岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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齊藤茂吉44歳:魚の命を詠う

2010年08月10日 23時59分59秒 | 斎藤茂吉の短歌を読む
・うつしみは苦しくもあるかあぶりたる魚しみじみと食ひつつおもふ・

 「ともしび」所収。1921年(大正14年)作。

 この一首を独立したものとして読むときは、七輪で魚をあぶっているていであり、あぶられて行く魚と焼かれていく命を詠んだものとも受け取れる。

 実際は火災にあった後の生活苦の歌である。茂吉自身はこう言う。

「生活の不安は依然として斯くのごとくであった。・・・思ってみれば本年は實に苦しくも悲しくも實に不思議な年であったが、歌としても讀むに足るものが若干首出來、これもまた不思議なことであった。」(昭和19年7月22日夕記)「作歌四十年」

 佐藤佐太郎「茂吉秀歌・上」、長沢一作「齊藤茂吉の秀歌」では採りあげられていないが、塚本邦雄は火難の他の一連とともにかなり詳しく採りあげている。(「茂吉秀歌・< つゆじも >から< 石泉 >まで」)

 しかし僕はこの一首を「火難の歌」とは受け取れない。実際にはそうかも知れないが、「作歌四十年」を読まなければわからない事実関係である。

 佐藤佐太郎は一首を独立したものとして作歌し、鑑賞した。だから、佐藤佐太郎・長沢一作が採りあげなかったのは、その辺りに理由があるかも知れない。今度、「運河」の長沢代表に直接聞いてみようと思う。

 さて独立した一首として読んだ場合、題材は日常の瑣事である。しかし瑣事なら瑣事らしく、大袈裟な表現(たとえば「・・・にけるかも」)がなく、ただ焼かれていく魚を寂しく見つめている作者像が浮かぶ。

 それで先ずはよしとして読んで構わないと思う。「赤光」「あらたま」「白き山」に収録された作品と比べると、やや見劣りがするが、これも茂吉短歌のもつ一面であることは確かだろう。

 なお、茂吉は「魚」を「いを」と読ませているが、これは声調を関考えてのことであろう。

「イ段は緊張感があり、オ段は荘厳な感じがする。」とどこかで書き残していたと記憶している。

 声調について茂吉は全てを明らかにしなかったが、尾崎左永子著「現代短歌入門」「短歌カンタービレ」のなかで詳細にわたり、解明されていることを付け加えておく。






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