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雑感、、月刊「文藝春秋」の低落

2009-08-09 | 雑感


ノンフィクションの続きを書こうかとも思ったが、気になっていることがある。
9月号が出たので、もう古い話題になってしまった。

それは、月刊文藝春秋8月号の記事である。
総力特集 さらば「アメリカの時代」と銘打ったもので
●「日米安保」は破棄できる (石原慎太郎 )
●「GM破綻」ぬけがらデトロイトをゆく (町山智浩)
●日本政治「百年に一度」の大転機 (福田和也)
●「世界同時不況」は何年続くか (榊原英資)
●「ハリウッド映画」はいつつまらなくなったか (小林信彦)

以上5本立ての特集であるが、異常に中身が薄い (無いとは言わない)
これが文藝春秋の特集記事かと疑いたくなる(実は近年目立っているのだが)

端っこの記事ならまだ許せるが、特集記事としては中身が薄すぎる
ウソだと思うなら、本屋で立ち読みしてほしい (買ってと言えない内容)

町田氏の「GM破綻」と福田氏の「百年に一度」はまあまあとして、
石原氏の「日米安保」は毎度の持論だ。

特にひどいのは、残り2つ
榊原氏の「世界同時不況」は旬な話題でもあり、7月号で氏の評価がAaaだったので、多少期待しすぎた面もあるが、中身を読んでびっくり、がっくり。7月号の評価は信じるに足りないと思った。

榊原氏の主張は、要するに「モノ」づくりから、サービス業への転換の舵を早く切らないと、経済の成熟化に供給側がついていけない事態を生じかねない、というものだ。この根拠に2009年のミシュランガイドにパリをしのぐ三ツ星レストランがあり、サービス分野への需要があるというのだ。

これは大変な極論である。さらに大きな誤認をしている。今回のマネー暴走は何を意味するか誤認している。「モノ」づくりがだめなのではない。必要以上に作ることがだめなのだ。これは「サービス」も同じこと。三ツ星レストランが百も二百もファーストフードのチェーン店のように必要なはずがない。サービスの需要も上限があるのだ。「モノ」も「サービス」も必要量は、人間の数以上に必要ない。それを無視して架空の需要を作りだしし、買えないものまで買わせたて、生産量も売り上げも、投資も加速させ、バブルははじけたのだ。榊原氏の主張では御用経済学者そのものだ。


次に、
小林氏の「ハリウッド映画」は、完全に論外。こんな内容なら載せる必要がないかったと思う。氏の主張は「アメリカ映画に限れば、没落は1950年代から始まっていた。このことはくりかえし書いている。」で始まり、戦前映画と昭和20年代の話に終始し、最終章で「見せもの化するCG映画」となる。この章もマーロン・ブランドの1950年代の話がほとんどで、私がアメリカ映画を<追いかけていた>のは中学・高校のころであった。という。
最後は、「ニュー・シネマの短い時期を経て、70年代のジョージ・ルーカス、」プロデューサー業のうまいS・スピルバーグの登場、特に二人の「スター・ウォーズ物」「インディー・ジョーンズ物」のようなCGの多いスペクタクル映画の成功によって、往年のB級映画が主流となる逆転を見せた。それらの成功は、ハリウッドの息をのばしたかも知れないが、何本も続けるうちに、子供向きのCGアクション見世物となった。」という趣旨になる。
読んでも何も伝わらない内容だ。持論と言うよりも、プライベートな覚書の御披露でしかない。


以上、月刊文藝春秋の内容の低落が、長期間読者として、ほんとうに心配だ。



杜人


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