日本選手として史上最年長でロンドン五輪に出場する馬場馬術の法華津(ほけつ)寛(71)(アバロン・ヒルサイドファーム)が12日、都内で記者会見した。五輪での抱負や愛馬ウイスパーへの思いを語るとともに、「うまくなっていることが実感できる間はやめない」と早くもリオ五輪出場の意欲を見せた。
記者会見での一問一答は以下の通り。
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目標は胸に秘めて戦う
--五輪を決めた特の感想は?
「五輪代表を決めた時はうれしいんですけども、ホッとしたというか、『あー、やっとここまできたな』という感じでした」
--ご自身の最年長出場記録を塗り替えましたが
「こうやってたくさんのマスコミに集まっていただけるというのは71歳という年齢のせいですから、そういう意味では年をとっていてよかったなって思います」
--五輪への思い、魅力は?
「何でしょうねえ? 五輪よりレベルや規模の高い競技はあるんですが、五輪にはやっぱり何か、ひきつけるものがあるんですね。五輪に何回挑戦したのかなあ? 東京、ロス、ソウル、それから北京、ロンドンと5回ですね。それでも具体的に何だかわかりません」
--北京以降、自身の体調は?
「変化は特にありません。大学卒業してからほとんど変わっていない。競技を5週間こなした時は外食が多く、2キロ減りました。今は体重を元に戻すようにしています。それと最近、物忘れがありますね。そして視力。新聞が読みにくくなってきました。でも免許の更新では裸眼で通ったから0・7以上あったんでしょ、両方とも」
--ロンドン五輪では開会式には? 目標は?
「開会式はあんまり出たいとは思わないです」「馬っていうのは、ヨーロッパが本場です。ドイツ、オランダが非常に強く、イギリス、アメリカにも非常にいい選手と馬がいるので、あまり大きなことが言えない。できれば、ケンタッキーの世界選手権よりはいい成績を収めたいです。それ以上は、口に出しては言いません。言うと逃げていきそうだから(笑)」
ウイスパーが一番いい馬
--愛馬ウイスパーについて?
「15歳、人間で言うと50~60歳くらい。大会に早くから出る能力の高い馬でも、10歳くらいが早いほう。13、14、15歳くらいが円熟期ですからウイスパーもいい年齢です」
--年を重ねて変化は?
「ウイスパーは年を重ねてきて、性格的におだやかになってきました。演技が楽にできるようになってきましたね。ある時、ふっとね、『あー、こいつも少しは年とって、精神的に成長したんだな』って思うことがあります」
--どんな存在? 性格は?
「ウイスパーは、よきパートナーですね。たまに、どっちが身分が上なのかよくわかんないんですけどね。(性格は)非常に繊細で、ものに驚きやすい性格です。音、光線の加減とか、何かそういうことで驚いて失敗することがある。だから乗っている方は気を使います」
--本番にはどう臨む?
「競技をする場所に許される限り早く行って、環境に慣れさせてあげます。競技の日の朝、早くに1回出して乗って、その日のコンディションや感情的にどういう状態かを確かめます。そしてアップの内容を考えます」
--好きな食べ物は? 調教は大変?
「りんご、にんじん。でもバナナが一番好きみたいです。調教するのももちろん大変ですけれども、コンディションを維持していくのが一番難しいですね。特にウイスパーのように、ある程度年齢のいった馬と付き合っている場合は。今は目の調子があまりよくない」
--調子は? 故障については?
「ウイスパーの場合、昨年の2月末に故障しました。そのあとは軽い運動しかできなくて11月末まで9か月くらい、人間で言ったら寝たり起きたりっていうような日々を送りました。運動を再開して、うまいこと戦ってくれた。その後、いまは筋肉を楽にさせている。コンディションを整えていくのはこれから、徐々にですね。
(故障したのは)右後ろ脚の関節です、人間で言うと膝より上になるのかな、付け根より下ですね。ある日、乗っているときに、動きのバランスが悪くなってきた。半年くらい治療しても良くならず、11月に手術をすると決めた時は五輪を100%諦めました。今はもうほぼ完治しているといっていいでしょう」
--ロンドンまでの予定は?
「3~4試合に出ます。7月の独アーヘンに出てロンドンというつもりです。アーヘンは、規模からいってもレベルからいっても五輪より上の大会です」
--普段の調教は?
「調教は、午前中に約1時間行います。午後に、引いて歩いたり、乗って農道みたいなところを散歩に行くこともあります」
--競技には馬と人間どっちの力が大きい?
「馬6分、人4分とか、馬7分、人3分とか言われますけど、やっぱりね、いい馬じゃないといい成績は取れません。どんなにうまい人でも。自分が今まで出会ってきた馬は数えられないけど、ウイスパーが一番いい馬です」
--ウイスパーとはいつまで競技を?
「ウイスパーとオリンピックに出るのはこれが最後になるでしょう。4年後は、19歳になるから年齢的に無理です。また五輪に連れて行ってくれるような馬に出会うのはなかなか難しいけど、『もし』が三つくらい重なれば、次の五輪に出たいと思うかもね」
今でも少しずつうまくなっている
--馬場馬術において大切なことは?
「最も大切なことは、忍耐強く馬と接すること。甘やかすでもなく、理由なく怒るでもなく……。まだ口のきけない子供と接するような思いやりの気持ちで接するのが一番いいと思います」
--馬術の面白さは?
「馬という動物に乗って、一緒になって何かをやっていくというのが面白さ。意思のあるものと一緒にやるのが一番楽しいところです」
--普段のトレーニングは?
「毎朝20分程度のストレッチ、午前中、1時間くらい馬に乗り、夕方約30分、筋トレとストレッチを組み合わせたトレーニング。腹筋や背筋は、この年でやりすぎると体に悪いので、あまりやりません」
--食生活は?
「食生活は全く気にしてません。ただ、あまり胃腸が丈夫ではないので、おなかを壊さないよう自分で作って食べる。なんでも作れますよ! 今のマイブームは、シタビラメのムニエル。ワインと一緒にね。生の魚やおすしが食べたくなって、日本が恋しくなることもあります」
--ご家族との交流は?
「妻と娘は、非常に協力的です。連絡は、電話だったりメールだったり。ドイツに来ることもよくあります」
--震災については?
「震災のあと、外国の新聞社からコメントを求められました。そこで話したのは、『何年かかるかわからないけど、日本という国は必ず立ち直る。それが日本という国です』ということです」
--みんなに勇気を?
「競技をやること自体は自分のためです。だけど71歳という年齢で国際的に活躍することが、みなさん、特にじいさんたちの励ましになるのであれば、こんなにうれしいことはないと思います」
--この年齢でも競技を続けるモチベーションは?
「僕にとって競技を続ける一番のモチベーションは、今でも少しずつ、自分がうまくなっているな、って感じられることです。言葉で言うのは難しいが、いろんな技が上達しています。『うまくならないな、下手になったな、と思ったらすぐやめる。また、なんらかの肉体的な問題が出てくるかもしれないしね』。でも、それまではやめません」
(メディア戦略局ロンドン五輪取材班 高野一)
法華津寛(ほ けつ・ひろし) 1941年3月28日生まれ。168センチ、62キロ。慶応義塾大学卒業、Duke大学修士課程修了。現在はドイツを拠点に活動中。東京 五輪に障害馬術選手として出場(騎乗馬:ラロ/個人40位)、その後、馬場馬術に転向。ロサンゼルス五輪は補欠、ソウル五輪は代表になるも馬が検疫をパス できなかった。北京五輪は団体9位、個人34位。1988~92年に全日本馬場馬術選手権競技を同一人馬で5連覇。2010年の世界馬術選手権大会(米ケ ンタッキー)ではグランプリで24位、日本人初のグランプリスペシャル進出、31位の成績を収めた。ロンドン五輪出場のランキング締め切り(2012年3 月1日)までに6大会に出場。1月末から5週連続で参加。競技を重ねるごとに馬が調子を上げ、3月1日の競技で優勝。東南アジア・オセアニアランキングで トップとなり、個人出場枠を獲得。
馬名:ウイスパー(Whisper 115)
年齢:15歳(1997年4月1日生)
性別:牝馬
毛色:栃栗毛
品種:ハノーバー
産地:ドイツ
馬場馬術の個人1次予選に、今大会出場全選手で最高齢、71歳の法華津寛(アバロン・ヒルサイドファーム)が登場した。
大会最年長選手として海外メディアでも取り上げられているだけあって、法華津が登場すると拍手がわき起こった。
馬場馬術は、馬がいかに躍動的にステップを踏むか、正確な図形を描けるかなど、馬の動きの美しさを競う競技。音楽に合わせて馬がダンスを踊っているようにも見える。
4年前の北京五輪では、会場にある巨大スクリーンに愛馬ウイスパーが驚くアクシデントで34位に終わった。この日は小さい失敗はあったが、まずまずの演技。「三つばかり、失敗があって残念だが、まあ、持っているものは出せた。(演技後に)馬をたたいたのは『よしよし、よくやった』という意味。グラウンドの状態もよかった」と話した。(三橋信)
(2012年8月3日08時47分 読売新聞)
ロンドン五輪第8日(3日)馬場馬術で2日間に分けて行う個人1次予選2日目を行い、1日目に競技を終えていた71歳の法華津寛(アバロン・ヒルサイドファーム)は40位で2次予選進出を逃した。32人が2次予選に進んだ。(共同)
法華津寛の話「結果については残念。大会運営が素晴らしく今回の競技会を楽しむことができた。今後の予定についてはまだ何も決まっていない」
ロンドンオリンピックの最年長選手は、日本の馬術個人に出場した法華津寛(ほけつひろし)選手(71歳)。各国のマスコミも大注目の選手です。非常に珍しい名字も印象的ですよね。
そんな法華津選手、実は華麗なる経歴を持つ、超エリート男だったのです。
法華津選手の超エリート伝説
法華津選手は、1941年東京都生まれの71歳。太平洋戦争が始まった年に誕生しました。そんな彼の華麗すぎる半生をご紹介します。
●エリート伝説1:馬術の大会で勝ちまくり
中学校のとき、林間学校で経験した乗馬に興味をもち、12歳のときに馬術を始めたそうです。学生時代から多くの大会に出場し、1964年の東京オリンピックでは、個人40位、団体12位という成績を残しました。1988年からは全日本選手権を5連覇するなどその技術はたしかです。
●エリート伝説2:社長になるなど仕事もデキる
慶應義塾大学を卒業後、日本石油(現・新日本石油ENEOS)に入社します。そして東京オリンピックの後に、日本石油を退職。アメリカの名門大学デューク大学大学院に留学し、卒業後に外資系の製薬会社に勤務しました。そしてジョンソン・エンド・ジョンソン社のグループ企業の社長を務めるなど実業家としても活躍。なんと社長の間も、オリンピックに出場していたそうです。
●エリート伝説3:定年後はドイツで馬術の特訓
定年退職後、オリンピックへの再挑戦を決意。家族を日本に残して、馬術が盛んなドイツへ渡り、特訓を重ねてきました。
そして法華津選手にとっては44年ぶりのオリンピック出場となった2008年北京オリンピックに、愛馬ウィスパーとともに出場。個人で34位、団体9位の成績を残しました。
●エリート伝説4:お家柄も優雅
「法華津(ほけつ)」という名字は、戦国時代に活躍した海賊に由来するのだとか。法華津選手がその直系の子孫なのかは不明ですが、縁があるようです。さらに、
お父様は外務省の調査局長で、鳥類研究所の専務理事を歴任。奥様の元子さんは執権・北条時宗の子孫だとか。まさに華麗なる一族です。
「じじの星になる」!
「じじの星になる」がモットーだという法華津選手は、「この年で、ある程度国際大会で活躍できていることがじいさんたちの励ましになるなら、こんなに嬉しいことはない」とオリンピックへの意気込みを語りました。
8月2日、法華津選手が出場した馬場馬術個人1次予選1日目は、68.739点で25人中17位につけました。…