ネクター

日々ニッキ。時々毒を吐く。

軍人恩給

2009-06-06 | 戦争
来年のNHKの朝の連ドラは水木しげるの妻がモデル。
ってなことを新聞に出ていた。
水木しげるっていえば『ゲゲゲの鬼太郎』
他にも妖怪関係の本とかおどろおどろしい感じの作品が多い。

私は怖い話はあんまり好きじゃないから、水木作品は怖くてちゃんと読まない。というか読んだら眠れないと思う。
でも、水木しげる自身はコメントとか見ていると、良くも悪くもかなり純粋な人なので一度『世界妖怪会議』にでも見に行きたいと思っている。


何故こんなに怖い話ばっかりなのかな?と思ったら、彼自身が戦争での軍人経験者であることがかなり大きい。
戦争で生と死の間で沢山の死を見、そして生きて帰ってきたからこそ死の世界に対して興味があるのかもしれない。
そして、それをちゃんと作品として残している。(やっぱり怖くて見ていないけど)


復員後の彼はかなりの貧乏生活だったが、その貧乏な中での結婚だったらしい。
そこでちょっと疑問だと思う事があった。
戦時中に水木さんは左腕をなくしているので、かなりの軍人恩給を貰っているはずだ。聞いたところによると片腕とかだと普通に生活していれば何も仕事をしなくてもいいくらいに貰えるらしい。
なのに貧乏、何故だ、と思ったら実家に恩給分を仕送りしていたからという。謎が解けた。
この軍人恩給、かなりいい加減な申告で貰っている人がいる。
先日も、沖縄で死亡した祖母が生存しているように装い、戦没者遺族に支払われる軍人恩給を騙しとっていたという事件もあった。(年間で200万円ほど)
うちの近所でも戦争に行ってもいないのに、虚偽の申請をしてそれが通って貰っていた人もいた。

他にも、戦争未亡人とか遺族なんとかとかでかなりの額を国からせしめている人が結構いるらしい。
例えば、戦前に結婚していたけど、亡くなったので再婚をして子供が出来たけど、その子は前夫の子として登録しておいて恩給を貰うという。
だから、遺族会とかっていうのがあるけど、アレって結局はお金が絡んでいるから今でも活動しているのだろう。表向きは平和活動のような格好だけどさ。

ま、こんなことをしているような家っていうのはロクな事がなかったりするので世の中はよく出来ていると思う。

因みに、私の祖父は一ヶ月足りなくて軍人恩給は貰ってませんでした。
母方の祖父は、3回招集されたので貰っていたけれど、本人が申請をしないと貰えないから、人から聞いて県庁まで行って申請したそうだ。

8月6日晴れ

2006-08-06 | 戦争
暑いです。
毎年この日は晴れていて暑いです。
このクソ暑い中、広島での式典に出席されている方は午前中とはいえ熱中症にならないのかと思うくらい暑いです。
ちょっと興味深かったのが、今年の式典での小学生が読む平和への作文みたいなやつを、女の子がアメリカ人と日本人のハーフで2つの国籍もち(どうやら外国籍を持つ子供が読むのは初めてらしい)の子供が読んでいた事。
これっていい時代になったっていう事なんでしょうかね?


昔に比べてTVとかでもあんまりその手のドラマやアニメをやらなくなったと思う。
私が子供の頃、親はあえてその手のドラマを見ていて、もう本当にお腹一杯でした。
お陰で飛行機の音を聞くと非常にビビってしまう自分がいますが、最近、同年代の知人に聞いたところその人も同じらしい。
アレって何かトラウマになってしまうね。
特に『はだしのゲン』なんか・・・orz。
あのアニメを観てから(原爆投下シーンで挫折したが)夏ということもあってか1ヶ月ほど食欲が湧かなかったし、夜もなかなか寝付けなかった。

その後、中学の修学旅行も長崎への平和学習だった。
原爆資料館へ行ってバスガイドさんの話を聞いて、夜になると旅館の集会場みたいなところで被爆者の話を聞いた。
というような今から考えると被爆者の貴重な体験話を聞けたのは良かったのですが、今の母校の修学旅行先は東京。
何となく腑に落ちないような気がする。

バナナ

2006-07-25 | 戦争
知人のお祖父さんの話なんだが、
まだなんとなく穏やかだった戦時中、南方(確かラバウルって言っていたような気がする)で徴兵についたそうだ。
ある日、休憩中にタバコを吸っていたら、何処からか現地人がやってきて、身振り手振りで何かを言っている。
よく見ると、どうやら「タバコを1本欲しい」というのが解り、何本か残っていたタバコを箱ごとあげたそうだ。
現地の人はタバコを貰うと何も言わずにその場を去った。
その時、彼は
『一言くらい何か言ってくれたらいいのに。』
と思ったが、暫くしてから、さっきの現地人が背中に抱えきれないくらいのバナナを持って現れた。
バナナを彼に渡すと、
『コレはさっきタバコくれたお礼です。』
という、ゼスチャーでお礼を言った。
彼も、
『イヤイヤ、そんなに気を使わなくても。』
といったゼスチャーで返したらしい。


ちょっと和んだ話だったので書いてみた。


当時、南方辺りは日本の植民地下だったので、あちこちに日本人街があったそうで、それは日本とほぼ変わらなかったそうです。
当然、赤ちょうちんやらの一杯飲み屋なんかもあり、結構にぎわってもいた。
ひょっとしたら日本以上に賑わっていたかもしれない。

職業

2006-07-09 | 戦争
今朝の新聞で8月6日は広島の公立の小、中学校は登校日にするとかどうとかの記事を見て、あ~夏なんだなぁ、と改めて感じたのさ。
それで、なんとなくカテゴリーに戦争を入れてみた。
基本はうちの祖父母の話になりますが、どこまで本当かどうかは分かりません。
何故なら年寄りは結構な嘘つき(特にうちの祖母)
聞き伝えなんで、専門的な話は一切ありません。

本日は職業篇。

なんか軍隊って演習やらの実戦に近いことを毎日やっているのかな?と思っていたら、うちの祖父は満州で中国人従業員と共に毎日パンを作っていた。(アンパンとジャムパンの二種類)
知人がイギリスに留学していた時に、同じクラスに軍隊経験のある韓国人がいたらしいが、軍隊で何をしていたかというと、軍の中にある売店で働いていたという。
これって本人が希望するのかどうか分からないが、(日本の)当時や韓国には職業軍人がいるから徴兵とかで来た人間にはこういった職に就くのが妥当なのかもしれない。
他にも、ただ馬の世話をする係りとかあったらしい。その馬の係りをやっていたのは大学の先生だか教授だかのおエライさんだったらしいが、横目でみながら(母方の)祖父は気の毒と思っていたが、私はこの先生には軍隊の中では演習をしているよりは馬の世話をしている方がひょっとしたら幸せだったのかもしれないと思う。