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フィクション:東洋からのエージェント(1)

2009-08-12 | フィクション:大物の交渉人



 中国大使館に戻ったチョウは,大使室へ向かった。どんなに遅くなっても状況を大使に報告する約束になっていた。しかし,結果を気にしていたのは大使ではなかった。大使にチョウを伴って会いに来た来た男がいた。彼はずっと不機嫌にいらだっていた。大使に対してでさえ,時折愚痴や怒りが口をついて出た。大使は内心面倒に巻き込まれるのはいやだと思っていたが,実際の対応はクールに全面協力を約束してくれた。大使は本国直々の要請は断れないことを熟知していた。この怒れる男が運んできたのは真っ暗な闇だった。この怒れる男はトウという経済担当官だった。彼の仕事はアメリカとの経済交渉だった。それは今も変わりなかった。だが,あるときから役目がひとつ増えたのだった。

 今年の冬,トウは渡米することになっていた。アメリカはオバム新大統領が就任し行政官が一新するので挨拶を兼ねて,底なしに沈んだ経済情勢の変化をみることになっていた。世の変わり目は早いものだと思っていた。ダブリ政権の経済担当官は破綻した経済政策に恐れおののいて,復興対策よりもその場から逃げ出そうとする者たちばかりだった。マネー・バブルが崩壊し始めた1年前から,トウの話をまともに聞く米側担当官はいなかった。中国よりも米国の失業者や破産者のことで手も頭もいっぱいだった。

 トウはこの1年間何もできなっかた。ただただ損失の中をはいずり回っていた。中国の儲けを増やすことより,中国の損失を最小限にするため悪戦苦闘を続けた。しかし、トウは不況の波にもまれながらも、変化の兆しを求め続けた。そしてあるとき、どん底の闇の中、新たな光が存在することに気づいた。闇の中だからこそ光が見えた。トウは暗闇でも目を見開き明りを探し続けた。バイタリティーに満ちた男だった。

 中国の損失が大きく増える都度、世界同時不況を招いたアメリカをトウは恨んだが、苦しみの中、あることに気づいた。確かに中国は窮地に落ちている,損失が増し経済成長が止まろうとしている。そんな自国の窮地に目を奪われていたとき、トウは、ふとしたことから広く世界を見渡すことにした。
 そこには不況にあえぐ国々が見えた。特にアメリカを筆頭とする経済大国と言われる国々で深刻だった。先進国は中国以上に奈落に落ちていた。さっきまではるか遠くにあると感じた大国たちが、隣を滑り落ちていく。中国は何もしないで相対的に優位が増していることにトウは早くに気付いた。

 このときトウは思った。目先のことを考えてはいけない。以後トウは自分にそう言い聞かせ行動した。嘆く同僚を励まし、失意の高官に希望を説いた。中国の経済成長は鈍ったが、底なしの闇への転落は止まった。しかし転落に瀕している経済大国は自国に目を奪われ、中国の変化に気づくことが遅れた。経済大国が中国を忘れたことはさしたることではなかったが、中国には好都合だった。中国を邪魔する者は誰も現れなかった。
 そんな中で,さらに追い風が吹いた。アメリカの政権が交代し,ゼロから米国と向き合う好機が訪れた。トウは遂に中国に春がくると感じていた。トウの上官たちも彼の功績を認めていた。同僚たちも彼に敬意をいだいた。彼はチャンピオンになった気持ちだったが、とにかくアメリカと直接交渉を行うことが必要だと考えていた。二国間交渉をすることで、アメリカに対して、そして世界に対して、中国の存在を確固たるものとして認識させたかった。

 そんな経済一本やりのトウが渡米を前に中央委員会から呼び出された。また、中国躍進のためアメリカへの譲歩は許さないと言われ、手荒い激励を受けるかと思うと、少し気持ちが萎えた。かつてトウは、中央委員とは会うことも話すこともかなわない世界だと思っていた。


杜人

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