同志社クラーク記念館

2008年02月23日 | 赤レンガ建築

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クラーク記念館修復工事完了お披露目

1995年の阪神大震災で壁の一部が破損したことを契機に構造調査と耐震診断を実施。5Doshisha1002clark 年の歳月を費やした大規模修復工事、ついに完成しこの日お披露目となった。写真は二階のクラークチャペルでのリードオルガン演奏、演奏者は元同志社中学校音楽科教諭の小倉恵子さんだ。そもそもこのチャペルは講堂として授業や講演に使われていたが、教室不足から1963年より二つの部屋に仕切られ、船底様式の天井も別の天井に変更された。今回の修復で元通りの船底天井が再現した。

Doshisha1003clark  Byron Stone Clarke Memorial Hall

クラーク記念館の英名の Byron Stone はクラーク夫妻の早世した息子の名前である。1890年1月に亡くなった創立者新島襄の名を冠した神学館を建てたいと卒業生が募金を始めた。しかし思うように集まらず頓挫しかけたところに、クラーク夫妻は早世した息子のメモリアルホール建設して欲しいとアメリカン・ボード(ミッション)に多額の寄付をした。館名に彼の名を入れることを条件に同志社に寄付されて、それをもとに同志社第5番目の赤煉瓦建築の誕生となった。設計はドイツ人建築家のリヒァルト・ゼール、1894年に竣工、当時の名称は久良留久(クラーク)神学館。写真左は復元されたクラーク館。

Doshisha1004clark 復原箇所 チャペルの天井以外に今回の修復工事での大きな復原箇所をいくつか紹介しよう。先ずはクラーク館の象徴とも言える塔屋。長い歴史で何度か補修工事がされており現在の材質が正しいのか検証され、銅板葺きの屋根は解体作業で元は鉄板葺きと分かり、建設当時のように鉄板が使用された。見た目の大きな変化はドーマー窓(写真・右)。1931年に取り除かれたドーマー窓も復原された。その他暖炉なども使われていなかったが今回の復原で元通り使えるようになった。

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写真・上左から、復元された暖炉。新しい黒板は仕掛けがあってをスライドすると元の古い黒板が出てくる。望楼への狭い階段(CL25・二階の5号室)。下の写真左から、CL24教室、CL23教室、1階のCL5。

 

同志社の文化財(赤煉瓦)建築物  彰栄館・礼拝堂・有終館・ハリス理化学館など

 


旧京都織物会社本館

2007年02月03日 | 赤レンガ建築

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旧京都織物会社本館 京都大学東南アジア研究所図書館

鴨川荒神橋近くにある京都大学東南アジア研究所(所長:水野広祐)に入るとこの建物に出会う。明治22年(1889)に日本土木会社(現大成建設)が施工した京都織物会社の本館である。左側の壁面に「京都織物会社」、右には「明治廿年創立」と刻まれている。建設が会社発足当初だったせいか、この赤煉瓦の建物は質素なデザインとなっている。現在は東南アジア研究所図書館として使用されている。

 


同志社文化財建築物

2007年01月19日 | 赤レンガ建築

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彰栄館  (重要文化財)

同志社には重要文化財に指定されている5棟を含む数多くの歴史ある赤煉瓦建築がある。先ず最初は彰栄館、同志社で最初の煉瓦造の校舎で京都市内で現存する最古の赤煉瓦建築である。米国人宣教師であったダニエル・グリーン(1843-1913)が設計して明治17年(1884)竣工。中央正面の時計塔と鐘塔を兼ねた塔屋に特徴がある。1979年に国の重要文化財に指定、1980-81年にかけて修復工事が行われた。

 グリーン宣教師は1869年に来日、1881年から同志社英学校で神学や旧約聖書学などを講義していたが、建築に造詣が深く現在の今出川キャンパスの原型である彰栄館、礼拝堂、有終館の3棟を設計した。グリーン宣教師は神奈川で死去して青山霊園に埋葬されていたが、いつの間にか墓の所有者不明となって東京都が撤去しなければ改葬する通知を墓前に掲げていた。これを知った同志社がグリーンゆかりの教会と相談して、創立者・新島襄の墓がある若王子山頂にある同志社墓地に移転することを決めた。このニュースは2001年11月に報道された。

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礼拝堂(チャペル)  (重要文化財)

彰栄館についで建てられたのが、礼拝堂で設計はD.C.グリーンで明治19年(1886)に竣工した。日本に現存する最古の赤煉瓦造のプロテスタントチャペルである。アメリカ人の設計らしくシンプルな建物で、1963年に国の重要文化財に指定された。1987年から3年ほどかけて修復工事が行われた。

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有終館(初代図書館)  (重要文化財)

同志社で最初の図書館で当時は書籍館と呼ばれ、当時学校図書館としては最大規模のものであった。設計は彰栄館、礼拝堂と同じくD.C.グリーンで明治20年(1887)に竣工した。 大正11年(1922)に図書館としての役目は終り、当時の海老名総長が有終館と命名した。1979年に重要文化財に指定された。

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ハリス理化学館  (重要文化財)

新島襄の理化学への熱意に共鳴したJ.N.ハリス(米国実業家)の寄付によって明治23年(1890)に竣工した。設計は英国王立建築士会正会員であったアレクサンダー・ネルソン・ハンセル(1857-1940)である。当時日本で建築指導を行った英国王立建築士会正会員だったのはジョサイア・コンドルとハンセルの二人だけであった。1888年ハンセルは旧大阪川口居留地の新学校の英語教師として来日したが、日本での活動は主として建築家としてであり、このハリス理化学館をはじめ多くの著名建築の設計にあたった。D.C.グリーンの設計はアメリカン・ゴシック様式だがハリス館はイギリス・ゴシック様式である。従って煉瓦積みも当然イギリス積である。1978年修復工事がなされ1979年に重要文化財に指定された。

クラーク記念館  (重要文化財)

Doshisha0702clark 新島襄の逝去を悼み記念講堂の建築を計画していたが、これを聞いたニューヨーク洲のB.W.クラークが23歳と言う若さで早逝した息子B.S.クラークを記念するためにアメリカン・ボートを経由して1万ドルの寄付がありこれが建設資金となった。Byron Stone Clarke Memorial Hall はクラーク神学館として同志社の神学教育と研究の中心的な存在であった。設計はドイツ人建築家であるリハルド・ゼールで明治27年(1894)に竣工した。尖塔の美しさが素晴らしいネオ・ゴシック建築として1979年にR.ゼールの設計図と屋内外ともに国の重要文化財に指定された。現在2003年から修復工事中であり、2007年12月完成予定である。

NEW 2008年2月 修復工事完成  復原されたクラーク記念館

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ジェームス館  (国登録有形文化財)

同志社女子大学にあるこのジェームス館は、同志社女子教育の功労者であるメリー・フローレンス・.デントン女史が募金活動に米国ジェームス家が応じてその寄付を基に大正3年(1914)に竣工した。M.F.デントン女史は1888年に来日して1947年の死去まで60年間同志社教師として女子教育に尽力した。設計は武田五一(1872-1938)である。武田は関西で活躍した建築家で京都大学工学部建築学科を創設したことでも有名である。赤煉瓦に花崗岩による白いラインはシンプルなデザインは素晴らしい。同志社女子大学125周年記念事業として保存修復工事がなされた。

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栄光館  (国登録有形文化財)

同志社女子大学正門を入るとこの建物がある。栄光館の構造は鉄筋コンクリート造であるがジェームス館とのバランスで煉瓦タイルを貼った外観となっている。従って赤煉瓦建築ではないが同志社一連の建築として紹介する。設計はジェームス館と同様に武田五一、竣工は昭和7年(1932)である。この時期には鉄筋コンクリートが建築主流になっている。1階には1600人収容できる講堂があり、パイプオルガンが備えてある。

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アーモスト館  (国登録有形文化財)

アーモスト館は新島襄の母校アーモスト大学と同志社大学の交流の証として昭和7年(1932)に建てられた。外壁は赤煉瓦造で構造は鉄筋コンクリート、設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズでニューイングランド・ジョージアン様式の素晴らしい建築。W.M.ヴォーリズ(1880-1964)は米国から来日した建築家で、ヴォーリズ合名会社(近江兄弟社)の創業者の一人である。熱心なプロテスタントで英語教師として来日、YMCA活動にも貢献し、特に教会、病院、学校などに建築設計の足跡を残している。

 


大阪市水道記念館

2007年01月08日 | 赤レンガ建築

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柴島浄水場 旧送水喞筒(ポンプ)場

大阪市水道記念館となっているこの建物は大正3年(1914)から昭和64年まで大阪市水道局の主力ポンプ場であった。ネオ・ルネッサンス様式の赤煉瓦と御影石との調和が素晴らしい第一旧配水ポンプ場の設計者は国立奈良博物館などを担当した宗兵蔵(ソウ・ヒョウゾウ1864-1944)である。

 

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平成7年(1995)このポンプ場を保存活用するために「水道記念館」として開館した。夜間にはライトアップされ、その美しさを披露している。下はポンプ場として活躍していた頃の写真で、一方は現在の記念館内部である。

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水道記念館の展示は素晴らしい。写真の順にエントランスモニュメントは大時計と水時計「漏刻」、30分後とに「チャリンチャリン」と音が響く。ポンプ場で活躍していたスイス・SULZER社のタービンポンプも展示、オゾンレンジャーではバーチャルゲームが楽しめる。「江戸時代のくらしと水」では水屋から水を買っていた庶民の暮らしを再現している。アンクルサムは疎開していた祖父の家に大きな水瓶があり、そこに水を運ばされたのを思い出した。

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なんといっても記念館の目玉は琵琶湖・淀川水系の魚たちが見られることだ。日本動物園水族館協会に登録されている本格的な淡水魚水族館である。96種3300尾の淡水魚が見られる。記念館がオープンになるまでは狭い淡水魚飼育研究棟でしか見られなかったが、それぞれ詳しい説明があって楽しい。写真は上から「ホンモロコ」、「アマゴ」、カジカ」、「アユモドキ」である。アユモドキのように天然記念物や絶滅危機にある珍しい炭水魚も見ることが出来る。入場は無料、休館日は月曜日。

 


旧門司税関 旧大阪商船

2007年01月04日 | 赤レンガ建築

 

旧門司税関

明治42年11月長崎税関より分離して門司税関が発足、これを契機に明治45年(1912)に煉瓦造り瓦葺平屋構造の庁舎が建設された。設計は妻木頼黄の指導のもとに咲壽栄一が担当したと言われている。15年使用されたが昭和2年に新庁舎が西海岸通りに移ったので、民間に払い下げられ事務所・倉庫などに使われた。このルネサンス様式のこの赤煉瓦造りの旧門司税関は、長き時代の変遷を見守ってきた北九州のシンボル的存在なので、北九州市が取得し平成6年に修復された。内部は大きな吹き抜けのロビー、その奥に税関PRコーナーがある。近代的なデザインで改修されているが、当時のままの状態も保存されており、この建物の特徴などが良く理解できる。

 

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旧大阪商船門司支店

赤レンガのように見えるオレンジ色タイルと白い石の帯が調和したデザインの外観と八角形の塔屋が素晴らしい建物は旧大阪商船門司支店として大正6年(1917)に河合幾次の設計で建てられた。構造上の特徴は外側をレンガで組み上げ壁を作り、壁の内側に型枠を作って鉄筋コンクリートを流し込んだ「片面レンガ型枠鉄筋コンクリート」が採用されている。明治時代の煉瓦造りから昭和の鉄筋コンクリートへの時代の�壓ぎ目が伺える建物だ。写真右は創建当時の写真で係留されているのは天龍川丸。1階は海峡ロマンホール、2階はギャラリーとして使われている。

 

国際友好記念図書館 大連市・芸術展覧館レプリカ  

ロシア帝国が1902年大連市(中国)に建設した東清鉄道汽船事務所を、北九州市と大連市が友好都市締結15周年を記念して1992年複製建築された。設計は作風からドイツ人設計者と言われている。オリジナルの建物は戦時中には日本の大連倶楽部などとして使われ、戦後は幾つかの変遷を経て現在はロシア風通りで芸術展覧館として使われている。国際友好記念図書館は1階がレストラン、2階は中国・東アジアの文献を収蔵した図書館、3階は資料展示室となっている。アンクルサムは子供の頃大連にいたこともあり、資料室にある展示は興味深いものばかりだった。