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プラチンブリの風 第31章

2011年11月20日 | プラチンブリの風

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プラチンブリの風 第31章 LOY KRATHONG 2011   By Harry H.

ロイ・クラトーンは、陰暦12月の満月の夜、水の女神(コンカ―)に祈りをささげ、バナナの葉でつくったクラトーン(灯篭)を川に流し、自らの罪を洗い流し、身を清めるお祭りである。今年は11月10日(木曜日)が、その日になる。丁度、雨季から乾季への変わり目でもある。

Nov_10_loy_krathon_095川に流すクラトーンのほかに、昔から、コム・ローイと呼ばれる気球のようなもの(FLOATING LANTERNF)を空に飛ばす習慣もある。川を流れるクラトーンと夜空を舞い上がるコム・ローイは、幻想的だ。

ロイ・クラトンは、4月のソンクラン(水かけ祭り)と並ぶ、タイの2大祭りの一つだ。今年は、7月からの大雨により、北部・中部を中心に、各地で洪水が起きたことで、例年のような盛大な催しが出来ないところもあったようだ。

9時過ぎに近くのお寺に、タイ人仲間と出かける。境内では、クラNov_10_loy_krathon_090トーン売り場を始め、露天(お菓子、タイ料理、玩具等)、ゲームセンターが多数出店しており、多くの人で賑わっている。広場では、舞台が設営され、地区の村や町から選ばれた地区代表が、20数人集まってのBEAUTY CONTESTが開催されているである。これらのスポットに立ちよって、時間をかけて通り過ぎると、川がある。もう、すっかり水は引いて普段の水位だ。クラトーンの蝋燭に火を灯し、お祈りをして、クラトーンを川に流す。50年ぶりの記録的大雨という特別な年のロイ・クラトーンであったが、タイ国民は、そんなことを忘れて、このお祭りを楽しいでいるように見えた。(2011年11月12日記)


プラチンブリの風 第30章

2011年11月04日 | プラチンブリの風

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プラチンブリの風 第30章 2011年洪水 By Harry H.

昨年10月にも、“洪水”と題して投稿しているが、今年は、50年ぶりの記録的大雨で、北部・中部を中心に、洪水による大きな被害が出ている。首都バンコクの北100KMに位置するアユタヤ県、その南にあるパツンタニ県にある7つの工業団地は、全て冠水してしまった。そこに働く労働者は、30万人を超え、日系企業は、400社を超える。

タイには、自動車関連産業が多く、TOYOTAのように工場は、冠水していないにOct15_012も関わらず、被害を受けたところにある部品会社からの部品調達が出来ず、操業を中止しているところがある。SUPPLY CHAINの一部が欠損していることから、タイだけではなく、日本やアメリカの自動車生産にまで、影響は及んでいる。

北から南に流れるチャオプラヤ川(旧メナム川)の下流域に首都バンコクがあり、バンコク都の北部の8つの地区は既に浸水している。政府の必死の防水作戦で、中心部への浸水Oct15_013は、かろうじて免れている。

日本の川のように急峻ではなく、平坦な土地を流れる川は、山から海に流れ込むのに時間がかかる。チャオプラヤ川は、380KMの距離で、高低差が僅か20メートルしかない。

11月になり、乾季に入ったタイでは、これから大雨の可能性はないものの、川の水位は上がったままで、チャオプラヤOct15_014川の水が、海に流れ込み、被災地の水が引くまでには、まだまだ時間がかかる。アユタヤ県では、冠水した場所の水位が下がってきているそうだが、バンコク中心部の洪水の危険は、まだ残っている。

HARRYのいるプラチンブリ県は、バンコクの東150KMにあり、比較的被害は少なく、アパートのあるシーマハポート市は、高台にあり、近くに大きな川がないことから、洪水の危険はまったくない。それでも、北に30KMほど行った県庁所在地のあるプラチンブリ市では、町中のあちこちで水が溢れ、郊外の水田は冠水している。

 

HARRYの周りでも、洪水の影響は出てきている。

  1. Oct15_017会社のタイ人通訳の実家が、ドムアンにあり、先週末、浸水してしまい、家族が避難している
  2. ここからバンコクの大学院に通う留学生が居るが、大学が浸水していることから、休講状態
  3. HARRYが働いている会社は、TOYOTAの生産停止により、一部生産が停止している
  4. 近くのスーパーでは、品不足のため、商品棚に空きスペースが増えている

乾季になって、空が抜けるような青空であるが、多くの国民の心は曇りがちである。(2011年11月3日記)

 


プラチンブリの風 第29章

2011年09月25日 | プラチンブリの風

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プラチンブリの風 第29章 CHANG (象)   By Harry H.

Imageタイの代表的な動物といえば、多くの人が、“象”(CHANG:チャン)を思い浮かべるのではないでしょうか。ヒンズー教では、崇高な生き物として扱われていますが、仏教国のタイでも、白象は昔から神聖視されている。

タイの国旗でも、1917年に今の国旗になる前は、赤地に白い象がデザインされてTawaravadee_2いた。また、タイの国家象徴決定委員会でも、2009年、国の動物として、チャン・タイ(タイ象)を、決定している。

第24章の“ナレスワン大王”のところでも書いたように、昔は、戦闘で重要な役割を担っていたし、林業にも労働力として、使われていた。今は、その需要は少なくなり、主として、動物園や観光地でのライディング・トレッキングで、見ることが出来る。

そんな象徴的なタイの動物“象”を、身の回りでも、出会う機会が多い。

そんないくつかを、紹介する。

  1. ここプラチンブリの老舗ホテルTAWARAVADEE HOTELの入口にも大きな石の象が立っており、客を迎えてくれる。
  2. タイのビールというと、シンハ(SINHA)ビールが有名だが、象のマークのチャン(CHANG)ビールも、人気がある。
  3. 3月の東日本大震災に関しては、タイでも多くの企業・国民が、義援金を提供してくれているが、土産屋として、日本人に人気のあるNARAYAが、象の縫いぐるみ“ガンバル象”を、2万個販売して、その収益金を、日本大使館に寄付した。
  4. Sept6_2011_066タイの東部にあるカオヤイ国立公園に遊びに行った時のこと、帰り道、薄暮になっていたが、車道を野生の象が、6-7頭、縦列で歩いているのに、出くわした。公園の管理者が、車を一時停車させて、象が林の中に行くまで、交通整理していた。同公園には、野生の猿・シカ・タイガ―なども居るが、象に出会うのは、珍しいそうだ。
  5. 夜になると、北部の象遣いが、象を連れて、町中に繰り出す。仕事が少なくなった象遣いは、象の食べ物であるバナナやサトウキビを売って歩いて、日々の糧を稼いでいるのである。一つ20BAHTの餌を買って、象に与えると、象は鼻を伸ばしてきて、餌を吸いこんで行く。写真は、先日、タイ人仲間とタイスキを食べているとき、出会った象遣いの場面である。安全面と交通渋滞の懸念があることから、象を町中に連れ歩くことは、法律では禁止されているが、背に腹を代えられないというところである。

(2011年9月24日記)

 


プラチンブリの風 第28章

2011年08月26日 | プラチンブリの風

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ブラチンブリの風 第28章  猛暑  By Harry H.

 今年の日本の夏は、連日の猛暑で、熱中症で多くの人が、倒れたとの報道だ。タイの夏は、3月~5月で、今は雨季。朝は、23-24度、日中は、32-35度といったところである。  

Aug20_101プラチンブリに来てから、いつも感じているのだが、常夏のタイで、日中はいつも30度を超えるが、湿気が東京より少ないように感じる。空気がサラッとしていて、肌がベトベトすることは決してない。日本だと、夜25度を超えると、熱帯夜ということで、寝苦しいことの代名詞になっているが、ここプラチンブリは、夜、部屋の温度は、26-27度(外は、July5_02324-25度であろう)であるが、エアコンを消して寝ても、全く問題なく安眠できる。 

一方、首都バンコクはと言うと、在日本大使館のホーム・ページを見ると、次のような記述がある。“高温多湿で年中、蒸し暑くバンコクは、世界有数の高温多湿で、不快指数が非常に高い勤務地である”と。東京とバンコク(BKK)の月別平均湿度を調べて見た。

 

    1月  2  3   4  5   6   7   8   9   10  11  12

東 京  41 60 61 62 60 67 70 67 68 68 56 50 

BKK  64 70 68 72 75 75 76 75 77 80 70 63 (単位%)

 

 

やはり、バンコクの方が、一年中どの月を取ってみても、東京より湿度が高くなっている。バンコクのような都会と、HARRYが住んでいる田舎町プラチンブリとでHumidityは、かなり自然環境が違うようだ。田畑や森林もまだ多く残っているプラチンブなので、バンコクに比べると、気温と同時に、湿度も低めなのであろう。

湿度は、“都会化とともに下がる“ということを、日本の気象庁のデータ―で知った。湿気を含んだ土地がなくなり、乾いた状態になるということであろう。20世紀100年で、東京の湿度は、何と20%も下がっている。驚きだ!!  (2011年8月21日記)

 

 

 


プラチンブリの風 第27章

2011年08月05日 | プラチンブリの風

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プラチンブリの風 第27章 サキソフォン By Harry H.

 HARRYは、53歳になったとき、YAMAHA MUSIC SCHOOLのサキソフォンクラスに参加した。50歳から、YAMAHAでギターを習っていたのであるが、ギターの教室の隣が、サキソフォンクラスで、いつも、その教室の前を通るたびに、“かっこいいなあ!! いつか、サキソフォンがやりたい”と思うようになり、3年後に、ギターを止めてサキソフォンクラスに入った。

サキソフォンは、大きく分けると、バリトン・テナー・アルト・ソプラノの4種類あるが、HARRYは、人間の体の固有振動数に近いテナー・サックスを選んだ。音を出すと、体が共鳴する感じがなんともいえない。

サキソフォンの運指は、リコーダー〔縦笛〕と同じで、ギターのような難しさはない。3ヶ月の入門コースを終えると、無謀にも、地元のブラスバンド(吹奏楽団)に入団した。クラシックを演奏することは、それほど関心がなかったが、吹奏楽団で、音楽の基礎をと思ったのだ。

吹奏楽団で、3-4年経験したあと、本来やりたかったJAZZバンドに入団した。K大学のJAZZ同好会のOBが多いバンドであるが、初心者のHARRYを温かく迎えてくれた。
月2-3回の練習は、厳しいながらも楽しい時間だ。活動としては、各地で開催されSax_practice_01るJAZZ祭りやFESTIVAL,団地の夏祭り、ダンス・パーティー、福祉施設、結婚式等々での演奏がある。個人的には、ダンス・パーティーでの演奏が一番好きだ。ダンスする人は、我々の音楽に合わせて踊るし、それを見ている我々奏者も、また乗ってくるーーというわけだ。2008年結成15周年を迎え、関係者・家族・友人を呼んで、ホテルで、盛大に記念演奏会を開いた。

HARRYは、海外に出るときは、バンドには休団届けを出している。今回、タイに来るに際し、テナーより一回り軽いアルトを、練習用に持参した。一人でも練習しておけば、日本に戻ったとき、すぐに復団できると考えたからだ。

そんな中、タイでのテニス仲間のマレーシア人・N氏が、何と、アルト・サックスをSax_practice_02_2持っていることを知った。こんなタイの田舎町プラチンブリに、同じサックス愛好家がいるとは、夢にも思わなかった。彼は、自己流で、耳学問。耳から音を拾って、サキソフォンで音を出すというスタイルだ。そんな彼が、一緒に練習しようということで、毎週水曜日の夜、7時ころから10時ころまで、彼のアパート(一軒屋)で、音階の基礎と簡単な曲を練習し始めた。基礎のない彼なので、音階は、一番基本のCスケールから、Fスケール(#)、Gスケール(♭)、半音階―――といった具合。彼自身が、うまくなりたいという気持ちが大変強いので、最初は難しいスケールも、回を重ねる毎に、こなせるようになってくる。彼自身も嬉しくなるが、HARRYも嬉しくなる。曲では、簡単な音調・音階の優しいものを選んで演奏した。

そんな彼は、2010年8月、タイでの仕事を終え、マレーシアに帰って行った。一期一会、本当に驚きの出会いだった。〆