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フィクション:大物の交渉人(1)

2009-08-09 | フィクション:大物の交渉人
 クリトンは、二人の記者を引き取ってきたことの反響が想像以上に大きいことに内心驚いていた。元大統領という肩書がこれほどのものかと改めて思っていた。


 そう思うのには訳があった。正直北朝鮮なんか行きたくなかった。妻を通して最初の連絡をうけたときからそうだった。まったく気乗りがしなかったし、陽の当たる役回りでもないし、身柄引き受けなど自分のカラーに合わないと思った。人道行為ならほかにカンターなどはまり役が外にいると思ったし、妻にも電話でそう話した。電話の妻もそんなに薦める感じはなかったので、電話は短く終わった。

 再度、妻から電話があったのは最初の電話から一カ月ほど後だった。その時の妻の様子は明らかに前と違っていた。いつもの強引な彼女が電話の向こうにいた。しかし、強引に頼まれれば頼まれるほど、私は北朝鮮に行きたくなくなっていった。あまり私がそっけないので、妻はとにかく交渉担当官を伴って帰ると言って電話を切った。

 やれやれ、またか。一瞬どこかに出かけてしまおうかと思ったが。どうしても、妻は苦手だが、逃げるとさらに立場が弱くなる気がした。気を取り直すと自分が頼まれる立場ということで、心の内で自分を納得させた。しかし、北朝鮮には行く気持ちにはまったくなれなかった。

 妻のヒラルー国務長官が担当官を伴って来たのは半日も後の夜だった。もちろん何度か電話があり時間通りの帰宅だった。以外にも担当官の彼とは初対面だった。挨拶をすませる彼は早速本題の話を始めた。私は話を遮って、飲み物を勧めた。彼は軽く謝意を述べて、話を続けた。妻は、話を聞かずに部屋を出ていったかと思うと、ワインを手にすぐに戻ってきた。彼はその間も説明を続けていた。

 彼は、内々で非公式だが、アメリカにとって有力な筋からの情報だと前置きした。情報では、北朝鮮に拘束されている二人の米国女性記者の引き渡しに北朝鮮政府が応じるというのだ。その引き渡しの条件は、北朝鮮の法による受刑者の釈放であること。大統領クラスの要人が来ること。軍の飛行機は使用せず、民間機で来ること。必要最小限の人数で来ること。引き渡しは二国間だけで行うこと。引き渡し以外の協議は行わないこと、政治会談ではない。そして今後も必要な協議を行うこと。

 淡々と話す彼の話を聞きながら、私は信じられない気持が強まった。アメリカは騙されているのではないかと思った。イラクの大量殺りく兵器の曖昧な情報のことが頭をよぎった。このごろCIA情報局は質が低下しているのではないかと根拠なく疑いながら聞いていた。頭の中で拒絶反応があると、人間にも拒絶反応が出る。淡々と簡潔に話をする担当官も事務的で機械的な人間に思えた。抑揚もなく下手な話だと思いながら聞いていると、不思議と自分が冷静でいるという感じがした。何気なく妻を見ると、持ってきたワインに手をつけていないことに気付いた。

 私は突然、彼の話を遮って妻に訪ねた。この情報源はどこの誰か。かなり信用しているようだが、信頼できる根拠を説明するようヒラルーに問いただした。彼女のワインは飲むためのものではないと感じたのだ。直観だった。この二人以外に誰かがここにきている。

 ヒラルーは私をじっと見つめて、「誰の話なら信じてくれるの」と言った。え、と私は驚いた。そして彼女は、国務長官と担当官が直接説明しても信じないなんてと呆れたふうに言った。彼女は怒っているというより、物わかりの悪い子供をしつけている感じだった。そしておもむろにスウェーデンの協力について説明を始めた。内心、北朝鮮とスウェーデンのことなら私だって知っていると思った。この場合、誰がより、どうして今、何故交渉ができたのかが知りたかった。それを聞こうとした瞬間。担当官の平坦な声が横から話し始めた。

 彼の話は、私が知りたい内容そのものだった。彼は突然ロシアの話を始めた。ロシアが今回の交渉について静観するというのだ。静観するということは、と私が問い返すと。交渉を静観するとロシアが言ってたということですから、交渉があるという認識でいるということです。ロシアは前から北朝鮮が話し合いたいということは好ましい兆しだと言っています。ロシアが話し合えと言っている、根拠はそれだけと、私は彼を問い詰めた。

 今度は妻が話し始めた。それとロシア以外の国からも、北朝鮮がアメリカからの要請を待っているという話があったという。それはどこかと念のため聞いた。ヒラルーは多少ためらったて話し始めた。国連で北朝鮮の制裁を検討していたとき、中国から内密にこの話を持ちかけられたというのだ。それはルール違反ではないかと言うと。彼女は、だからこそ、ロシアも中国も静観するというのよ、と言ってすこし苛立った。私は内心、まだ信じられなかった。

 中国は制裁を緩めるためにそんなことを言ってきたのか、それは重要な問題だと問いただした。記者の釈放とは別次元の重大な問題だ。彼女は、これは外交よ、とさらりと言った。そして続けた。国同士が話し合う場での出来事で特別なことではないし、国同士が本音で話せるいい機会だったというのだ。私は中国は北朝鮮に頼まれたのかと聞いた。国務長官は子供に言い聞かせるように話した。大国同士は、本音で話すけど、聞く必要のないことは聞かないし、話す必要のないことは話さない。だから私たちアメリカが聞いたのは、二人の記者は必ず解放するのかで、言ったことは、間違いは許されないということだけ。それを聞いて私は愚問だったかと自問した。

 なぜ、私なのかと二人に尋ねた。担当官が答えた。北朝鮮は大統領クラスの要人の訪問を強く望んでいます。記者の解放に何も条件をつけない代わり、要人が引き取りに来てほしいというのです。要人ねえ、私は呆れている態度を隠さなかった。私は何のために行くのだ。私が元大統領だからか。ヒラルーは、また諭すように私に話し始めた。もちろんあなたが元大統領だから行くべきで、大統領経験者の責務だと言うのだ。大統領経験者は外にもいるのでは、とすこしはぐらかした。また、彼が話し始めた。ダブリ氏には別のことしてもらいますと言う。驚いて声が出なかった。総動員かと聞き返した。彼は、ま、そんな感じです、とさりげなく言った。そして、宣戦布告ではないので、ダブリ氏を北朝鮮に行かせるわけにはいきませんからと、皮肉をこめて言った。ダブリ氏は同盟国へ行ってもらうつもりですと付け加えた。

 このことを聞いた瞬間、私の腹も決まったような気がする。自分に向くとか向かないなど問題ではない。自分が行くべき国家的なミッションだと認識した。私の顔つきが変わったのを感じ取った二人は、逆に顔つきや態度が柔和になった。瞬間に人が入れ替わったようだった。ヒラルーがやさしく言った、やっと本気になったのね。良かったわ、来たかいがあった。あなたはやっぱり大統領よ。そう言って大きな笑顔を見せた。
 ヒラルー、君もひと仕事やったね。この一言が出たことで、私の政治家としての感覚が再び目を覚まし始めた。



杜人

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