだった。

 その時ヨアンナは悲しい習性を身に着けた。
 大人の顔色を窺い、食べ物を分けて貰えるか悲愴漂う表情でただ立ちすくみ、ひたすら待つのだ。
 戦争孤児特有の悲しい習性の臭いだった。

 やっと見つけた僅かな食料に、先を争い群がる大人たち。
 幼いヨアンナに分け与える食べ物など、どこにもない。

 こんな時は非情にも弱い者から死んでゆく。

 空腹と寒さで震えていても、誰も気に留めない。
 そんな環境下に居続けると、次第に視界が狭くなる。

 例えばこんな状況を想像してみて欲しい。
 海などで水中深く潜ると、水圧で身体全体が押し潰されそうになる。
 特に頭が締め付けられ視界が段々狭まり、暗くなってくるときのような、ある意味それに似た症状に襲われる。
 
 もう、立っていられない。

 大人でもそうなのに、ヨアンナはどうして生き続けられるのか?
 両親と永遠の別れを体験し、未来に何の希望の光もあたらない。

 そうした追い詰められた状況に陥った時にだけ、やっと僅かな施しを受けられた。

 

 死と隣り合わせのヨアンナたち孤児は、明日は見いだせない絶望の淵に居た。

 

      つづく


シベリアの異邦人~ポーランド孤児と日本~【カクヨム】連載版 第4話

2022-10-15 09:04:02 | 日記

第4話  シベリアへの道 ~連行と選別、そして死~






 次は自分たちの番まで来た時、危機一髪、

「打ち方止めぃ!」

との号令が発せられた。

 

 急遽きゅうきょ新たな方針転換の命令が下ったのだ。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

※  それにしても、いくら武力で占領したからといって、無意味に無抵抗な市民まで虐殺しようとする?

 実行為には、伝統的なロシア人兵士の意識と習慣による行動パターンが読み取れる。

 彼らは戦闘で攻勢を誇る間は、相手に対し攻撃の手を緩めることは無い。

 例え相手が降参しても、無抵抗の意思を示しても、殺戮を続ける。

 軍の上層部や上官から「止め!」との命令が下りない限り、無駄に命を奪い続けるのだ。  

 だから今回の戦闘に於いても、上層部が捕虜に利用価値を見出さない限り、戦闘の継続は中断されないのだった。

 幸か不幸か、ミカシェビッヂの住人達には、生かしておくだけの価値があった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




  助かったのか?

 我が身の無事と、その直前に犠牲となり横たわる近所の知人たちの悲劇の対比が虚ろな時間と感情を支配した。



  まだ5歳に過ぎないヨアンナ。

 大人でも耐えがたい恐怖体験なのに、まともに受けてしまった。

 

  だが過日、ヨアンナの記憶には何故か残っていなかった。

 あまりに恐怖が大き過ぎ、幼い心と記憶に残せる程の容量は無かった?

 それとも恐怖 ゆえの自己保身の本能が封印した?

 でもだからと云って、あんなショッキングな体験を完全に忘れ去れる筈もない。

 

 いずれにしても記憶には残っていないが、深層心理での傷まで消せはしない。

 その後絶えず何かに怯えるその陰は生涯消える事が無かった。

 彼女の精神の奥底に横たわるその日の情景は、一生消える事の無い潜在恐怖と無常感として抱え続けていた。

 

 でもその一方、常に襲い来る不安と恐怖 ゆえ、立ち向かおうとする勇気と覚悟を培ったキッカケともなったのも事実である。

 

 ヨアンナ一家は助かった安堵感と同時に、今後の不吉で困難な運命が待ち受けている人生に、絶望に近い展望しか浮かばなかった。



 生き残った町人まちびとたちとヨアンナ一家は、焦土と化した故郷を恨めしさの眼差しで後にした。

 

 乱暴な大声で追い立てるロシア兵。

 ロシア軍は生け捕りした町の残留ポーランド人を、いわば捕虜同然の扱いでシベリア地方開拓や鉄道建設のため強制的に移動させようと考えていた。

 虐殺するより、安価な労働力として強制労働させる方が自分たちにとって得だとの上層部の判断だった。そこにヨアンナ一家も含まれ過酷な運命へと引き込まれた。

   幸せだった思い出の詰まる店舗兼住居を眼前で焼かれ目に涙を流し、その地を立ち去る父と母。

 両親の無念と絶望を胸にヨアンナは両手を引かれ、東へ向かう列車に追い立てられながら乗るのか?

 

 未だ銃を前にした恐怖と身のすくむ思いから抜け出せないまま、未知の強制移動に従う人々。

 

 ここで新たな選別が行われる。

 過酷な労働に耐え得るか?否か?

 

 いくつかの一家はその選別の後、二度と出会う事は無かった。

 別の集団たちは一体何処に行くのだろう?

 良くない想像しか浮かんで来なかった。

 

 幸か不幸か、ヨアンナ一家は列車に乗る列に選別される。

 他に顔見知った人は、アガタおばさんちの家族の若い顔が何人かと、教会の髭の神父さん、同じく教会のいつも隣の席の若夫婦くらいしか見当たらない。

 アガタおばちゃんはどこ?ウォルフおじさんは?

 アッ!手を引かれた悪戯いたずらヤンが遠くに見える。

 

 選別されて列車に乗る組、乗らないで残留する組。

 至る所で泣き叫ぶ声や名前を呼ぶ声が聞こえる。

 

 基準が解らない理不尽な選別の末、ヨアンナの一団は列車に乗った。

 だが異動手段の列車は客車ではない。

 牛や豚やニワトリなども運ぶ、家畜輸送用でもある異臭を放つ5列目の貨物車だ。

 木製のそれは、隙間だらけで合間から外の景色が見えるほどだった。

 一日一度僅かな食料と水を与えられるだけで、ひとりひとりがギリギリ座れる程度のスペースしかない。

 極めて不衛生で脱走は不可能なほど要所々々で監視の目が光る。

 列車の旅は混乱と不足と不安の渦巻く混沌の世界だった。

 長い(永い)移動距離。

 一体何処まで連れて行かれるのだろう?

 未だ目的地は知らされぬまま。

 飢えと不安が入り混じる移動は、それだけで耐えがたいものだった。

 疲れ果てた人びとはただ項垂うなだれ、運命を受け入れているようにも見える。

 

 諦め。

 

 先に対する見通しはそれしか許されていない。

 途中幾度となく異国の地ロシアの奥深くで降ろされ、休む間もなく父アルベルトは強制労働に従事させられた。

 その強制労働とは、主に鉄道敷設てつどうふせつ

 他の作業に回されるグループもあったようだが、ヨアンナの父ミカシェビッヂ徴用組は、くる日も来る日も線路建設に回されていた。

 だが建設作業に必要なろくな装備もなく、労働に適した作業着も無い。

 食事は粗末で休憩も最小限しか許されない。

 更に徴用された彼らの多くは、肉体労働未経験者で全く仕事にならなかった。

 いくつかの地をまわり試すが効率の悪さだけが際立った。

 朝早く駆り出される父。

 夜遅くに帰ってきても、疲労困憊ひろうこんぱい故のゆがんだ表情で、妻の用意した具の無いスープに口をつけ、直ぐに横になるのが日課になった。

 いつもの朗らかな笑顔は消え去り、全くの別人へと変容する。

 ヨアンナも妻も、唯一の頼るべき大黒柱の次第にやつれ、追い詰められる父アルベルトの身の心配と不安が日増しに強くなってくる。

 こんなことでは作業工期の目途も立たず、鉄道敷設の開墾場所からの撤退続きで、上層部からの命令は遂行できない。

 目論みが外れたロシア人担当たちは呆れ果て、自らに課せられた使命を放棄した。

 そして無責任にも徴用したポーランド人達を見知らぬ地に何の手当もなく放逐したのだ。

 その地は当然未開のツンドラが広がる荒野。

 木さえ生えない湿地帯が果てしなく続く草原の地。

 残されたポートランド人たちは、口々に不安を口にする。

 今日これからどうすれば良いというのか?

 自分は?家族は?食料は?今夜の、明日の寝どころは?

 

 議論を重ねるうち、いくつかの方針と、それに従うグループに分かれてきた。

 この地に留まろうと主張する者、戦乱続く西の祖国に帰ろうとする者、いっそ、もっと東に向かおうとする者。

 

 ヨアンナ一家も途方に暮れる中、父アルベルトの決断で安息の地を求めるグループに従い、同胞ポートランド人の住む東へ向かう決意をした。

 しかし不足する食料。

 宿泊に適さない環境。

 先が見通せない不安。

 次第に仲間内で不信とエゴが先に立ち、苛立ちから荒れようになり、粗暴な態度を取り始める者も出てくる。

 

 不穏な空気。

 しかしその結果、ヨアンナを不安にさせてはならない。

 父も母も務めてヨアンナを前に明るく振る舞おうとする。

 一日一回、パン一切れの食事でもひもじさからヨアンナを泣かせてはならない。

 食事の前の神様への祈りのその前に、必ず元気づけに親子で歌を歌うようにしていた。

 ヨアンナを楽しい気分にさせて少しでも幸せを与えたい。

 悲しい親心だった。

 

 しかしとうとう脱出時咄嗟に持ち出した商品用の金の懐中時計5個のうち、最後の一個を生活費しょくりょうに充てるため手放さなければならなくなった。

 父はマリアに「これをお金に換え、食料の調達に行ってくる。夕方までに帰る。」と云ったきり、その日の夕方を過ぎ夜が明け、次の日が過ぎても帰ってこない。

 

 翌日も帰らない。

 その翌日も・・・・。

 

 帰らぬ父アルベルトを待ち侘び、不安と治安の悪さへの用心から眠れぬ夜が続いた。

 

「お母さん、お父さん帰ってこないね。

 いつ帰るんだろうね。

 ヨアンナ、このパンをお父さんのためにとっておくね。

 きっとお腹を空かしているから。今頃何処にいるのかな?

 ヨアンナ、神様にお父さんが早く帰ってくるよう、お祈りするね。」

 

 それらを黙って聞いていた母マリア。

 不安の限界を過ぎた母は、涙声を隠すように小さく震えた声で、

「そうね、一緒に祈りましょう。」

とだけ言った。

 しかし残された妻と娘はそこに踏み留まり、いつまでも待っているわけにはいかない。

 ヨアンナと母マリアだけではなく、一緒にいた此処に居る全員、飢えによる死はすぐそこに迫っているのだ。

 彼女らがたどり着いたシベリア南部の原野は短い夏になると意外にも気温30℃近くなることもあり、恐ろしいほどの蚊の大群が発生し、人がちょっとの間もいられない程の湿地帯が広がる。

 だが、ほんの少しだけ南に降った所は砂漠地帯。

 自然の脅威の縮図みたいな場所だった。

 

 そしてこの過酷な地も短い夏は終わり、いきなり冬が来る。

 そこは人を寄せ付けない極寒の地。気温マイナス40℃を下回るような究極の土地。

 人が暮らしていくには厳しすぎる生活環境であった。

 ただ、そんな過酷な場所にも人は住む。

 流浪の民はその中に僅かに存在する生活可能な場所を求め、東行きを諦めた人々が集団を抜け、バラバラに極限の地に吸収されていく。

 

 ヨアンナと母も父の帰還を諦める時が来た。

「おかあさん、お父さんはいつ帰ってくるの?」

 母は悲しい表情でヨアンナを見つめる。

「お父さんはきっと早くヨアンナに会いたいと思ってお仕事を頑張っているのよ。

 お母さんも早くお父さんに会いたいわ。

 ヨアンナと一緒ね。」

 そう言って力なく笑った。

 それを聞いていた故国の仲間たち。

 いたたまれない気持ちと差し迫った状況に促され、明日の食料と居住できる場所を探し求め父の遺志を尊重し、直ちにポーランド同胞が多く住む東のイルクーツクへ向かう決意をした。

 

 その理由はこの過酷な地に残っても、母とヨアンナとふたりでは、どう考えても定住は不可能と思えた。

 後ろ髪をひかれながら、やむなくその地を後にする。




 父は帰らない。

 待っても、待っても帰らない。



 ヨアンナは立ち去るとき父の名を呼び、母に泣いてすがった。

 ここを立ち去る事は、即ち愛する父との今生こんじょうの別れになることを本能的に悟ったヨアンナは、到底その現実を受け入れられないのだった。

 しかしヨアンナの心の中では、いくら泣いても無駄なことも分かっている。

 自分に降りかかった悲劇が、自分にだけではない事実を目撃してきたから。

 

 少し前の冬のある日、それまで行動を共にしていた集団の中にひとつ年下の娘がいた。

 ヨアンナとはとても仲が良く一緒に遊んでいた子だ。

 いつもコトコトと明るく笑い、一緒にいるだけで辺りが明るくなる娘。

 そんな幼い天使にも残酷な現実は襲いかかる。

 あてどない旅の中、乏しい食料を娘に与え、自らは何も口にしていない母がとうとう力尽き、娘の明日を案じながら天に召された。

 

 残された娘は母にすがりつき、決して離れようとしない。

 そして次第に弱りその娘も数日後母の待つ天へと旅立った。

 すっかり冷たくなった母の亡骸。

 その遺体に重なり旅立つ娘の傷ましい姿。

 

 そんな悲しく壮絶な光景を目の当たりにしても、周りの大人たちは何もしてあげることはできない。

 自分たちも明日は我が身だから。

 せめて最後は人間らしく、心を込めてできる限り手厚く埋葬した。

 

 ヨアンナは妹のように思っていたその娘の最後を瞼に焼き付けるように見ていたが、涙は流さない。

 ヨアンナにとって辛すぎるこの現実は、暗黒の体験として心を蝕んでいた。

 

 やがて悲しい運命の順番が自分に廻ってきた。

 母マリアの死期が迫ってきたのだ。

 最後の食事を口にしてから幾日立っただろう?

 もう思い出すこともできないほど、昔に思えてくる。

 

 次第に意識が遠のく母

 

 「ヨアンナ・・・、ヨアンナ・・・・、私の大事な娘、子猫ちゃん・・・どうか生きて・・・。」

 最後の言葉だった。

 

 「神様・・・・・・。」ヨアンナは心の中で呟いた。

 

 「神様は本当にいらっしゃるの?

  お母さん・・・・・、お父さん・・・・・。

  神様のところに召されたの?

 

  私をひとり置いて。」

 

 心をそこに残しながらもヨアンナはそばにいた大人たちに引き離され、先へ先へと手を引かれた。




 どこまでも続く荒涼とした大地の中で。





       つづく


ペットボトルなどの資源ごみは、ちゃんと再生されているの?

2022-10-12 03:47:49 | 日記

 本当は今日、『シベリアの異邦人』第4話をUPする予定でした。

 でも緊急記事として、この問題を訴えたくて割り込み投稿しています。

 

 

 昨日YouTubeを見ていたら、番組コンテンツが始まる前に、こんな広告記事が流れた。

「あなたは自分がゴミに出したペットボトルがその後どうなるか知っていますか?」

から始まる。

 その広告の語りは続けて「出されたペットボトルは当然総て再生され、

再利用されているものだと思っているでしょうが、実はそうではありません。

 実際に再生処理されているのは全体の僅か数%~10%以内に過ぎず、

 残りは燃えるゴミと一緒に焼却処理されているのです。」


参考資料

https://www.env.go.jp/press/109290.html

https://www.kokusen.go.jp/wko/pdf/wko-202103_06.pdf 

(読者様のご指摘により、参考資料を併記しました。)



 私は愕然とした。


参考資料と比べ、数値に相違はあるが、数字のマジックによる誤差を考えると一概に デマであるとは思えない。


 私たちがペットボトルを資源ゴミとして出すには、まずキャップを外し、ラベルをはがし、容器を潰してゴミ袋に入れて出さなければならない。

  ペットボトル以外のプラスティックゴミは、私の住む自治体では今月から有料のゴミ袋に入れないと引き取ってくれない。

  そこまでしなければならないのも、地球環境を考えれば仕方ないし、当然であると考えていました。

 

 しかし、その広告が訴えている内容が、もしも本当の事なら、こんな住民を愚弄した話は無い。

 いや、多分程度の差こそあれ、日本国中資源ゴミ、特にペットボトルの出し方は同様だろう。

 と云う事は、この国の為政者たちは、国民に面倒な細かい分別を強制しながら、安直な償却処分していると云う事になる。

 国民に対し犠牲を強い乍ら、裏で舌を出しているのだ。

 

 でもこんな事例は重箱の隅をつつくような些細な悪事に過ぎない。

 この国の与党・野党含む国政・地方の議員たち、及び実際行政を執行する官僚や自治体の役人たちは、ツラッとした顔でもっと酷い事例の悪事をたくさん行っている事は想像に難くない。

 

 私は彼らを全く信じていません。

 だから『ママチャリ総理大臣』をこのblogで発表しました。

 この国の諸悪の根源を正し、真っ当な政治・行政を国民自らの手に戻したいからです。

 

 この国の政治を司る悪に染まった人たちを告発し、行政を国民が直接チェックし、不正を防止する仕組みを早急に作るべきであると思います。

 

 

 

 

 

 私が何度もしつこく投稿している『シベリアの異邦人』は、国家単位の理不尽と命を懸けて戦ったポーランド人の姿を通して、平和や民主主義、基本的人権を生れながらにして持つ平和ボケ日本人に、もっと考えて欲しいから訴え続けるように投稿しています。

 

 


シベリアの異邦人~ポーランド孤児と日本~【カクヨム】連載版 第2話、第3話

2022-10-05 15:41:33 | 日記

     

 

 

 

 第2話  ポーランド・ソビエト戦争

 ここでポーランドが歩んだ苦難の歴史をかいつまんで見てみよう。




 それまでポーランドは幾度かの列強からの理不尽な武力を背景にした分割を経てロシアの完全支配の下にあった。               

近年ではヨーロッパを席巻したナポレオン戦争の戦後処理がポーランドを奈落の底に落とす。




 今から約200年前、ナポレオン没落後の1814年から15年、欧州秩序を再構築するためウィーン会議開催。

ウィーン体制が敷かれる事となる。

 その中でポーランド関連の取り決め条項は、ポーランド・ワルシャワ公国を廃止し、代わってポーランド立憲王国設立。

 ロシア皇帝はそのポーランド立憲王国の国王を兼任する。

 

 こうして100年間ロシアの支配を受けたポーランド。

 そこに第一次世界大戦(1914~1918)勃発。

それはヨーロッパ全体を覆いつくす人類史上、未曾有みぞうの大戦争だった。




 その大戦争の最中、ポーランドに独立の千載一遇のチャンスが訪れる。

 

 大戦末期の1917年、ロシア革命が起き、支配者であるロマノフ王朝のロシア帝国が倒れたのだ。

 しかしまだロシア国内はボリシェビキやメンシェビキ・反革命勢力などが互いに争う情勢下にあり、混とんとしていた

 ソビエト連邦成立(1922)前の混乱期、ポーランドはその間隙を縫ってパリ講和会議の結果を受け独立。

 1918年11月ポーランド共和国が成立した。

 過去3度にわたるポートランド分割によるロシア国家の支配。

 そんな屈辱と悲哀と苦難に満ちた過去から、ようやく悲願の独立を果たしたポーランド。

 かつてのポーランド・リトアニア共和国の栄光を取り戻すべく、講和会議で得られた領地から更に西、ベラルーシ西部およびウクライナ西部での(分割前1772年8月5日以前と1791年以降の領土)失地回復を図るべく、ロシア内戦の混乱に乗じて1919年2月ロシア・ボリシェビキ政府に対し侵攻した。

 

 1920年、ポーランド軍はキエフ(現ウクライナ首都キーウ)を占領、大きく進撃したが、1920年4月以降赤軍が反撃開始、同年6月逆にワルシャワが包囲された。





       つづく

 

 

 

       第3話  鬼の赤軍

 

 そんな頃のお話。



 現ベラルーシには当時、ロシアに支配されていても、昔から住み続けるポーランド人が多数存在していた。

そんな中のひとり、ヨアンナの父アルベルトは、(幸運にも)ポーランドが独立後、急遽編成した軍隊の招集からは外されていた。

 何故なら戦争勃発時、まだポーランド領に組み込まれていない状況では、兵役の招集命令は届いていない。

 その後ポーランド軍が現地を解放したが、アルベルトには兵役に就けない別の理由もあった。

それはまだ若いみぎり、事故のケガがもとで今でも全力で走る事が出来なかったのだ。

 戦場で走れない兵には死あるのみ。

そうした理由で招集検査には合格できなかったのだった。

 

 それはアルベルト本人にとって、世間に対し肩身の狭い想いをする要因ではあったが、同時に愛する妻マリアと幼いヨアンナの傍らで、共に暮らし続ける幸せを実感できる大切な日々の暮らしをもたらした。

 

 それに加え、心根の優しいアルベルト。

誰が見ても地獄をくぐる兵士には不向きだった。





    *************






 ある日の日曜日。

いつものようにヨアンナ一家は教会に行くと、いつもより沈痛な面持ちで神父様のミサが行われた。

それは押し迫る軍靴が近づく予兆だった。

 戦況が悪化し、どうやら友軍が苦境に立たされているらしい。

 異変を察知したミサの参加者たちは、その日を境にいつもと違うより真剣な祈りに変わり始める。

しかし神様へのそんな祈りの声はとうとう届かなかった。

 

 そして一家の平和で幸せな日々が、銃声のとどろきと共に無残に消え去った。




 「ロシア軍だ!ロシアの兵隊たちが攻めて来たぞ!!」

 

 聞いた者たちに恐怖の戦慄が走った。

   

 ロシア赤軍の足音がすぐ目の前まで迫ってきたのだ。

 それまで攻勢だったポーランド軍は、体制を立て直したロシア軍を前に、退却するしかなかった。

しかし、ポーランドの兵士たちは退却出来ても、現地の住民たちは置き去りのまま。

 ヨアンナの家もそんな災難から逃れられない。

 

 今まで見た事の無い大きな動く鉄の塊りが、いくつも押し迫る。

 そしてけたたましいエンジン音と共に、金属のきしみ音を垂れ流しながら砲弾を打ち鳴らす。

そして「ゴー!」といううなりをあげて、こっちに近づいてきた。

 

 いくつもの砲弾が、点在する住居にさく裂しながら着弾する。

 

 家の外の逃げ惑う隣人たち。

そのうち鉄の塊りの背後から、銃を持ったソ連の兵士が多数脇に出て足早に近づく。

 やがて、いたるところで機銃掃射の乾いた音と悲鳴が聞こえる。

 灰色の空と地獄絵図。

昨日まで過ごしてきた街ののどかさが嘘のようだった。

 やがて乱暴にドアを叩く音と共に、粗暴なロシア語のがなり立てる声が聞こえる。

 ドアを蹴破り兵がなだれ込み、生まれ育ち、慣れ親しんだかけがえのない家に火を放つ。

 間一髪で難を逃れたが、家を焼かれ、取り残されたヨアンナ一家たちは家の外の広場に集められる。

集められた住人の胸に、ロシア兵の残虐で不吉な噂がよぎる。

 略奪や暴行、そして無差別殺りく。

この世で考えられ得るありとあらゆる残虐行為と無法行為がポーランド兵が退却した後、進撃したロシア赤軍兵士の下で実行されてきた。

 

 そうした人間とも思えない残虐な行為が、ここでも繰り返されるのか?

 

 事実、眼前のロシア兵たちの眼差しは、血に飢えたゲダモノそのものだった。

 まるで蛇の目のように冷たく、豹のように残忍な牙を剥く。

 そしてヨアンナ達はその時初めて実際に目撃した。

 

 目に余る略奪や暴行を。

 

 そしてとうとうその運命は自分たちにも注がれる事となる。

 銃を持ち、取り囲むロシア兵。

 壁を背に行き場のない追い詰められた数十人の住人達。

 

 ロシア兵下士官と思われる者が

「撃て!」

と冷酷に命じる。

 

 咄嗟に母マリアがヨアンナに覆いかぶさり、父アルベルトが二人を覆う。

 

 まさに機銃の音が無情にも鳴り響こうとする瞬間。

 

 その時、幼いヨアンナはそれまで心と身体を覆いつくしていた恐怖から解放された。

 人が死に至る恐怖を感じた時、極度の緊張が走る。

 しかし、よいよと云う時、全身にアドレナリンが充填され、何も感じなくなるのだ。

 まるで自分が虫けらにでもなったかのように。

まさに虫に過ぎない自分がケダモノに捕食されようとする瞬間、諸行無常の境地に達観する。

 

 ヨアンナ一家たち住人は、家族ごと一列に並べられ、右わきから機銃掃射は始まった。

 とどろく銃声、断末魔の悲鳴。




「神様・・・・・」





     つづく