王子 狐の行列

2014年11月30日 | お祭り

 

狐の行列 王子装束ゑの木「大晦日の狐火」の再現

初代歌川広重の名所江戸百景の中でも最高傑作といわれる「王子装束ゑの木 大晦日の狐火」という絵がある。王子稲荷は東国三十三ヶ国・稲荷の総元締め(平安時代の伝承)、大晦日に集まった狐たちに位階を授けたという。榎のもとで狐たちが装束を整えて王子稲荷に初詣に出かけたことを画いている。この絵をもとに王子の街の人たちが数十年前より「かがり火年越し」や「狐ばやし」で事起しをし続けている。そして近年「狐の行列」が誕生した。

王子狐の行列 王子装束ゑの木 大晦日の狐火」 の今年(22回目)の開催日は例年通り12月31日の大晦日、深夜0時に行列は出発する。ほど暖かくお天気に恵まれると思いなーと思っている。実行委員会の公式サイトは次の通り、その表紙には広重の狐火の絵が載っている。

王子狐の行列 王子装束ゑの木大晦日の狐火 浮世絵の再現

アンクルサムは6年ぶり2度目の見物に出かけた。午後10時王子に着いたがすでに装束稲荷(写真トップ)には多くの狐?が集まりムードが高まっている。早速装束稲荷にお参りをして甘酒の振舞があったので頂いた。11時に鏡割がありこれも相伴に預かった。見ると周りは狐ばかり、というのは狐のお面を付けたり、顔を狐のように化粧している人や子供たち、聞けばこの近くの美容院で化粧を200円でしてくれるらしい。どうも地元でない人たちも狐に化けて行列に参加するようだ。午前0時過ぎいよいよ行列が始まる。ざっと1時間ほどだがなんとも楽しい行事である。午前1時過ぎになるがこの行事に参加してから例年お参りする初詣で出かければきっと良い年回りになるかも。

狐ばやしを演ずる「こぎつね連」は祭りの人気者

人気の的はこぎつねさん、カメラを向けると可愛くポーズ

いざいざ王子稲荷に初詣 実に風格があるなー

めがねをかけた狐さんも

美人狐も勢ぞろい

お面も売っていました

かごも行列に加わります

提灯交換の儀

王子ささらばやし 祭りの中心です

王子狐の行列 王子ささらばやし どですかでん

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アベノミクス選挙に一言

世の中は衆議院選挙で少し騒がしくなっている。アベノミクス選挙と呼ばれる選挙らしい。民主党政権のときは最悪だったが、安部政権になって少しましな世の中になりつつある。注文をつけたいのはマスコミの報道だ。世の中のアベノミクスに対する評価で街の行く人々のインタビューは当然だと思うが、世論調査でアベノミクスの評価は半々くらいだそうだが、評価しない人の登場は7割を超えている。(世論の割合に合わせてやるべき) いつもおかしいと思うのは、景気動向の場合、必ずと言ってよいくらい大田区の町工場が取材対象となる、日本経済動向は大田区の町工場の意見で代表できると思っているマスコミの取材のありかたに大きな疑問を感じる。 2014年度上半期の倒産件数と負債総額は確実に減少している・・・このことを報道したマスコミは極めて少ない。


秩父夜祭 宵宮

2014年11月09日 | お祭り

秩父夜祭 宵宮

秩父夜祭は「日本三大曳山祭り」の一つに数えられている。例年12月2日が宵山(大祭は翌3日)、宵山ならあまり込み合うこともないだろうと出かけた。正午に道の駅ちちぶに駐車。軽食を済ませて秩父神社に向かう。秩父神社での屋台曳き廻し、曳き踊り、秩父神社神楽などをゆっくりと観賞出来た。このような祭りは概ね競い合うケンカまつりと言った感じが想像されるが、秩父夜祭は屋台同士、つまり町同士がお互いに称えあうイメージが伝わってきて、とても気持良い祭りと感じた。

秩父神社 ご本殿の額には「知知夫神社」と記されている。知知夫国の総鎮守ということらしい。社殿正面四面にわたって虎の彫刻がある。左から2つ目は「子宝子育ての虎」で左甚五郎の作と紹介されている。他にも社殿の周りに由緒ある彫刻がある。

宮参り 昼過ぎから町内を練り歩いた屋台は宮参りをする

祭りと子供 昼過ぎから町内を練り歩いた屋台は宮参りをします。

京都祇園祭・飛騨高山祭と並んで日本三大曳山祭の一つと言われている。

秩父夜祭は国指定重要民俗文化財となっている。

宮地屋台 秩父屋台の中では最も古く端正な形、後幕は猩々(しょうじょう)でよく目立つ

本町屋台 後幕に大きなダルマの刺繍があることから達磨の屋台とも言われる

 

屋台方向転換 男たちがテコを使って屋台を持ち上げ、中央下部にキリン(ジャッキ)を入れて方向転換をする。屋台の重さは12トンから20トン。

前を向いている男衆は達磨と記されているハッピだから本町の男衆

所作 曳き踊り (本町屋台)

上町屋台 大きな屋根が特徴、後幕は鯉の滝登り

秩父神社神楽奉奏 国の重要無形文化財、演目は「根付榊の舞」

上町屋台の曳き踊り 「長唄 藤娘」

秩父神社神楽 釼鍛

中町屋台の方向転換

中町屋台の男衆

 

 中町屋台 曳き踊り 長唄 菊づくし

本町屋台 午後6時から提灯が点けられ屋台が曳き廻しされる

 

 中町屋台

 

中町屋台が道路の端に、本町屋台が通り過ぎていく、狭い道路での見どころ

祭りだと競い合う形が多いが、秩父夜祭ではお互いに称え合うイメージでとても気持ちが良かった。
祭りの日が雨だと屋台に雨除けのビニールシートが張られてなので美しさが半減する。今年も良いお天気で秩父夜祭が・・・と願っている。


京都 時代祭

2014年10月13日 | お祭り

 

京都 時代祭 10月22日

今年も10月22日が近付いてきた。京都三大祭の一つ・時代祭の日、正午に京都御所建礼門を出発、堺町御門→烏丸丸太町→烏丸御池→河原町御池→河原町三条→三条大橋、三条神宮道を通って、午後2時半に行列は平安神宮に到着する。葵祭や祇園祭と比べると歴史は浅いが、それでも100年以上歴史あるがる。時代祭は明治28年に平安神宮が創建されたのを記念に始り、祭りを盛り上げるために京都の風俗を模して今のような時代風俗行列が行われるようになった。まだご覧になっていない方はこのページで、ざっと行列のあらましをご覧になってから行かれると良い。

時代祭旗・総奉行

各隊列の前に、時代祭旗と時代祭を主宰する平安講社の理事長が総奉行として、2000人余りの行列の先頭に登場する。平安講社は平安神宮の保存などの市民組織として作られ、行列の多くは平安講社の旧学区で分けられている各社が担当している。

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維新勤王隊列  (明治維新)

明治維新のとき、丹波北桑田郡山国村(現在の京都市左京区京北)の郷士83名が山国隊を組織して、官軍に加勢し、錦の御旗とともに凱旋したときを表現している。

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幕末志士列 (明治維新)

桂小五郎(写真上左)、西郷隆盛、坂本龍馬(写真上右)、中岡慎太郎、高杉晋作が登場する。続いて七卿落ち。尊王攘夷派の7人の公家たちが京都を追われて長州藩に落ち延びた。そのメンバーは三条実美、三条西季知、四条隆詞、東久世通禧、壬生基修、錦小路頼徳、澤宣嘉。蓑を着て道中する姿を再現している。(写真下右) 左は近衛忠煕。

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徳川城使上洛列  (江戸時代)

徳川幕府の歴代将軍は大礼、年始などには城使を上洛させた。城使には譜代の大名がその任に当たった。先頭に行く槍持、傘持、挟箱持の掛け声や所作を楽しめる。

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江戸時代婦人列 (江戸時代)

最初に行くのは第14代将軍・徳川家茂の正室となった和宮親子内親王(写真上)、蓮月(江戸時代の歌人)、中村内蔵助の妻、お梶(女流歌人で、祇園に茶店を営んでいた)、吉野太夫(写真下)などが続く。

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 豊公参朝列  (安土桃山時代)

 

慶長元年(1596年)豊臣秀頼の初参内と慶長2年の元服のときがもっとも盛大だったとされている。その様子を再現したのが、この豊公参朝列。参内の乗り物は牛車(ぎっしゃ)で、檳榔毛唐庇車(びんろうげからひさしぐるま)と呼ばれる豪奢なもの。

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織田公上洛列 (織田公上洛列)

応仁の乱のあと、京の都は極度にさびれて、皇室も衰微していた。永禄11年9月、織田信長は上洛して、皇居の整備、都の復興に努めて民を安堵させた。信長の上洛を模したのが織田公上洛列。

立入宗継(たてりむねつぐ)は、粟田口(京都市東山区)に織田公を出迎えた。下の写真は左は羽柴秀吉、右は織田信長。

 

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室町幕府執政列  (室町時代

武家風俗を中心とするもので、足利将軍は鎧など身につけず烏帽子に豪華な金襴の衣装の軽装、幕府執政の任にあたる三管領・四職の氏族が御供衆として従い、公家・法中・御博士・医師などの特色ある風俗が表現されている。 

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 室町洛中風俗列

 16世紀京の町衆によって盛んに催された風流踊りを再現している。風流傘を中心に、囃子方、踊り手で構成、これが各地に伝わって、江戸時代以降の盆踊りの原型となった。 

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 楠公上洛列 (吉野時代)

元弘元年、後醍醐天皇が隠岐から還幸された際、上洛を導いた楠木正成一族の行列を再現。その楠公一代を通じての盛事で、豪華な甲冑や武具が見もの。 

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 中世婦人列 (吉野時代)

 

 大原女

洛北大原の婦人は頭に薪、炭など載せて京の町へ売りに出る風習があった。これは室町末期の大原女姿。

 

 

 

淀君 (豊臣秀吉の側室、浅井長政の娘)

 

 

静御前(しずかごぜん)

源義経の愛妾。ここでは白拍子時代の姿で水干、単小袖、白の切袴、立烏帽子を身に着け、鼓を持っている。うしろに童女(わらわめ)が一人従い、絹傘を所持している。

 

 

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 城南やぶさめ列 (鎌倉時代)

流鏑馬(やぶさめ)は平安朝の時代から行われていた騎射の技で、馬場の3か所に的を立てて、馬を走らせながら弓を絞って矢継ぎ早に射る。この列は狩装束の射手の武士を中心とした5組をあらわしている。  

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 藤原公卿参朝列 (藤原時代)

平安中期以後、藤原氏のもっとも栄えた時代を表した列で、列では文武両様の姿をあらわしている。夏の様式。 

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 平安時代婦人列 (藤原時代)

 

巴御前

木曾義仲の側女、女武将として義仲とともに戦いに参加、勇ましく艶やか。

 

 

 

 

巴御前に続いて、横笛(建礼門院の雑仕女、斎藤時頼の愛人で出家した時頼のあとを追う)、常盤御前(源義朝の側室で、義朝の没後、牛若ら三児を連れて六波羅へ向かう)、清少納言(源氏物語の作者)、紫式部(枕草子の著者)、紀貫之の娘、小野小町、和気広虫(和気清麻呂公の姉、慈悲深く多くの孤児)が続く。

 

 

百済王明信(くだらおうみょうしん)

百済王・理伯の娘、桓武天皇の時代に女官の最高位である女官長を勤めた。唐衣に裳の唐風の装束で翳を手にし、侍女を従えています。翳(さしは)は鳥の羽や絹を張ったうちわ形のものに長い柄をつけた道具で顔を隠すのに使う。 

 

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 延暦武官行進列 (延暦時代)

この列の大将は征夷大将軍坂上田村麻呂、東征を終えて平安京に凱旋。

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 延暦文官参朝列 (延暦時代)

延暦時代の公卿諸臣が参朝するようすを再現。 

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 神饌講社列 (延暦時代)

時代祭当日の神饌物を奉献する役を勤仕する者の行列。 

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 前列 (延暦時代)

神幸列に前行する故に前列と言われる。雅楽の奏者、迦陵頻伽、胡蝶等優美な行列で、また多数の狩衣姿のお供が続く。 迦陵頻伽(がりょうびんが)とは仏教で説かれる想像上の鳥で、上半身は人間、下半身が鳥。極楽浄土に住んで、妙声で仏法を説く。

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神幸列

御賢木(おんさかき)を先頭に、ご鳳輩が続く。先の御鳳輦は孝明天皇、後のご鳳輦が桓武天皇が祀っており、京都をご巡幸になって、市民の安らかな様子を親しくご覧になるのであって、時代祭でもっとも意義ある列。

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 白川女献花列

比叡山の裾野、白川に広がる花畑の花を売り歩くのを業とする女性が白川女で、その歴史は古く、平安時代中頃から御所に花を届けていた。神前に供える花を頭にのせている。 

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 弓箭組

丹波国南桑田、船井両郡には、源頼政に従い弓矢の技に優れた者が多く、その子孫も平素弓箭組を組織。 桓武天皇平安遷都の際その御列の警護にあたり、維新には山国隊とともに東北鎮護に活躍した。

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京都 葵祭 

 

 

 


京都 葵祭

2014年09月28日 | お祭り

 

 

京都 葵祭

葵祭とは 葵祭は下鴨神社(賀茂御祖神社)と上賀茂神社(賀茂別雷神社)の例祭で、毎年5月15日に催され、京都三大祭の一つである。起源は約1400年前に溯り、819年(弘仁10)には朝廷の律令制度として、重要な恒例祭祀に準じて行うという国家的行事となった。幾度かの中断や行列の中止があったが、近世では第2次世界大戦での中止から1953年(昭和28)から再開され、王朝の伝統を忠実に守られた葵祭が現在に続いている。

行列とコース 行列は勅使を中心とした「本列」と、女人列といわれる「斎王代列」である。午前10時30分に京都御所を出発して、御所は堺町御門を出て、丸太町通・河原町通を経て、11時40分に先頭が下鴨神社に到着する。「社頭の儀」のあと午後2時20分下鴨神社を出発し、下鴨本通・洛北高校前・北大路通・賀茂川堤を経て、3時30分に上賀茂神社に到着する。だから行列を見るのに苦労は要らない。京都御所を除けば、コース上好きな場所ですぐそばで見物出来る。行列は最初から最後まで約1時間で見学できる。もちろん特等席は京都御所(建礼門前南側:10時30分)と下鴨神社参道(11時40分)の有料観覧席(全席指定で2050円)であるが、当たり前であるがコース上どこで見ても同じ行列だから、好きな場所で到着30分前に行けば目の前で見ることが出来る。

 

葵の葉 その昔「賀茂祭」と云われたこの祭が「葵祭」と呼ばれるようになったのは江戸時代の元禄7年(1694)の再興からである。写真のように勅使から供奉者まですべて葵の葉を衣冠につけている。御所車(牛車)も牛馬もすべてである。使用される葵の葉はフタバアオイで下・上両社から御所に納められる。

平安貴族の優雅な姿と行列(本列・斎王代列)を行列の順番通りに紹介

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本列: 乗尻

乗尻(のりじり)
行列を先導する騎馬隊で左右各3騎、上賀茂神社の競べ馬(くらべうま)の騎手である。行列は御所から上賀茂に向かって5時間かけて繰り広げられるので、コース上どこでもゆっくりと見物できる。写真は京都御所・堺町御門あたりで撮影。

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本列: 検非違使志 検非違使尉

検非違使志(けびいしのさかん):写真左
警察・裁判を司る役人(六位武官)。舎人(とねり)が引く馬に乗り、看督長(かどのおさ)、火長(かちょう)、如木(にょぼく)、白丁(はくちょう)を率いて警備にあたる。
検非違使尉(けびいしのじょう):写真右
検非違使庁の役人で五位判官(第三等官)、検非違使志の上役で行列警備の最高責任者。

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 本列: 山城使

山城使(やましろつかい)
山城介(やましろすけ)で山城国司の次官で五位文官。行列が向かう下鴨や上賀茂は洛外になり、山城国司の所管になるので警衛のために加わったと考えられる。

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 本列: 御幣櫃

御幣櫃(ごへいびつ)
宮中から両神社へ納められる御幣物(ごへいもつ)を入れた唐櫃。注連縄をかけ白丁が担いでいく。

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 本列: 内蔵寮史生

内蔵寮史生(くらりょうのししょう)
内蔵寮(金銀宝器を保管し、供進の御服、祭の貢物を司った役所)の七位の文官。賀茂両社に各1名で騎乗している。

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 本列: 走馬 (御馬)

走馬(そうめ) 御馬(おうま)とも呼ばれる
下・上両神社の神前で走らせ、神々にご覧に入れる馬で、頭と尾には葵、柱、紙垂れをつけている。1頭に4人の馬部(めぶ)がついて引いていく。

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 本列: 馬寮使

馬寮使(めりょうつかい)
走馬を司る左馬允(さまのじょう・左馬寮の長官より第3番目の役)で六位の武官で騎乗して弓を従者に持たせる。

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 本列: 牛車

 牛車(ぎっしゃ)
俗に御所車を云われ、勅使が乗る車で、藤の花を軒に飾り牛に引かせる。これは勅使が乗ることはなく、行列をりっぱにするために加わっている。美しい装いをした牛がひき、牛童(うしわらわ)が綱を持つ。後ろに替牛がつづく。

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 本列: 舞人 

舞人(まいうど)
東遊(あずまあそび)を舞う武官で6人が騎乗して供をする。服装は舞装束で緋色無地である。舞人の前をいくのは和琴(わごん)で「河霧」の銘を持つ。

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 本列: 勅使

勅使(ちょくし)
行列中最高位、天皇の使い、四位近衛中将が勤めるので、近衛使(このえづかい)とも云われる。現在では宮内庁の旧公爵・華族の掌典(しょうてん・祭祀を司る職員)がこの役を勤めている。勅使のすぐ後ろに4人が随行・警備の任についているのは随身(ずいしん)。写真右は牽馬(ひきうま)で勅使の替え馬で帰路ではこの馬に乗り換える。

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 本列: 風流傘 

風流傘(ふうりゅうがさ)
大きな傘に紺布を張り、これに錦の帽額総(もうこうふさ)などをかけわたし、上にはさまざまな造花を飾ったもの。取物舎人(とりものとねり)四人が付き添う。

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 本列: 陪従 内蔵使

陪従(ばいじゅう)写真:左
歌楽を奏する近衛府の五位武官。勅使に陪従するのでこの名がついた。下・上両社の社頭で歌を歌い楽器を奏する役を勤める。7騎が楽器を携えてゆく。
内蔵使(くらづかい)写真:右
内蔵寮の次官で五位、勅使が神前で奏上する御祭文を奉持する役。

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 本列: 風流傘 

風流傘(ふうりゅうがさ)
これが本列の結び。先ほどの風流傘とは造花が異なる。

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 斎王代列: 命婦 女嬬

これからが斎王代列
命婦(みょうぶ)
先頭は命婦で小桂(こうちき)を着用する高級女官。花傘をさしかける。
女嬬(にょじゅ)
命婦に続くのは女嬬、食事を司る女官。

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 斎王代列: 斎王代

斎王代(さいおうだい)
斎王は平安朝では内親王が選ばれて祭に奉仕したが、現在では市民の未婚女性から選ばれるので「斎王代」と呼ばれる。十二単(じゅうにひとえ)で腰輿(およよ)という輿に乗っている。
腰輿(およよ) 牛車(ぎっしゃ)の一つ下の乗り物。

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 斎王代列: 騎女

騎女(むなのりおんな)
斎王付きの清浄な巫女で、騎馬で参向するので「騎女」の名がある。6騎。

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 斎王代列: 蔵人所陪従

 

蔵人所陪従(くろうどどころべいじゅう)
斎院の会計などをつかさどる蔵人所の文官で雅楽を演奏する。それぞれ楽器を持っている。

 

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 斎王代列: 牛車

牛車(ぎっしゃ)
斎王の牛車で俗に女房車。これにも替牛がつづき、葵と桂のほか桜と橘の飾りがつく

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  斎王代列: 命婦

命婦(みょうぶ)
女官の通称で、小桂(こうちき)を着用する高級女官。花傘をさしかける。

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 京都時代祭


秩父夜祭 宵宮

2009年12月04日 | お祭り

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日本三大曳山祭 秩父夜祭 

今年は是非秩父夜祭に出かけたいと思っていた。直近の天気予報では2日(宵宮)は晴天、Apimg_0479 3日の大祭は雨とあったので、宵宮に出かけた。正午に道の駅ちちぶに車を駐めて、秩父神社に向かった。空は雲一つなく暖かい日差しで、まさに小春日和。過去に横瀬の三菱マテリアルを訪ねたときImg_0087_2に接待で案内を受けた以外、秩父の街中を歩くのは初めてである。神社で先ずびっくりしたのは社殿の立派な彫刻である。右の写真は社殿正面にある「子宝子育ての虎」で左甚五郎作とされている。境内の南側から屋台が入ってきた。Apimg_0566 後幕に大きな達磨が刺繍がある「本町屋台」である。神門の前に屋台をつけて、宮司とともに世話役がお参りをしている。祭りが好きなので彼方此方の祭り見学をしているが、秩父の屋台は立派なもので国指定重要有形民俗文化財となっている。また屋台行事と神楽も国の重要無形民俗文化財になっている。続いて長唄の曲を演奏する地方連中とその曲を踊る立方による「曳き踊り」と呼ぶ所作事が奉納Apimg_0107される。写真は上町屋台の曳き踊りで「長唄 藤娘」、立方は小学校5年生の島崎さんだ。美しさと稽古を積んだ踊りに観衆は見とれていた。一方神楽殿では神楽が奉納されている。アンクルサムは小学生だった頃、授業で神楽や能を見学させたれたが、今の学校でどうなのであろう。もちろん不真面目に見学していたので、未だに神楽そのものを理解できていない。午後6時から街の通りで提灯を付けた屋台の曳き廻しが行われる。昼見た屋台と趣きが変わって見事な艶やかさである。

  宵宮をアルバムにしました  秩父夜祭・宵宮のアルバム

 

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