スイス天空散歩記 (続)

2013年07月30日 | スポーツ・山歩き

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スイス ヴァリス アルプス 天空散歩記 (続) By  山口 一史

7月21日 ブライトホルン(4163m) 登山

ツェルマット=(ロープウエイ)=(8:40)マッターホルン グレーシャー パラダイス(9:00)(10:45)  ブライトホルン(10:55)(12:10) マッターホルン グレーシャー パラダイス=(ロープウエイ)=ツェルマット

 

 ホテルで朝食を済ませ、ロープウエイ乗り場に急ぐ。6人乗りのゴンドラは箱根の早雲山のそれのように途中3か所ほどでゴンドラごとロープウエイを中継してぐんぐん高度を稼ぐ。眼下の緑の急斜面にはホテル、レストラン、別荘が点在、車道はないDscf5362ba_3から皆歩きで来るのだろう。

森林限界を超えると草原で耳のない兎に似たマーモットが遊んでいるのを見かける。2939mの地点で大型ゴンドラに乗り換え、マッターホルン グレーシャー パラダイス(3883m)へ、眼下にはテオドル氷河の表面に青く不気味な横縞模様を見る。まさに氷が流れている証拠だ。山頂駅はクラインマッターホルンという岩峰をくりぬいて作られている。その寒いトンネルを抜け南側、イタリア側に出ると目の前に雪原が広がる。広大な台地。スキーリフトがいくつもかけられ、太陽がまぶしい。ここでハーネス、アイゼンを付け、ガイドをトップにアンザイレンを組む。僕はセカンド、年齢順にロープにつながって出発。スキーリフトの下を緩く下降気味に少し南へ歩き、途中で左に折れ、ブライトホルンプラトーに入り、ブライトホルンパスに向け東に進む。ほとんど平坦な雪原で雪もしまっている。ちょうどスイス、イタリア国境を歩いていることになる。左手上にはブライトホルンの丸い雪のピークが見えているのだがブライトホルンパスまでは意外に長い。登Dscf5326ba_2山者も多く点々と列がつながっていて登山ルートは山頂までよくわかるのだがパスにはなかなか着かない。今日は快晴なので平坦な広い雪原でも難なく歩けるがガスっていたら大変だななどと思いながら汗をかきかき足を前に出す。パスで休憩。オーバーズボンにパーカーは防寒対策のし過ぎであった、パーカーを脱ぎ、高所帽の耳カバーを跳ね上げてから出発。パスからは山頂まで雪の急斜面、傾斜は30~40°はあるだろう。左上に斜めトラバース気味にときどき大きくターンをしながら喘ぎ登る。山頂に着いた。山頂は東西に延びる山稜になっていて北側、スイス側は雪の急斜面の下に岩壁を抱えゴルナー氷河へと切れ落ちている。東側にモンテローザの高く丸い白い頂、西側にマッターホルンの薄茶色の矢尻のピーク、四周に尖ったアルプスの峰々が並んでいる。いくら見ていても見飽きることのない展望、しかし長居はできない。記念写真をバチバチ撮って下山開始。

上り1時間45分、下り1時間15分の行程であった。少し早いピッチだ。最長老の僕のみが少ししんどそうであった。やはり若さにはかなわないな。 

 

7月23日 アラリンホルン(4027m) 登山

ホテル(7:20)(7:40)ロープウエイ山麓駅(7:45)=(ロープウエイ・全地下式ケーブルカー)=(8:10)ミッテルアラリン駅(8:20)(9:35)コルー(10:17)アラリンホルン山頂(10:35)-コルー(11:45)ミッテルアラリン駅(11:55)=(全地下式ケーブルカー・ロープウエイ)=ロープウエイ山麓駅―ホテル

 

 昨日ツェルマットから電車でシュタルデンまで下り、そこからバスに乗り換えてツェルマットの東のザース谷を遡りザースフェーに入る。ここがアラリンホルンの登山口、標高はツェルマットより100mほど高い。リゾート地ザースフェーでは僕ら日本人が異様に感じる光景に出合う。両耳の前に長く伸ばした髪の毛をカールさせてたらし、頂部には小さなお皿のような黒い帽子または黒いシルクハットの帽子、真っ白なシャツの上からこの暑いのに真っ黒なコートを着た、そう伝統的な服装のユダヤ人を多く見かけるのだ。その理由はよくわからない。ザースフェーの北端に近い小奇麗なDscf5345baホテルに泊まる。

 ホテルで朝食ののち小30分歩いて一汗かきロープウエイ乗り場へ。90人乗りゴンドラで一気に3000mまで、さらに全地下式ケーブルカーで3500mのミッテルアラリン駅まで上る。ここはスキー場にもなっていて3本ほどのリフトが雪原にかかっている。アラリンホルンから西南へアルフーベル(4206m)、タッセホーン(4491m)、ドーム(4545m)と鋭く尖った岩峰山脈が連なっている。この山脈がツェルマットの谷とザース谷を分けるミシャベル山群なのだがその岩峰山脈の下部山腹全体が広いフェー氷河となっている。一般に氷河は谷筋に流れるように発達するがこの氷河は山腹全体が氷河となり、ザースフェーの谷に押し出している。壮観な眺めである。

ミッテルアラリン駅を出てハーネス、アイゼンを付け、しばらくスキー場の雪上車が付けた幅広の雪道をたどり、アラリンホルンを左に見上げ山腹をトラバース気味に登り始めるところでアンザイレンを組む。順番は一昨日と同じだ。途中2か所のクレバスを越える。ガイドの熊田さんの話ではこのクレバスは時々崩れ事故が起こるのだそうだ。またクレバスが大きい時は直登できないのでアルフーバル峰の方まで大きく迂回しなければならないとのこと。1時間15分でコルに出る。眼前にパッと広がるマッターホルンからモンテローザまでの大パノラマ。モンテローザの左肩には雲が湧いてDscf5349baいるが大展望を眺めるに支障はない。お茶を飲みながらの大展望満喫。コルから山頂はもう近いが傾斜は40°以上ありそうだ。一歩一歩アイゼンをクラストした雪面に叩き込みジグザグに登る。左上岩場の山頂に十字架を見つけてからも山頂を左に巻くように回り込み、最後に雪稜を渡ってコンクリートの台座に十字架のキリスト像が建てられた山頂に立つ。一昨日のブライトホルン登頂の時は重かった足も今日は快調、ほとんど汗もかかずに登ってきた。高度にも順化したのだろう。

思い思いに記念撮影。四周見渡す限り4000m級の岩峰の連なり、しかしもう今日で4日目、どんなにおいしい料理でも続けて食べれば飽きてくるものだ。

 これで今回目的の2つの山は登頂できた。天空散歩と銘打って出かけてきた今回の山行、2つとも時間は3時間、標高差は最大500m前後だから日本でなら散歩に違いないが、4000m級の山は山、一旦天気が崩れれば夏でも吹雪の高嶺と化す。なめてはならぬ。

 しかし連日の好天にも恵まれ、歳の差トリオとも親しくなり毎晩の宴会とダベリング、楽しい山旅であった。             完 

 

全体行程図(実績) 

 

                                   

 


スイス ヴァリス アルプス 天空散歩記

2013年07月30日 | スポーツ・山歩き

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スイス ヴァリス アルプス 天空散歩記  By  山口 一史

   ブライトホルン(4,164m) アラリンホルン(4,027m)

        2013年7月19日~26日(8日間)

昨年年初の登山計画では海外はメキシコ最高峰オリサバ(5699m)を計画した。しかしツアーのメンバーが集まらず不催行、よってエクアドルのコトパクシ(5897m)に行先を変更した。今年も年度計画ではオリサバとしていたが再び振られてしまった。オリサバはよほど不人気らしい。第二希望の中国雲南省のハバ雪山も駄目。“仕方がないな、アルプス天空散歩にでも行くか”とて スイス ヴァリス アルプスの初心者向け4000m峰ブライトホルン(4164)とアラリンホルン(4027)に出かけることにした。

一行は国際山岳ガイドの熊田さん58、メンバーは42歳のOさん、52歳のSさんそして70歳の僕、親子ほどの年の差トリオの4人パーティである。

 

 

7月20日高度順応と時差ボケ解消ハイキング

ツェルマット(9:36)(登山電車)(10:10)ゴルナーグラート―(11:30)リッフェルベルグ(11:55)(13:30)サンネガパラダイス(14:40)=(全地下式ケーブルカー)=(14:45)ツェルマット

朝ゆっくりと食料買い込みなどした後、ツェルマット(1620)からアブト式登山電車(GORNERGRAT-BAHN)で一気にゴルナーグラート(3089m)まで上る。ここからはマッターホルンを正面に望み、左の谷ゴルナー氷河の向こうには3つもの小氷河を抱えたブライトホルンの岩壁が頭に真っ白の雪の帽子をかぶってそそり立ち、ゴルナー氷河を登り詰めたところにはこの山塊の最高峰モンテローザ(4634m)が大きく白くまぶしくそびえている。雄大な眺めである。電車を降りて山腹をトラバース気味に降りながら、フDscf5339baしている。僕もその仲間入りをして一枚。登山電車の途中駅リッフェルベルグで小休止ののち登山電車の線路沿いに下っているとき面白いことに気が付いた。アブト式電車の地上歯車が左右の歯のピッチを半ピッチずらして2列設置されているのだ。これは電車側の歯車が回転するときのスリップを他方の歯車で防止するためかななどと想像しながら通り過ぎた。

 

標高2300mほどのリッフェルボーデンからフィンデルバッハ谷の高巻にはいると斜面はお花畑になる。つつじの小株のようなピンク色のアルペンDscf5310baローズ、レンゲソウの花に似て濃紫色のタマシャジン、中央に黄色の花芯のある淡青色5弁のエリトリキウム・ナヌム、光沢のある黄色の花弁が卵型に巻いたキンポウゲ科のモニタヌス、一見サボテンを思わせる紅色のベンケイソウ科のセンペルビブム・モンタヌスなどなど、数えだしたらきりがないほどたくさんの花々。

2200mより下は針葉樹の疎林となるが唐松など松が多い、日本なら森林限界には這松が生えるがスイスには這松はないそうだ。

フィンデルバッハの谷を渡るころ上流にフィンデル氷河を見上げる。氷河末端が大きく後退し、そのあとの青みがかった灰色のザラ場の山腹にヒマラヤ襞のような細かい襞模様ができていた。地球温暖化の影響をまざまざと感じさせる光景だ。

サンネガパラダイスに到着。レストランのテラスでジョッキを掲げ、そしてマッターホルンを眺める。ここからのマッターホルンの眺めが最高だそうだ。登山電車を降りたゴルナーグラートからは三角形の矢尻の平面を見ているようにしか見えないが、ここからだとマッターホルンの背面のイタリア国境の峠から登る稜線も見えるのでボリューム感ある三角錐として見えるからだ。もう午後なので上部には雲が巻き、雲が動き完全な形では見えないがその山容は見飽きるということがない。ホロ酔い気分でザックを背に全地下式ケーブルカーでツェルマットへ下る。

下山後ツェルマットの街を散策。ホテル、レストラン、登山用具店、土産物店がランダムに並ぶメーンストリートの下側(川側)に長方形断面の角材を積み上げて造っDscf5321baた、納屋、穀倉、冬季の牛羊小屋、豚小屋及び家屋等16~17世紀のログハウス建物群が保存されていた。面白いことにライ麦など穀物用の建物は基礎石(束石)の上に広い平板石を置き、その上に角材を積み上げている、鼠返しなのだろう。屋根にも同様な平板石が並べられている。平板石はこの近くで産出するのだそうだ。

ガイドの熊田さんの話ではツェルマットの街はたった3人の地主のもので建物仕様なども厳しくこの3人が規制していて無機質なコンクリートの建物などは建てさせないとか。道理で街全体がダークチョコレート色のログハウス風造りの建物で統一され、どの建物の窓辺にも花が飾られ落ち着いた雰囲気を醸し出していると思った。

 

 

  (続く) 続編はこちら

 

 

 


北イタリア・スイス景勝地ハイキング

2011年10月22日 | スポーツ・山歩き

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  北イタリア・スイス景勝地ハイキング10日間

  1. 日程  2011/09/28~2011/10/07
  2. コース ミラノ=ドロミテ(コルテイナ・ダンペッツオ2泊)=ベルニナ鉄道経由=サンモリッツ(2泊)=ルガーノ(1泊)=チェントヴァッリ鉄道経由=イントラーニャ(途中下車)=アオスタ(1泊)=チェルヴィニア=シャモニー(1泊)
  3. 概要
  • クラブツーリズムがはじめて組んだ企画で、スイスに何度か来たことがあるリピーター向けのもの
  • めったに日本人が行かないところが何箇所か含まれている。しかもシーズンも終わりのこの時期では、日本人観光客に会うことは少なかった。
  • 景色だけではなく、紅葉も狙いだったが、120年ぶりという暑さで、紅葉はまだ少なかった。
  • 全行程にわたって快晴が続き、非常に恵まれた旅行となった。
  • 参加人数が14名と少なかったため和気藹々の旅行となった。

1日目 この日は成田からヘルシンキ経由で、ミラノに入り泊まるだけ。フィンランド航空は初めてだったが、サービスはよい。

2日目 ミラノからドロミテ地区のコルテイナ・ダンペッツオへ移動するが行程は長い、東京から滋賀くらいまでの距離を高速道路を使って移動する。途中ボルツアーノで昼食。ここから山道に入り、日光のいろは坂並みのカーブが多い道を走る。途中カレッツア湖で写真撮影。逆光のため山を入れた湖がうまく撮れない。さらに4時間ほど走り、いい加減嫌になるころコルテイナ・ダンペッツオ着。

3日目 今日は、ドロミテを代表する石峰(トレ・チメ・デイラヴァレド)を一周するハイキング。A101ここは3つの頂を持つ岩山で有名だが、いきなりこの姿が見えるのかと期待していたが違った。駐車場のある山小屋からスタートするが、ここは岩山の裏側にあり、大きな岩の壁が目の前にそびえているだけ。ここから峠に登り始めて3つの峰が見える。ここまでは歩きやすい道だったが、峠からは岩のごろごろした歩きにくい道に変わる。岩の高さは約1000mあるということで、岩登りに挑戦している人が見えた。反時計回りに一周し、4時間でスタート地点の山小屋に帰着。ここは荒天のときは風が強く歩くのが大変らしいが、今日は無風・快晴で快調なハイキングが出来た。帰路ミズリーナ湖を散策。「逆さトレ・チメ・ダイラバレド」を見ることが出来た。

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4日目 コルテイナ・ダンペッツオを早朝に出て、テイラーノまで移動。ここで世界遺産のベルA110ニナ鉄道に乗り換え、サンモリッツに向かう。テイラーノを出るとすぐに国境があり、ここからスイス。途中有名なループ橋(ブルージオ橋)を通り、アルプ・グリュム駅(2091m)で下車。ここからベルニナ線の最高点、オスピッツオ・ベルニナ駅(2253m)までハイキング。アルプ・グリュム駅の目の前にパリュ氷河が広がり、前途が大いに期待されたが、登るに従い氷河は山影に隠れて、代わりに堰止湖のビアンコ湖が現れる。付近の山の氷河を写す湖の、刻々と変わる水の色を楽しみながら、サンモリッツに下る。ここは2泊なので今日は少しゆっくりと出来る。

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5日目 朝8時出発で、午前中は「セガンティーニ・パノラマハイキング」。ムオッタス・ムラーユまでケーブルカーで登る。ここの標高は2456m、すでに大展望が楽しめる。眼下にサンモリッツの街、左手上のほうにはベルニナ山群とモルラッチ氷河が見える。アルプ・ラングアルト(2330m)までは、右下にサモリッツの街並みを見下ろしながらの、山の斜面をトラバースする比較的楽な道が続く。約3時間かかったが、ここも快晴で大展望と黄葉が楽しめた。アルプ・ラングアルトからの下りはペアリフトで歩いてきたままの服装で乗ったが少し寒かった。ポイントレジーナ駅前のレストランで昼食後、ゴルヴァッチ展望台(3303m)へ。以前は氷河を見下ろす崖のそばまで近寄れたが、今回は降雪のため展望台から外には出られなかった。目の前にベルニナ山群が広がり、後ろにはエンガデインの谷と湖が見下ろせる、360度の大展望。左のピッツ・ベルニナ(4049m)、ピッツ・ロゼック(3937m)が高い。右手目の前にある山は、ピッツ・ムルテル(3433m)、ピッツ・コルヴァッチ(3451m)。ピッツ・ベルニナの左遠く見える白い峰はピッツ・バリュ(3905m)。

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6日目 「落葉松の黄葉を楽しみながら、スイス南部のブレガリアの谷を下るドライブ」が売りA130文句だったが、まだ黄葉にはすこし早かった。ここは「パーム・エクスプレス」といわれるルートで、サンモリッツから3000m級の山麓の谷間に連なる湖を左に見ながら、マローヤ峠を越えてブレA131ガリア谷に下りて行く。マローヤ峠からはまたもや日光のいろは坂なみの急な下り坂が続く。ソーリオへは大型バスは入れないので、途中でバスを乗り換える。ソーリオは中世の面影が残る村で、素朴な山里といった感じ。栗以外は何もない。ここからまもなく国境を越え再びイタリアに入る。メッザーラ湖を左に見てまもなく右にコモ湖を見ながら湖畔を走るはずであったが、運転手が「こちらのほうが早い」と勝手に高速道路を使ったため、「パA133ーム・エクスプレス」の後半3分の2は一般道になってしまった。ソーリオでトイレ探しに手間取り、ルガーノ到着は予定より遅れて15時ごろとなった。ここは人が多く暑い。ほとんどがノースリーブか半袖で、我々のような長袖で冬の服装はいない。ここは又スイスだが、標高は180mくらいで、スイスで一番低いところらしい。昼食後、ルガーノ湖畔の「オリーブの小道」を散策。カスタノーラからガンドリアまで約4kmのハイキングだったが暑い思いをしただけであまり意味はなかった。ガンドリアは中世から続く湖畔の港町らしいが、街は狭くバスの駐・停車場が無く、ツアーには無理がある。この辺に来る日本人は珍しいようだ。

7日目 専用車でロカルノに出て、ここでチェントヴァッリ鉄道に乗り換え、途中駅のイントラーニャで下車。駅周辺の栗林の中を約2時間ハイキング。はじめは畑の中を下る、舗装道路を少し歩いて今度はまだ黄葉していない栗林の中を急登。細い道だが中世以来使用されてきた古い道。住民は1シーズンで1000kgほどの栗を収穫し、1日3度の食事も栗だったとのA140こと。途中時計塔を中心としたイントラーニャの街が見下ろせることと、古い石橋を見る価値があるくらいで、栗林の中を急登、急降下の繰り返しはあまり意味がなかった。事前の紹介は「点在する集落をめぐるハイキング」とあったが、今回はガイドとの打ち合わせ不足か、山の中を歩き回っただけに終わった。駅前のレストランで昼食。ここは風が吹き抜ける気持ち良い場所で、食事もまあまあだった。再びチェントヴァッリ鉄道に乗り、山の中で国境を越え、イタリアのドモドッソラへ。ここから再び専用車で北イタリアのリゾート地・アオスタまで移動。ここはローマ時代の遺跡が残る街だが着いた時間が遅く、翌朝の出発も早いので観光の時間は取れなかった。イントラーニャのハイキングを省略して早めにアオスタまで移動し、翌日午前中に訪問するチェルビニアまで入って泊まるほうが、効率は良いと思われる。

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8日目 今日の行程はハードだ。一旦高速道路に戻り、裏マッターホルンが見られるチェルA150ビニアへ。アオスタまで戻ってフランスのシャモニーへ移動し、エギュドミデイ展望台に上がったあと、途中駅で下車してモンタンベールまで4時間のハイキングの予定。チェルビニアでは「逆さマッターホルン」が見られる池があるとのことであったが、天候が良ければの話しで、あまり期151待はしていなかった。ところが今日も快晴、明暗の差が大きく、池に写るマッターホルンが本物より綺麗に見える。チェルビニアはスキー場に囲まれた小さな街で、公衆トイレが無く、ツアーで訪れる観光客は困ることになる。我々はレストランのトイレを借りたが、毎度毎度というわけには行かないと思われる。ここからは裏マッターホルンが目の前に見ることができその迫力はすごいが、スイスのツェルマットから見える鋭角な姿とは似ても似つかぬ二等辺三角形となっている。

再び専用車でアオスタを通過し、モンブラン・トンネルをくぐって、フランスのシャモニーへ。トンネルにはいる手前で、真っ白いモンブランがはじめて見えて感激。トンネルを抜けたらすぐにシャモニーだ。さすがにエギュイ・デュ・ミデイ展望台に上がるケーブルは混んでいた。特にパキスタンの一行がうるさい。ここは今回で3度目だが初めて晴れた。しかも雲ひとつ無い快晴。3842mの展望台からは360度の大展望を堪能。スイス中の山が見える。ユングフラウ・アイガー・マッターホルンは遠い。目の前にモンブラン、その下に落ちるボソン氷河。目を転じると、グランドジョラスの北壁が近い。

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まだ先があるので早々に降りる。ケーブル途中駅のプラン・ドウ・レギュイ駅で下車。ハイキンA160グ終着点のモンタンベールからの下山電車の終電が5時半とのことで、約3時間かかるコースを考慮し、昼食時間も惜しんで出発(14時)。出発点は標高2310mで、終点のモンタンベールは1913mなので、なだらかに下るだけならよいが、実際は約2時間かけて一旦2071mまで下り、2200mまで登り返すので、最後につらい登りがあり、また急な下りになる。コースはシャモニーの針峰群の大巖壁を右に見ながら、黄葉したA162落葉松が点在するなだらかな道がしばらく続く。左下は、シャモニーの街、谷をへだてて「赤い針峰群」が連なる、極めて気持がよい道だ。約2時間で、モンタンベールへの捲き道を分ける。時間不足になったら、ここから下ることも考えられたが、全員頑張って登ることにした。ここからは最後の急登にはいる。ガイドによると、「ここを登りきれば、素晴らしい展望が待っている」とのこと。約20分の辛い登りの後、ガイドの言葉通り、素晴らしい景色が現れた。正面にドリューの大岩A164峰、右下はメール・ドウ・グラス氷河。ゆっくりと写真を撮りたいが時間が無い。真下にあるモンタンベール駅まで急ぐ。終電は5時半なのでこれまでに着けばという気持ちだったが、4時55分に到着。駅に着いて判ったが、この日は既にシーズンオフで、最終電車は5時だった。危ないところだった。地元のガイドが付いていてこのチョンボは許されない。万一終電を逃していたら、夕方の暗いなかで、シャモニーまであと2時間歩かなければならなかった。

とにかくこのハイキングは今回のツアーの最大の目的だったので、好天に恵まれ、大展望を堪能し、無事終了でき大満足だ。シャモニーでの夕食は個人負担だったので、全員一致で日本食を希望。これがまた安くておいしい料理で、ここまであまり食事を楽しめなかったが、最後を締めくくることができた。 2011,10,08 國分孝司(文責)

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アララット山登頂記

2011年08月18日 | スポーツ・山歩き

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トルコ共和国最高峰 (ノアの方舟伝説の山)

アララット山 (5165m) 登頂記 2011年7月28日~8月8日(12日間)

またもや山口一史君がトルコ最高峰であるアララット山に登ったと聞いた。彼は西南学院中学の同窓生だから69歳のはず、つい先日の6月14日に最後に残った大門山(富山石川県境)に登頂して日本三百名山登頂完了の報告があった。三百名山だけを登るのではなくその周りにある山々をローラー作戦でまとめて登る、その結果登頂全山数はなんと2500山を超えたそうで、すごいものだ。彼にアララット山登頂記の寄稿を依頼した。以下は彼の登頂記である。

 731日(日)

SIMERホテル(8:30)(9:10)林道終点・エリ村の少し上(9:20)(14:10)ベースキャンプ

  もう暑くなりだした830分、屋根の上に荷物を積み上げた大型バンは、イラン国境の町ドゥバヤジットの東5㎞の高原の中にポツンと建つSIMERホテルを唸りを上げて出発した。

 昨日はホテル前からよく見えていた氷河と雪を頂いたアララット山も今日は靄っていて全く見えない、黄砂のような砂が舞い上がっているらしい、天気は晴れで日向に出るとカアッと暑い、サングラスをかけ、後頭部の日よけ帽をかぶり万全のUVカット対策をしなければならない。

 一行はツアーリーダーの北村さん(僕がお世話になるのは今回で4回目だ)、チーフガイドの通称ジョセフ(正式の名はYILDIRIM BEYAZIT OZTURK(34)だが難しくて発音できない)、サブガイド兼コックのジャマール(CAMR)、英語ガイドのフェルディ(FERDI(28))、ツアーメンバー7人の計11人のパーティである。ガイドたちの顔は細面に鼻筋の通ったイラン系の顔で皆ハンサムである。いろいろな人種の血が混じっているのだろう。

 実は08年にアララット山のツアーを申し込んだのだが、出発直前、ドイツ隊のメンバー3人が登山中クルド人ゲリラに誘拐されるという事件が発生し、一帯は入山禁止となりツアーは中止となったのだった。

 ホテルを出発した大型バンは少し国道を東へ走ってから左に折れ、砂利のがたがた道を砂煙を上げながら少しづつ上ってゆく。一帯は岩礫帯とでもいうのだろうか、溶岩の混じった大小の灰色の岩や石がゆったりとうねる大地一面にばらまかれ、その間にいかにも乾燥地帯というような白っぽい井草のような草が生えている。田はもちろん畑も全くない、木一本も生えていない、ただ岩石と草だけの荒涼とした大地である。

 波打つ高原の少しへこんだ平地に、垂直な石積壁の屋根上に土を乗せた(中には屋根に一面草が生えている家もある)家がいくつか見えるエリ村を過ぎるともう集落はない。そのエリ村を真下に見下ろすところで車は終点となり、荷物を馬に積み替える。

我々はサブザックだけを担いで、トップのチーフガイド、ラストのサブガイドに挟まれて一列縦隊で歩き出す。標高3000mぐらいまでは下と同じような灰色の岩石と白っぽい草の高原だったが3000mを超すと少し変わってきた。岩は黒光りのする大岩の積み重なりとなりその間の緑は濃く、草花もいわゆる高山植物となり、植物の種類が全く変わってきた。濃青紫色の岩桔梗のような形の花、烏のエンドウのような赤紫色の花、爪草に似た白い小さな花など同種ではあろうが仔細に見ると日本の山では見られない花が多い。高山帯の方が緑が濃いというのは氷河の伏流水か地下水が地表に近いということだろうか、それとも山にかかる霧などの影響だろうか。

 

Dscf47803200mのベースキャンプまでの間に3~4か所、クルド遊牧民のテント村があった。その周りには数百頭の黒、白、茶またそれらの色の混じり合った羊が草を食んでいる。彼らは夏の間草を追って高地に上がってくるのだそうだ(これをヤイラという)。子供たちもいる。我々が近くを通ると子供たちが見物に集まってきて先になり、後になりしながらしばらく一緒に登ってゆく。我々の荷物を積んだ馬の一隊が我々を追い越して行ったとき見たら大人に交じって小学生くらいの子供も馬の手綱を握っていた。彼らは学校には行っていないのだろうか、今は夏休みなのかな。

ベースキャンプは標高3200m(ガイドたちは3360mと言っているそうだがどちらが正しいのか)岩の緩傾斜地を整地していくつも作られているテント場に自分たちでテントを張り、今日の行動は終了。テント場から山頂を仰ぐと、山頂付近の南側の雪は少ないが、北側斜面は厚い氷河が覆いその末端に青白いアイスフォールがかかっているのが眺められる。

8月1日(月)

ベースキャンプ(8:00)(10:25)4000m地点(11:25)(12:55)ベースキャンプ

 今日は高度順応の日だ。ベースキャンプからアタックキャンプ地の少し下、4000m地点までゆっくりと往復する。高所順応は早く歩くことは意味がない、ゆっくりと歩き、高所に長く滞在し、水をがぶがぶ飲み、深呼吸を繰り返すことに意味があるのだ。ベースキャンプ地はこの辺に5か所点在する、ガイド会社ごとに縄張りがあるのだそうだ。我々のベースキャンプは上から3つ目のキャンプ地だ。そのベースキャンプ地を出発し、黒光りする岩石帯とお花畑の中を東へトラバースして途中2か所の小さなベースキャンプ地を通過しアララットの南面に回り込む。最高所のベースキャンプ地を過ぎるといよいよ富士山の登山路のようなガラ場とザラ場のジグザグ登山道となる。緑地帯はなくなり岩陰に高山植物がへばりつくように咲くだけの砂埃の舞い立つ道を一歩一歩登っていく。面白いのは高所になればなるほど同じ花でも花の大きさが小さくなることだ、4000m地点まで来ると岩桔梗などベースキャンプ地の半分ほどの大きさになっている。4000m地点で約1時間の休憩、東には小アララット山の富士山より急峻なコニーデ型の山容を眺めることができる。この山はイラン国境に近いため現在は登山禁止になっているそうだ。ゆっくりとした休憩ののち往路を下りベースキャンプに戻る。

8月2日(火)

ベースキャンプ(8:10)-(11:10)アタックキャンプ(12:40)-(13:05)4350m地点(13;25)-(13:45)アタックキャンプ 

 夜中の2時、小用のためテントを出ると昨夜以上に空気が澄んでいるらしく、ドゥバヤジットの街の灯がクリアーなオレンジ色に瞬いている。そこから目を東方に移すと国道沿いに細長い灯の帯が見える(後日これはイラン国境越えの検問待ちの数キロに及ぶトラックの灯であることがわかった)。 

 今日はアタックキャンプまで進む。テントを撤収し、我々の装備と一緒に馬の背に積み込んでから出発。ルートは昨日の高度順応ルートに同じ。昨日同様よく晴れているのでシャツの袖をまくって歩いている僕の腕は真っ黒に日焼けしてしまった。アタックキャンプは4200m地点、山頂近くの溶岩ドームが崩れてなだれ落ち黒光りする大岩、小岩がガラガラと積み重なった斜面のあちこちに整地したテント場がある。テント場の左右の斜面には雪渓も残り、そこから流れ出す水はザアザアと音を立てて谷を下ってゆく。山頂の南側には一か所アイスフォールがかかっていてその下の赤茶けた岩壁には50m以上あると思われる滝もかかっていた。 

 このキャンプ地の難点はトイレが全く整備されていないことである。テント場の周辺の岩場には白い紙が点々と見られ、かすかな匂いが吹き上げてくる風に乗って・・・。 

テント設営して軽い昼食ののち高度順応のため全員でさらに4300mの地点まで往復した。明朝は真夜中のアタック出発だ。

8月3日(水)

アタックキャンプ(2:00)-(7:00)アララット山頂(7:30)-(9:55)アタックキャンプ(11:30)-(13:45)ベースキャンプ

 午前2時アタック出発、まばらな星空を時々仰ぎながら真っ暗闇のガラ場をヘッドライトの明かりを頼りにただひたすら登る。岩場は急で積み重なった岩石の道は不安定である。時々ガラガラと岩を落としたり、ザラ場で足を取られザザッとバックしたり難渋しながらただひたすら登る。我々の30分ほど前にアタックキャンプからドイツ隊の男女が登って行った。その明かりが岩場の上方でチラチラと動いている。今日の登頂隊は結局我々とこのドイツ隊の2隊のみであった。

僕の体調はベストではない、なんとなく足が重い。特に空が白みだすころが重かった、リタイアしようかという思いが時々頭をかすめる、そのたびにその弱気を振り払って足を進める。

4時間のガレ場登り(4時間も急峻なガレ場を連続して登り続けるというのは国内外含め初めての経験のように思う)が終わると山頂一帯を覆う氷河上の雪渓となるここからアイゼンを付けて歩くが表面が凍ってはいないのでピッケルはいらない、ストックで十分だ。アタックキャンプを出るとき18度だった気温は夜明けに近づくせいもあり、登るにしたがってぐんぐん下がり、氷河に到達したときには3度であった。南側斜面から吹き上げてくる風も強く、素手でアイゼンを装着していたら、しばらく指の感覚がなくなるほどだった。   

山頂直下で雪の斜面は少し急になる、ジグザグにステップを切り、雪一色の山頂に立つ。時に午前7時JUST、アタックキャンプからちょうど5時間の行程であった。メンバー7人の足並みもそろっていたので5分とおかず全員登頂、トルコと日本の国旗を前に記念撮影して登頂を祝った。

山頂から北側を見るとゆったりとした雪の鞍部が再びせり上がり山頂より少し低い丸い頂が横たわっている、そのため北方の遠望はこの頂に遮られて眺められない。

また雪一色の山頂に直径30cm、高さ1mくらいの柱が立っている、山頂標識ではない。ガイドに聞くと3年ほど前乾電池メーカが立てた広告塔だという、なるほど乾電池表面のデザインを模しているようだ。登山者にとって乾電池は必需品ではあるがそれにしても何で山頂に??その広告塔の横にステンレスの箱があり、ゲストブックが入れてある。この山にはロシアとドイツの登山者が多いようだ。

山頂は360度の展望なのだが夏場のせいか全体がかすんでいる。

山頂の展望を楽しんでいたら、西に位置する小アララット山との間にはいくつもの小さな寄生火山が一直線に並んでいるのを発見した。ー完ー

                                    (山口 一史)

 

 


熊鷹山登山(2回目)

2011年06月18日 | スポーツ・山歩き

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                                                                                      馬の背 

熊鷹山登山(2回目) By Takashi Kokubun  (國分 孝司)

コース概要小戸口登山口(09:10)→ 丸岩岳への分岐(09:40)→ 尾根上(11:10)→ 熊鷹山頂上(11:15、11:30発)→ 丸岩岳(12:05)→ 丸岩岳への分岐(12:50)→ 登山口(13:30)

  前回は、不死熊橋から尾根コースを登ったので、今回は、谷コースを登ることにす01702る。登山道は、林道小戸川線の終点から始まる。小戸川渓谷をさかのぼり、熊鷹山から丸岩岳まで縦走し、元の登山口に戻るコース。林道小戸川線は、予想以上に荒れた道だった。舗装道路がいきなり終わり、一車線の写真のような砂利道がいきなり始まる。はじめは比較的フラットで、快調に走れそうだったが、路肩に「通行止め」の標識が出てきた。標識は道路をふさいでないので、無視してそのまま進む。道は次第に岩くずが多くなり、所々で、崖から落ち01703てきたと思われる岩が転がっている。これを避けながら進む。とがった岩にすれると、タイヤがパンクするので、乗り越える、またぐ、よける、と、ハンドル操作が忙しい。このため人が歩くくらいのスピードで、ゆっくり進む。この緊張感はひさしぶりだ。雨水で削られた段差が大きい。これも前輪、後輪とゆっくり乗り越える。この車は4輪駆動なので、こういう時は有利だ。いいかげん嫌になるが、スペースは無く、方向転換もできないので、前に進むしかない。30分走ってようやく駐車場らしい広場(写真右)に着いた。 

  今日は駐車場には誰もいない。結局終日他人に会うことは無かった。

2871「クマタカ山」と小さい標識があるのに従い、沢沿いの細い山道に入る。沢には小さい滝が多い。中村さんが喜びそうな登山道だ。秋の紅葉時期はきれいと思われるが、あの林道を又通ることを考えると、うんざりする。今日の目的は、この谷と新緑なので、多少時間をかけて写真を撮る。小さい滝が次々と現れ、写真撮影に忙しい。沢から離れたと思ったら、いきなりの急登。これが約40分続く。写真撮影に時間をかけたと思ったが、山頂まではほぼコースタイムの2時間で、登りきった。

 

 

2896  頂上(写真右)には、前回来たときは、赤、白、ピンクと、花が一杯咲いていたが、今日はすべて散っていた。だれもいない頂上で、15分休憩し、丸岩岳に向かって下山開始。この道はミズナラ、ブナの新緑で覆われ、気持ちよい道だ。快調に飛ばして、コースタイムより10分早く丸2904岩岳(写真左)に着いた。ガイドブックでは、ここからの下りは判りにくいとあったので、慎重に道を確認する。今日は標識が見やすいように設置されていた。ここから小戸川の沢まで、急降下の下山道になる。途中何度か脇にはいる道があったが、無視してどんどん下る。昨夜の雨のせいか滑りやすい。樹林の中で展望はまったく無い2916が、沢の音が聞こえ始めたらまもなく、行きに通った分岐点に出た。ここまでくれば登山口は近い。登りに通った滝をもう一度観察しながら、ゆっくり下る。駐車場で少し休んで、覚悟を決め、嫌な林道に再度乗り入れる。来るときは、道路状態を気にして気がつかなかったが、意外に道路の勾配が急だ。1速にしないとスピードが出すぎてしまう。帰りは大体様子がわかっているので、20分で出られた。パンクすることも無く、無事でよかった。

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今は毎日が小雨模様の天気だが、國分さんはお天気が良いと山に出かける。今回は熊鷹山の谷コースにチャレンジしたようだ。文中にあるように私は沢伝いの山道は大好きだ。でも梅雨のこの時節は思いがけず水量が多くなって苦労することがある。ぜひこのコースにチャレンジしたいのだが、私は運転が下手でとてもこの林道には挑戦できないので國分さんに乗せてもらうことになるだろう。