・松かぜのおと聞くときはいにしへの聖のごとくわれは寂しむ・
「たかはら」所収。1930年(昭和5年)作。
先ずは茂吉の自註から。
「この松かぜの寂しさはいにしへの高僧たちも同じく聞かれたのであったといふやうな歌で、いにしへの文章和歌などにその趣が残って居るので、< いにしへの聖のごとく >といった。この歌も書き馴れたので短冊などに書いたものである。」(「作歌四十年」)
「それから、私は近江蓮華寺に病臥しています佐原隆応和尚を見舞った。そのときに出来た歌であるが、何処かに古の僧侶の心にかよふやうなところがないであらうか。(この作品は)しばしば短冊などにも書いた。それから間もなく私は満州へ旅立ったのであった。」(「たかはら・後記」)
次に、佐藤佐太郎・長沢一作・塚本邦雄の評から。
「松風の音を聞いていると昔の高僧などのように寂しい思いがするというので、意味合いは簡単だが、この一首からひびいてくるものは、身にしみるような遠く清いひびきである。」「< ときは >< われは >という< は >の重出が何ともいいし、< 聖のごとく >から< われは寂しむ >と続けた四五句が甘滑でなくていい。」(佐藤佐太郎著「茂吉秀歌・上」)
「(この作品の)味わいは極めてふかい。俗念をまじえない晴朗のひびきである。・・・< 聞くときは >< われは >という< は >の重複は万葉に先例があるが、一首にゆたかな幅をもたらしているように思われる。」(長沢一作著「斎藤茂吉の秀歌」)
「茂吉は生涯に幾たびかこのやうにして、魂に沁む松籟を聞く。・・・彼の心の中なる山の< いずれのをりよりしらべそめけむ >と、ひそかに問ひたくなるやうな、脱俗の調べではある。」(塚本邦雄「茂吉秀歌・つゆじも~石泉・百首」)
塚本邦雄の評は「・・・ではある」と微妙な言い方をしている。塚本邦雄からすれば、やや古風に過ぎると感じられたのだろうか。
「松かぜ」という詠いだしは、現代の目からみれば古風に違いない。むしろ僕は「いにしへの聖のごとく」という比喩の的確さに注目する。「われは寂しむ」と見事に照応して、「寂しさ」のありようまで沁み通るようだからである。茂吉としては「直喩」は珍しい。こうねんの佐太郎が「直喩の名手」と呼ばれたように、これも違った形で茂吉から佐太郎に受け継がれたもののひとつだろう。