「帰潮」は佐太郎の壮年期の歌集で、歌風を確立した歌集とも言われる。岩波書店を辞し、出版社を興したが失敗。自宅で鶏を飼って卵を売り、家計の足しにしようとしたものの上手くいかなかった。貧しさ・悲しみのどん底にあった時期だった。
・苦しみて生きつつをれば枇杷の花終わりて冬の後半となる・
これが巻頭歌である。枇杷の花は初冬に花をつける(11月から1月)。この花が終わって「冬の後半となる」のだが、「正月を迎える」と読む解説書と、「寒さが厳しさを増す」と読む解説書がある。僕は「寒さ=苦しみが増す」と読んでいる。「正月を迎える」と読んだのでは「おらが春」の世界になってしまうが、佐太郎の場合はもっと切実である。
文庫版の解説には「壮年の燃焼」「達成」という言葉が見えるが、僕はむしろ「壮年の悲しみ」の歌集ではないかと思う。
「佐藤佐太郎」(桜楓社:今西幹一・長沢一作著)のなかでは「岩波書店を退社したこと、出版社を起こしたこと、養鶏を傍業としたことなど、全て自分の選択」とあるが、ことごとく上手く行かず、「悔いや苦しみの原因」となったのだ。「燃焼」「達成」という言葉はふさわしくないのではないか。
佐太郎の歌風を「象徴的写実歌」と呼んだのは岡井隆だ。鶏を詠んだ一連(六首)がある。囲われて命をつなぎ、あるものは目が見えなくなり、病気になり、白い羽を汚しているもの。これらの鶏は「悲しみの象徴」と呼ぶに十分である。鶏のありようは事実であろう。しかし、それが一首の中で象徴的役割を果たしている。「写実的であり、象徴的」なのである。塚本邦雄の「象徴主義」とはかなり意味合いが違うが、「象徴的」ではある。
佐太郎はこの歌集によって読売文学賞を受賞し、新聞歌壇の選者も務めるようになった。このあとようやく生活も安定し充実期を迎える。そういった意味でも一つの画期となった歌集だった。巻頭の一首も佐太郎の代表作のひとつである。
