プラチンブリの風

2012年02月28日 | プラチンブリの風

1

  プラチンブリの風 (目次)  By Harry H.

アメリカ・アラバマ州、ルーマニア・ブラショフ、そして2006年夏から約1年のタイ・シーラチャへの滞在から帰国したハリーは、2年半後にまた海外に出かけることになった。訪問先は首都バンコクから東に100kmのブラチンブリ・シーマハポート。

各章にはそのタイトルをクリックするとその章に移ります。この目次のページに戻るには左欄のブックマーク「プラチンブリの風」をクリックしてください。

13

5

8

1215

1619

1923

2427

Chapter31

4

 

 

 

 

 

 

 

 

 


プラチンブリの風 第35章

2012年02月05日 | プラチンブリの風

Jan_21_044

ブラチンブリの風 第35章 タイ・ライフ By Harry H.

2009年8月にタイに来て、2年半が経つ。こちらの生活に慣れるのに、最初の半年かかったが、今では、タイでの生活を、十二分に楽しんでいる。来月3月には、ここでの任務を終えて、日本に帰任する予定である。

 

1.   湿度:タイの首都バンコクは、東京と比べると、一年中、高温・多湿である。しかし、ここプラチンブリに来てみると、バンコクに比べると、湿気が少なく、過ごしやすい。日中、35度前後の中でも、ベトベトした感じはなく、サラッとしている。朝晩は、25度前後と、過ごしやすい。日本だと、夜は25度を超えると“熱帯夜”ということで、寝苦しいことになるが、こちらは、寝る前、エアコンを消して寝ても、汗をかくことは稀で、安眠できる。

2.   親切:タイ人の親日的なことは知られているが、それに加え、タイ人は、親切である。熱帯気候が、大きく気質に関係しているかも知れない。昨年3月11日の東北大震災発生時も、タイ人の知人・友人は、皆会うたびに、気遣いの言葉を掛けてくれた。HARRYの住んでいるサービス・アパートのオーナーは、日本への義援金を、私に託してくれた。感動すると共に、心から感謝した。

3.   生活費:日本に比べると、生活費はかなり安く済む。身近な例で示すのが一番わかりやすいであろう。理髪代は、カットだけで、100BAHT≒250円。コカコーラ(330ML)は、6本パックで、66BAHT≒170円だから、1本≒30円。プラチンブリから首都バンコクまでの民間バン・サービスは、120BAHT≒300円。150KM、2時間の乗車料である。映画は、ロード・ショーで、140BAHT≒350円。住んでいるサービス・アパートは、1カ月=14500BAHT≒36000円(光熱費・水道代・朝食・ベッドメーキング・インターネット代込)。

多くの先進国の退職者が、タイに来て生活するというのが、理解できる。そういう人たちのためのビザ(RETIRED VISA)は、タイの銀行口座に、残高として80万BAHT≒200万円があれば、取得できるようだ。

4.   料理天国:最近では、日本でもタイ・レストランは、珍しくなくなった。が、日本で食べるタイ料理は、やはり、日本人の味覚に合わせて、辛さをはじめスパイスは、控え目なのが一般的であろう。タイ料理の基本は、辛いのであるが、やはり,上手さの元は、スパイスである。日本では決して味わうことのできない、何とも言えない味である。また、安い。もっぱら、タイ人が来るタイ・レストランのメニューは、数十BAHT(100円~200円)が大部分。多くのタイ人が、自宅で食事をしないで、外食をするというのが頷ける。自炊するより、外食した方が、安いからである。

5.   フルーツ天国:熱帯のタイは、フルーツ天国だ。これについては、既に書いているが、一年中、豊富なフルーツが、安く手に入る。HARRYは、こちらに来てマンゴー(ナムドクマイ)、ソムオ―(柑橘系)、マンゴスティンが好きになった。

6.   地震:タイには、北部を中心に、12-13か所の活断層が存在する。従って、地震も起きているが、過去で最大のものが、MAGNITUDE4.5程度だ。ここプラチンブリでは、殆ど地震は起きない。

7.   原発:タイは、エネルギー計画として、2020年までに、500KW級の原発を、5機稼働させる予定だった。だが、昨年3月に起きた福島原発の事故を受けて、昨年7月発足したインラック政権も、その計画に対しては見直しが必要との姿勢だ。

 

このように、タイでの生活は、気候的・経済的・自然災害面・食生活面等、多くの点で住みやすさを見つけることができる。不安定な“政治”面では、昨年7月の下院総選挙で、大勝利をおさめたタイ貢献党が、インラック首相(元首相タクシンの妹)の元、重点施策として、“国民和解”(reconciliation)を掲げて、努力している。また、昨年50年ぶりの大雨で、北部を中心に大洪水が起きたが、日本政府(ジャイカ)の協力も得ながら、本格的な治水対策を進めて行く予定だ。  (2012年2月3日記)

 


プラチンブリの風 第34章

2012年01月08日 | プラチンブリの風

Jan2012_chiang_rai_266

プラチンブリの風 第34章 サワディー・ピー・マイ By Harry H.

タイの新年は、昔は、毎年4月1日であったものが、他国と合わせるべく、1941年から、1月1日となった。表題の、サワディー・ピー・マイは、タイ語で“あけまして、おめでとう”の意味。今年は、知人夫妻(タイ人)の故郷であるチェンライで、新年を迎えた。タイの正月風景である。

 

Jan2012_chiang_rai_2401.参拝:日本と同様、年末から年始にかけて、お寺参りをする。HARRYも大晦日の夜、知人夫妻と一緒に、市内のお寺へ、参拝した。本殿で仏壇に祈願し、出てきてから、蝋燭に火を灯して、また祈願した。零時を過ぎると、近くで花火があがり、また、コム・ロイ(風船)を夜空に上げる人もいる。

2011年は、日本では東北大震災が、タイでは、大洪水が起き、世Jan2012_chiang_rai_284界的にも最悪の年で、日常が日常でなくなった年だった。今年は、平穏で日常的な生活が送れることを祈願した。

 

1日は、少し郊外にある真っ白なお寺(WAT RONG KHUN)に参拝。この寺は、観光スポットにもなっているようで、沢山の参拝者で込み合っていた。お寺は、地元の有名な画家がデザインしたもので、まだ完成しておらず、建築中とのこと。 

 

2. 托鉢僧:4月のソンクラン(水かけ祭り)と新年の年2回、いろいろな仏像を積んだ山が町中を練り歩く。山車の後に、200人程の托鉢僧が、鉢を抱えており、パレードに来た人から、食べ物の托鉢を受けるわけだが、HARRYは、知人が準備した、お米と砂糖の包みを、鉢の中に納めた。 

 

3. 新年挨拶:知人は、1日、町中で花と果物を買い求め、実家でごJan2012_chiang_rai_272両親に捧げ、家族が居間に揃って、ご両親から新年の挨拶を。タイ語が理解できないものの、家族健康で楽しい生活をーーといったような内容ではないかと、想像した。 

 

暖かい国タイは、寒い日本のことを考えると、HARRYのような老体には、“優しい”環境である。チェンライは、タイ最北端の県ということで、バンコクやプラチンブリよりは、気温は低いが、快適なチェンライでのNEW YEARだった。(2012年1月8日記)

 


プラチンブリの風 第33章

2011年12月09日 | プラチンブリの風

King3

プラチンブリの風 第33章 King's Birthday  By Harry H.

12月5日は、プミポン国王(ラーマ9世)の誕生日で祝日だ。19歳で、即位しKing165年の即位期間は、世界最長である。84歳の誕生日で、干支でいうと7週目ということもあり、今年は、3日~9日までの7日間、祝賀行事が執り行われている。

しかし、今年は50年ぶりの大雨による洪水被害のことを考慮し、行事は控えめなものとなっている。祝賀行事と並行して、2万人を超える恩赦の実施、記念紙幣・記念切手の発行、また記念図書の出版も行われている。

84歳という高齢のため、普段、国王は、病院にいるが、5日の日は、王宮まで移動し、午前11時、バルコニーに出て、集まった多くの国民の前に姿を現した。そして、洪水のことに心を寄せ、次のように、国民の協力を呼びかけた。

King2At present, people are suffering from floods. Therefore, cooperation is needed to quickly solve the problem and come up with projects for sustainable water management. Those projects previously mentioned are only recommendations, not an order. However, the projects should be put into practice if they are seen as beneficial and cost-effective

 

国王の呼び掛けに応じ、翌日、インラック首相は、全国の洪水被災地の溢れ出た水を、年内に解消することを約束した。

(2011年12月8日記)

 

 

 

 


プラチンブリの風 第32章

2011年11月26日 | プラチンブリの風

 

プラチンブリの風 第32章 ホテル By Harry H.

ここプラチンブリには、開業して15年余りの老舗ホテルであるTAWARAVADEE Nov5_2011_053HOTEL(タワラワディー・ホテル)がある。広大な敷地の中に、ホテル建屋の他に、大きな池もあり、賃貸用の一軒家も多数ある。ロビーには、日本語のビデオ(アニメ・映画・音楽)が多数陳列されていることから、日本人宿泊客が多いことを物語っている。

ホテルには、レストラン・宴会場・会議室は勿論のこと、下記のように、いろいろな施設が整っている。

 

SWIMMING POOL ②テニス・コート(3面) ③バドミントン・コート(2面)     ゴルフ練習場(15打席) ⑤サウナ ⑥フィットネス     カラオケ ⑧卓球台(2台) ⑨POOL BAR

 

こんな田舎の町・プラチンブリでは、これといった商業施設は少ないが、ホテルの施設を利用することで、週末の生活が、退屈ではなくなる。

  • SWIMMING POOL:泳ぐというより、水中WALKINGとプール・サイドでの読書Nov5_2011_056 が、目的で行く。週末は、ホテルの客は、バンコクに、遊びに出掛けるので、プールに来るのは、せいぜい、地元の子供たちが少数人だ。

  • テニス・コート:地元のテニス同好会“304 TENNIS CLUB”に入会し、プレイしている。当然、日中は暑いので、夜にやる。クラブ・メンバーは、タイ人が多いが、中国人・マレーシア人・フランス人・オーストリア人・日本人(HARRY一人)と国際色豊かだ。

    ある時、午後10時ごろ、HARRYは、プレイをし終わって、コートの照明が消され、コートの外で休んでいたときのこと、草むらから、コートに向かって何か黒い物体が動いているのが見えた。暗くてハッキリ姿が見えず、ゴキブリかNov5_2011_033なとも思ったが、ちょっと大きいし、形も違うような!!近づいて見ると、何とスコピオン(サソリ)。驚いて声も出なかった。

  • ゴルフ練習場:HARRYは、40代のとき、“40肩”を患い、その時点で、ゴルフを止めた。今は直り、ゴルフを再開することはできるが、暑い中をラウンドする自信がなく、タイでのゴルフの再開は、見送っている。ときどき、この練習場で、ボールを打つ程度だ。

  • レストラン:タイ料理(洋食メニューもある)のレストランと、日本食レストラン“日本亭”がある。後者は、バンコクにあるお店の出店であり、おいしい。昼は、幕の内弁当やラーメンなどのランチメニューもある。 (2011年11月記)