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ルーマニア滞在記(目次)

2006年07月05日 | ルーマニア滞在記

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  ルーマニア滞在記  (目次)       By Harry H.

アンクルサムの友人である Harry H.氏はW大卒業後、超一流商社に就職し50過ぎまで要職に就き活躍していたが、突然に退職しアメリカ・アラバマ州の大学講師を1年余り勤めて帰国。その後ルーマニアに渡り体験する貴重なレポート。各章のタイトルをクリックするとその章に移ります。このページに戻るには左欄の「ルーマニア滞在記」に。

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ルーマニア滞在記最終章

2006年06月16日 | ルーマニア滞在記

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ルーマニア滞在記 (最終章) By Harry H.

異文化交流

HARRYは、サラリーマン時代を商社で過ごしたこともあって、外国との接点は多かった。最初の海外滞在は、入社してまもない頃(1970年代前半)、長期出張でのカナダの首都・オタワだった。そこで異文化体験が、社会・人・習慣・自然・・・どれをとっても、日本とは異なることが多々ある。

オタワの街で、まず不思議に思ったのが、多くの標識や看板が、英語ともう一つの他国語、最初はフランス語であることが分からなかったが、二ヶ国語で書いてある。HARRYの勉強不足もあったが、この国はBILNGUALの国なのである。オタワは英語圏だが、川一つ越えるとフランス語圏になるのだ。

モントリオールに友人と車で遊びに行ったときのことである。モントリオールはフランス語圏のため標識がフランス語だけで、道に迷ってしまい、警官に(英語で)尋ねた。ところがある、その警官は何も答えてくれない。その当時はフランス語圏のカナダ人は、英語が喋れる・喋れないに拘わらず、フランス語しか話さなかった。今はどうだろう?

週末現地メーカーの人たちと郊外にOUTINGの約束をした。そうしたら、HARRYをピックアップに、予定の1時間も早く来るのだ。赴任すぐの当時、HARRYはカナダでは、夏時間・冬時間を採用していることを知らなかった。ルーマニアでも夏・冬時間がある。時間を変える当日、1時間早めるのか、いや遅らせるのかも、慣れないHARRYはこんなことにも悩まされた。

異文化体験は、ときに困惑したり、驚いたりすることがある。しかし、この感動こそ海外滞在の魅力である。もう一つ海外に出ることの利点がある。それは“外からの視点”で、客観的に日本を見ることが出来ることだ。日本(社会)のこと、日本人のこと、家族・知人のこと、それらは日本にいるときと異なった思いがするものである。

商社を辞めてからも、異文化体験による感動を求め、2002年にアメリカ・アラバマ州の人口3万人足らずの田舎町ガツデン(GADSDEN)にある州立大学で日本語の教鞭を取った。そして2004年1月からルーマニアのブラショフに来たのだ。

半年近く続いたこの“滞在記”は、これが最終章だ。またどこか海外の異文化体験をする機会があることを願いながら、〆ることにする。最後にかかる機会を与えてくれたアンクルサムと、アクセスしてくれた読者に、心から感謝する。

(UncleSam) ルーマニアのことを何も知らなかったが、HARRYの滞在記を読んでいるうちに、あたかもブラショフに行ったことがあるような錯覚を覚えた。W大卒業後世界的な一流商社で活躍したこともすごいが、退職後アメリカの大学で教鞭を取ったり、何でというようなルーマニアの国で日本との交流の仕事をしたり、本当に思い切ったことが出来るHARRYだ。また近いうちにHARRYのレポートがアンクルサムのHPで公開されるのを楽しみにしている。

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ルーマニア滞在記第22章

2006年06月11日 | ルーマニア滞在記

 

ルーマニア滞在記 (第22章) By Harry H.

ルーマニア特産品

ルーマニアは日本との貿易が活発でないこともあり、なかなか我々日本人の口に届くルーマニア特産品は少ない。ビールやワインが安くて美味いことは既に書いたが、蜂蜜・チーズ・岩塩なども美味しい。HARRYの冷蔵庫にはいつもビールとチーズは入っていた。

食べ物以外でルーマニア特産品というと、先ず日本の多く(?)の女性に任期がある“ジェロビタール”(GEROVITAL)という化粧品クリームがある。ルーマニア人女性学者が発明したもので、いろいろな種類があるが、皺取りクリームが日本では一番人気だとか・・・。今でこそ2-3千円でインターネットで買えるが、少し前だと2~3万円もした。現地で買うと(日本人感覚だと)格安だが、現地の女性のほとんどは高くて使ったことがないそうだ。

次にあまり知られていないのが、エミール・ガレのガラス製品だ。元々はフランスのものであるが、ルーマニアの工房でライセンス生産されているもので、エリアナ・モールの中にガレの専門店がある。ホテルや空港にも陳列されているが値段は高めだ。日本でもときどき新聞で、ルーマニア製エミール・ガレのガラス製品の通信販売の広告を見かける。

最後は、楽器に詳しい方であればご存知と思うが、レギン(REGIN)という楽器メーカーがあり、ギターやバイオリンを製造している。フォークギターは20~30万レイで買うことが出来る。現地に赴任して間もないとき、鉄人Mさんと街中の中古楽器店ベラ・ムジーカを訪れた。Mさんはレギンの黒塗りのフォークギターを、HARRYはスペイン製のクラシックギターを買うことにした。2本のギターにバック、ピック、弦などを揃え、しめて1000万レイ(3万円)強、サラリーマン平均月収2万円前後の国なので、3万円というのは、まさにBIG MONEY である。とたんに店の中が騒がしくなり、店長らしき人も出てきて対応する始末。こちらが驚いてしまった。

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ルーマニア滞在記 特別増刊号

2006年05月29日 | ルーマニア滞在記

 

ルーマニア滞在記 (特別増刊号) Harry H.

☆国際結婚☆

5月27日、HARRYは白馬で催された元JICA隊員MKさん(第12章に登場)とルーマニア女性のモニカさんとの結婚披露パーティに参加してきた。

JICA(青年海外協力隊)はルーマニアには約30名派遣されており、MKさんはスキーのジャンプを教えるため、ブラショフの隣町ルシルフに2002年に赴任して来た。ホームスティ先でモニカさんと知り合い、彼が2年の任期を終えて日本に帰るとき、彼女にプロポーズしたのだった。

そして今年1月にブラショフ市で結婚式を挙げ、日本ではこの5月27日の祝賀披露パーティとなったわけだ。パーティはスキー仲間、大学関係、地元の友人・知人が集まり、50人を越える盛会だった。

モニカさんとHARRYは、ルーマニア・ブラショフでは週1回の頻度で会う仲だった。というと問題発言のようだが、その真実は彼女が日本武蔵野センターでHARRYの日本語クラスを受講していた生徒の一人だったのだ。会社に勤める傍ら、大学院修士課程にも通うという、スマートで謙虚なルーマニア女性であった。日本語の成績も上位だったと記憶している。

今回のパーティで多くの人たちがこのカップルを温かく見守っていることを知ったモニカさん。親元から離れ、しかもルーマニアからははるかに遠い国・日本での生活、少しは心安らぐ感じを覚えたのでは。末永くお幸せに。

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ルーマニア滞在記第21章

2006年05月26日 | ルーマニア滞在記

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ルーマニア滞在記 (第21章)  By Harry H.

アンティーク・ショップ

12世紀に作られた歴史あるブラショフ市(BRASOV)であるから、街中に数軒の骨董屋がある。HARRYは昔からこういった店に、買うつもりなくともブラリと入って、店内に陳列されている品物を見ることが好きだ。

Brasov2102_1  店内に並べてある商品は、店によって特徴があるが、日用雑貨からアンティークまで、いろいろと揃えている。それこそテニスラケットやスキーなどをおいている店があるくらいだ。今回ルーマニアに赴任するにあたって、HARRYには一つの期待があった。3年ほど前から “万年カレンダー” という非常にマイナーなものに興味を抱き、蒐集し始めていた。ひょっとして、歴史あるルーマニアなら、ヨーロッパの古い万年カレンダーが手に入るのではと。

  多くの読者は “万年カレンダー” といっても、ピンをこないだろう。言葉通り、永久に使えるカレンダーだ。今でこそパソコンの簡単なソフトで表示される万年カレンダーがあるが、HARRYがいうそれは、電子式ではなく、メカニックなものだ。

  印刷技術が発明・普及される以前は、今のような紙にプリントされたものはなく、手で書くしかなかったわけだが、そこで永久に使えるカレンダーを考え付いたのである。1月~12月、1日~31日、月~日曜日が表示できる仕組みをいろいろな手法で実現したのが、万年カレンダーで、オートマチックではないが、それこそ沢山の種類がある。言葉の説明では分かりにくいので写真を見て頂きたい。

「万年カレンダーを集めているので、商品が入ったら確保しておいて欲しい」と各店主に依頼し、暇を見つけては骨董屋に顔を出した。結果は思っていた通り、一年もの間に、ルーマニア・オーストリア・イタリア・ドイツの10個を越えるヨーロッパの古い “万年カレンダー” を手に入れることが出来た。赴任前の一つのルーマニアへの期待が実現して、大いに満足であった。

(UncleSam) HARRYの最近の便りでは、この万年カレンダーの蒐集は続いており、すでに80個ほどになっていて、100個くらいになったら止めようと思っているらしい。HARRYがじいさんになったとき、「なんでも鑑定団」に「万年カレンダー100個」を出して、すごい値段がついて家族から喜ばれるかも・・・。でもこのTV番組、続いているかな?

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