岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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旅の終わりの歌:斎藤茂吉の短歌

2011年06月17日 23時59分59秒 | 斎藤茂吉の短歌を読む
1932年(昭和7年)の茂吉の北海道行きは一か月を超えるものだった。弟・高橋四郎兵衛とつれだって、次兄守谷富太郎を訪ねた。「血筋を涙ながらに語り合った」という作品が残っているが、守谷、斎藤、高橋と兄弟でありながら姓の異なる三人の話はしみじみとしたものだったのだろう。その旅の終わりに茂吉は十和田湖にたちより、短歌を作る。その心中(しんちゅう)はいかばかりだったのだろうか。

・この谷にわきかへりくる白浪を見つつ飽かねどわれは去りゆく・

・ゆふやみになりしみづうみの木立より黒鳥の鵜はみだれてとびぬ・

「石泉」所収。1932年(昭和7年)作。・・・岩波文庫「斎藤茂吉歌集」166ページ。

 どちらかというと淡々とした詠み方で、斎藤茂吉の作品の中でも目立たない作品だ。そのせいか、塚本邦雄著「茂吉秀歌・つゆじも~石泉」、長沢一作著「斎藤茂吉の秀歌」ではとり上げられていない。「赤光」の作品群と比べればインパクトがないともいえる。

 しかし、淡々と詠むことほど難しいことはない。そして景が顕つ。情景を的確に表現して、さらに淡々とした歌調を出す。これは相当の力量が要る。この時期の穏やかな作品群は戦前の茂吉の一つの到達点ではなかったか、と僕は思う。

「赤光」で鮮烈なデビューを果たした茂吉。塚本邦雄が特に注目したように、「赤光」は象徴的・感覚的・印象鮮明な作品が多い。明治末期から大正初年という時代を考えれば画期的な歌集だった。

「赤光」の主題は「かなし」。「あらたま」の主題は「さびし」(西郷信綱著「斎藤茂吉」)。「ともしび」の主題は「苦しみ」。(「ともしび」については、岡井隆著「< ともしび >とその背景」に詳しい。)

 ともに「かなし」「さびし」「苦しみ」など、息が詰まるような感情表現の作品が続く。それらに比べれば、この一連は感情を押し殺したような静寂の世界だ。


 岩波文庫「斎藤茂吉歌集」には次の二首も収録されている。

・夜もすがら降りみだれたる夏の雨湖(うみ)のなぎさをおほどかにせり・

・嘴(はし)ながく飛びゆく鵜等を見てをればところ定まらず水にしづみき・

 この二首は、佐藤佐太郎著「茂吉秀歌・上」にとり上げられている。

「雨のありさま雨の作用だけをいって、湖の状態を暗示し、自然のもっとも深い意味を手にもつように示した歌である。/(鵜を詠んだ五首は)直接に鵜の生態を写して、あるいは暗示的にあるいはさわやかに、あるいはたけだけしく、鵜の行ないが捉えられている。いずれも確かで、大切な具体性をのがさず、しかも豁達自在である。」

 つまり叙景歌としての一つの高みだと言えるだろう。この表現力に「赤光」「あらたま」「ともしび」にある「主観の吐露」が結びつくことにより、後年の「白き山」「つきかげ」の絶唱を生みだしたとは言えまいか。


 この一連の作品の茂吉の自註を読んでみよう。

「(この谷に・・・の歌)心を牽かれ、いつまでも飽かぬけれども< われは去りゆく >となる。・・・(これは)抒情詩のいひかたである。」(「作歌四十年)」)

「(ゆふやみに・・・の歌)< 黒鳥の鵜はみだれて飛びぬ >が一首の中心で、これも極めて暗指的であった。」(「同」)

 のちのち佐藤佐太郎に引き継がれていく「遠韻」の境地と思うが、絶唱でない分だけ余計こころに沁みる。






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