短歌大会の正式名称は「今治モダンフェスティバル・しまなみ海道百人一首大会」。しまなみ海道とは尾道と今治を結んでいる本州四国連絡橋のうちのひとつ。だが当時の僕は知らなかった。今治の歴史や風土にちなんだ作品をいくつか詠んで応募した。
その中で、この作品は下の句がいまひとつしっくりしないものだった。何だかJRのポスターにでも出てきそうなフレーズだったからだ。入選通知を受けて、作品を確認したときには正直驚いた。しかし、表彰式のために今治を訪れて納得した。
「しまなみ海道」という名から、海を「水軍の道」と見立てたところに発見があったと選者が話されたのである。なるほどと思った。実を言うと僕は「しまなみ海道」とあるので、地元では海を道にみたててそう呼んでいるとばかり思っていたのだが、考えてみれば陸上交通機関が発達した現代にそんなことはありえない。
入選は偶然のなせる技だった。しかしひとつ学んだ。感じ方や連想が常識的では面白くないということ。「作者の目」「作者の発見」ということを知ったのは、そのずっとあとだった。
今治からの帰りは寝台特急。翌朝5:00すぎに帰りついて、「運河」の歌会に出席した。本人としては意気揚揚と帰って来たのだが、その歌会では作品が酷評された。その記憶もないまぜになって、より一層「忘れ得ぬ一首」となった。
付記:この大会の選者は安森敏隆だった。8年後(2007年)の氏の講演内容が齊藤茂吉と塚本邦雄が意外に近いことを僕に示唆してくれるとは、この時の僕には思いも及ばないことだった。
