憂国の花束

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祖国日本よ! 誇り高くあれ。

秋篠宮殿下批判を批判する。

2020-12-25 19:10:04 | 秋篠宮
秋篠宮皇嗣殿下に対して出ている批判について週間ポストがまとめている。

週刊ポスト2021年1月1日・8日号
宮内庁にも批判の電話が多く寄せられているという。なぜこのような事態になってしまったのか。 

「秋篠宮家の“自由を重んじる家風”が槍玉にあげられているのです。そもそも皇嗣殿下は30年ほど前、皇室で初めての“自由恋愛”で紀子さまと結ばれた。自らの経験を振り返ると、眞子さまを強く説得できなかったのかもしれません。妹の佳子さまが大学卒業の際、『姉の希望が叶う形に』と結婚を後押しする文書を出したことも火に油を注ぎました」(宮内庁担当記者)

  秋篠宮家は進学先にも自主性を認めている。 
「皇嗣殿下は10代の頃、学習院大学以外の大学への進学を望んでいたが、上皇陛下の説得でしぶしぶ内部進学したと言われています。眞子さまが護衛の行き届いた学習院大学ではなくICUに進学することを認めたのも、若き日の思いが反映されているという見方があります。  いずれにしてもICU進学と恋愛に対する大らかな態度が、小室さんの身辺調査の遅れを招いたことは否めない。伝統を重んじる天皇ご一家との対比もあり、秋篠宮家が国民からの逆風に晒されているわけです」(同前)

A子供に恋愛の自由と自主を認めた。 B娘がロクでも無い男に惚れた。
A子供に進学の自由と自主を認めた。 B娘が進学先でロクでもない男に出会った。

どうだろう、Aの必然的結果としてBはあるのだろうか。
そうでは無いだろう。
子供に恋愛の自由と自主を認めたからと言って、娘がロクデナシと恋愛するとは限らない。出来の良い男を捕まえてくる可能性もあるだろう。
子供に進学先を自由に選ばせたからといって、行った先でロクデナシに会うとは限らないし、出会っても恋愛するとは限らない。
そんなことは当たり前の事でしょう。
しかし、秋篠宮殿下を批判するひとは、その当たり前のことに気が付かない。
眞子内親王が小室圭に惚れたのは、「全て秋篠宮の教育方針が間違っていたからだ」と言う。
どんなに気を使って育てても親の意に染まない相手と恋愛する子供など掃いて捨てるほどいる。
眞子内親王が小室圭さんに惚れたのは、眞子内親王自身の内なる出来事なのだ。
子供の自由、自主を尊重するという親の姿勢は本来悪いことではないだろう。

また秋篠宮殿下を批判する人々は、三笠宮家の「恋愛と結婚は別」という教育を素晴らしいと賞賛する。
さすがに恋愛に奔放な姫君を輩出してきた三笠宮家らしい教えだ、と私は思うが、「恋愛と結婚は別」と割り切って恋愛できるてのも怖いことではないだろうか。相手も同じような割り切りタイプでないと、相手をずいぶん傷つけることにはならないでしょうか。

秋篠宮殿下の不幸はただ一つ、小室母子の人間性が殿下の理解を越えていたことでしょう。世間にも滅多に無いロクデナシ母子に娘が惚れてしまった。
お気の毒です。

なお小室母子を批判する中に「自殺者がいる家族とは庶民でも縁組みを避けるのに。」というものがあるが、これは心ない言葉だと私は思う。
某皇室ブログでも主宰者もコメント者も盛んにこれを言うが、自殺者がいる家族がどんな思いで読むか思い至らないのでしょうか。
三笠宮百合子妃殿下の御父君高木子爵は戦後の混乱期生活苦から自死されています。三笠宮百合子妃殿下はもちろん遠い縁戚といえ秋篠宮殿下も傷つける言葉だろうと思います。

小室批判・・・「連想ゲーム」は思考停止の始まり

2020-12-25 11:17:45 | 小室
皇室ブログ界隈でも小室母子に関して「連想ゲーム」で解ったような気持ちになっている人々は多い。
誰とは言わないが多数の読者、コメント者を抱え皇室問題のインフルエンサー的役割をしている老舗皇室ブログの主宰者でも連想ゲームの罠に陥るようだ。

小室母子連想ゲームは『大山ねずの命神示教会』「角田美代子」から始まる。

小室佳代さんの母親が佳代さんの生まれる前に『大山ねずの命神示教会』の信者だった。
佳代さんの旧姓は角田。
週刊誌報道の「げなげな」を取り払えば、確かと言える事実は「佳代さんの旧姓は角田」だけで、佳代さんの母親がどの程度『大山ねずの命神示教会』に関わっていたか、佳代さん自身が教会からどの程度影響を受けていたかは不明である。

連想ゲームする人は、週刊誌の「げなげな」部分に注目し小室佳代さんの行動を『大山ねずの命神示教会(の信者が起した事件)』「角田美代子」を物差しとして読み解き始め、似ている部分があるから同じであるに違いないと決めつけ、次第に自身の想像(妄想?)の世界へ没入して行かれるようだ。

人間だから、AとBを比べれば似ているところはあるでしょう。
角田光代的性向を持つ人は多いですが、全てのひとが角田美代子のような犯罪を起すかと言えばそうではない。
そもそも小室佳代さんが角田美代子的性向の持ち主かどうかも不明である。
そんな当たり前のことを無視して、自身のどす黒い妄想に合うような週刊誌の記事に飛びつき、ますますどす黒い妄想を真実と思い込んで疑わない。
思い込んで疑わない、これ、思考停止と申します。

想像、妄想を侮ってはいけない。結局、真実はその人の頭の中にあるのだから。根拠が曖昧な妄想でも、その人にとっては事実で有り真実なのだから。
事実は一つですが、事実を見る見方は人の数だけある。
人は自分の見た事実を事実として、生きて行くしかない。

佳代さんの旧姓は「角田」という事実から生まれたどす黒い妄想がさらにどす黒い妄想を生んで行く。
どす黒い妄想と陰謀論は五十歩百歩。私はその胡散臭さに辟易するが、どす黒い妄想や陰謀論を好む人々も確かにいるようだ。